共食の章

1.相談

 七人はそれぞれの日常を送りながら、令が考案したトレーニングに励んでいた。特に千砂は、新しい式のため、トレーニングにも熱が入る。ただ、走っているとふと不安になることがあった。次に戦う相手は強い。もしも式が相手に喰われるようなことがあれば、千砂は二度も自分の子供を殺すことになる。それだけは避けたかった。千砂はたまらず紙を人形の形に切って、自分の血液をそこに付けてベランダに立った。空に向かって手のひらに乗せた紙人形に息を吹きかける。風にさらわれた紙人形は、やがて視界から消えた。こんな行動に出たのは、千砂一人ではなかった。甲や真姫、巴までもがこのやり方で令のアパートを目指した。そんなわけで、令のアパートに全員が集合する羽目になった。紙人形たちもそれぞれが同じ行動に出たことを驚いていた。男三人でただでさえ手狭だった令のアパートは、おかげですし詰め状態となった。


「何なんだ、お前ら。俺に恨みでもあるのか」

「こんなことになってるとはね。私たちはキャンパスで会いましょう」


そう言って、千砂は紙人形に戻った。


「わ、私も……、皆さんの後で……」


次に巴が遠慮がちに消えた。令とその同居人たちは長いため息をついていた。


「じゃあ、ヒメから聞こうか」


雄と改はロフト部分から、令と真姫、甲のやり取りを見下ろしていた。


「私は現状で満足してる。なのにどうしてわざわざ命がけで鬼退治に出向く必要があるの? 私はもう、危ない目に遭いたくない」

「それで、いつも通り過ごしていて、一人の時に千方に出会ってしまったら?」


「それは……」と真紀が口ごもる。


「鬼に遭いたくない。ずっとネットの中で楽しみたいのは分かるけど、そろそろヒメにも自覚持ってほしいな」


「関連して、ちょっといいか?」と甲が口を挟んだ。令も、「何だ?」と目を向ける。


「千方という鬼は鬼を統率していると聞いた。その統率が解けた時、鬼達は暴走するんじゃないか?」

「鬼にはいろんな鬼がいただろ。千方や醜女のように伝説上の物。俺たちが空舟で流そうとしている、鬼にされた者。それらが人に憑依して体を乗っ取ってしまう人鬼。人の感情から生まれるもの。そして式を含む俺たち。式以外は人に害を成したり、共食いを行う。千方がそれらを統御しているわけではない。千方という強い鬼がいることで、周りが静まっている状態。まあ、ガキ大将的な存在かな。力がある奴に見つからない程度に魂を食べている。もしも極端な話、千方が鬼の軍勢を率いて来たなら、俺たちはとうの昔に全滅しているよ。まあ、その瞬間から、別の式使いが現れるだけだけど」

「俺たちは使い捨てか。でも、まあ、そんなものかな。人生なんて。そうか。分かったよ」


そう苦笑いをして甲は紙人形に戻って消えた。


「こんなの理不尽よ! どーして私たちなわけ? 東なんて名字、他にもいっぱいあんのに」


真姫は地団太を踏んだ。


「そればっかりは俺様もお手上げだな。どっかで割り切るしかないよ。だってこれ、どうしてこの親から生まれたのか? ってきくのと同義だよ、きっと」

「運命ってこと? 馬鹿にしないでよ!」

「ヒメ、隠してるけど、部落の出だろ?」


一瞬部屋の中が静まり返った。空気が凍りついたのかもしれない。それからしばらくして、パン、と音が部屋に響いた。真姫が令の頬を殴ったのだ。


「何で知ってるのよ。何でばらすのよ! イントネーションも完璧だったのに」

「俺たちは少なからず鬼に近い存在なんだ。人間社会の端っこで生きてるんだよ」

「やっと解放されたのに。ネットの中では絶対ばれないのに、どうして?」

「悪かったな。イントネーションが少し気になって、式で調べさせてもらった」


甲は真姫が部落会費を取りに来た人に、強い拒絶反応を示したことを思い出した。東北では地区の単位として「部落」という言葉をよく使う。しかし関西方面では部落は差別用語であり、その対象なのだ。令は関西弁の影響を受ける四国の出身。完璧に隠していたイントネーションの違いも、令には気づけたというわけだ。


「なんてデリカシーのない奴なの」

「俺はどう思われようと構わないよ」

「もしその千方って奴倒したら、ボアちゃんどうなるん?」

「そのままだと思うぞ。魂の一部だからな」

「せやったら、千方倒した後は自由にしてもええんやな?」

「うん、たぶんな」

「分かった」


真姫も紙人形を残して消える。令はロフトにいる二人に見切り品のパンを投げつけ、自分もパンを食べる。基本的に見切り品と改と令の実家からの仕送りで暮らしている。

「改、学校に遅れるなよ」と言って令はパンを流し込む。

教科書に指定されている本をバックに入れて、令は大学へと向かう。少し早すぎるが、千砂との話はもつれそうな予感があった。千砂の言いたいことは大体予想がついたからだ。いつもの学習室に、千砂は一人で座っていた。最初の一コマ目の授業までまだ一時間以上あるため、人影はまばらだったが、一応令の式を番犬にする。


「意外と早かったのね」

「意外と、聞き分けが良かったからな」


千砂への当てつけに令は言ったが、千砂は眉ひとつ動かさない。


「御霊会から、私の式を外してほしいの。わがままだってことは分かってる。でも、今の式は子どもなの。弱くて小さくて、戦力にはならないと思う」

「リスクは皆平等に背負っている。戦力になるかならないかが問題じゃない。地門のちぃちゃんがいることに意味があるんだよ」

「私がいるだけでいいなら、いくらでもいるわ。でも鬼に式をぶつけることは、出来ない」


千砂は震えるように身を縮めた。令の部屋に来たり、こんなふうに弱気な自分をさらしたりする千砂を、令は初めて見た。


「北野の二の舞はなしだな。式を使ってこないちぃちゃんを、式は一番に狙ってくる。その時は式でちゃんと応戦してもらわないと」

「それが出来ないから相談しているのよ。私を狙うなら、私が空舟までの囮になるわ」

「そんな簡単な相手じゃないんだって」

「ねえ、まさか御霊会って、あの御霊たちが相手なの?」


千砂は顔が引きつりそうになるのをこらえながら、日本史の知識をひっくり返す。


「そう、名を口にするのも畏れ多い鬼達。八六三年に神泉苑で行われた御霊会を俺たちで再現しないといけないわけだ。千方が引っ張り出しちゃったからさ」


八六三年、平安京が大都市として発展するにつれ、街には疫病が蔓延した。当時、災害が続くのは非業の死をとげた人々の怨霊の祟りであるとされ、古くから民間で行われてきた怨霊鎮めの行事が、国家行事として取り上げられるようになった。それが御霊会の始まりであり、それが行われたのが神泉苑だった。九七〇年には、八坂御霊絵も始まっている。


「でもさあ、神泉苑も八坂も下見には行ったんだけど、今みたいに結界はりながら戦うのは無理なんだ。どっちも観光地化しちゃてて」

「どうするの?」

「どうもこうも、相手に出会った場所にいるか、俺たちが見つけた場所が戦地になるだろうな」

「結局行き当たりばったりね」

「そんなもんだろ、人生なんて。で、ちぃちゃんはどうする?」

「逃げることも囮にもなれないなら、戦うしかないじゃない」


千砂は皆が使う「覚悟」という言葉を思い出していた。「覚悟」などというたいそうな言葉を自分が使うとは思ってもみなかった。ただ、ここで投げ出してしまったら、自分の母親と同じになってしまう気がした。自分の子供が産まれた意義を知ろうとせず、全く見向きもしなかったあの母親に。


「なるべく式に鬼を食べさせて、私もトレーニングは欠かさずやるから、模擬戦の時にでもアドバイスを貰えたら、嬉しいわ」

「分かった。でもちぃちゃん、無理しないようにな」


「ええ」と冷たく答えて、千砂は部屋から出て行った。最後はいつも通りの千砂だったことに令は一抹の安堵を覚えた。令は式をしまい、ある種の結界を解いた。残るは巴だった。携帯電話で巴に連絡を付ける。ややあって、巴は電話に出た。東北での出来事があまりにも重く、疲れて学校を休んだという。


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