9.補充

「違うよ。トモピーの式だ」

「嘘だろ。あんな臭い式、近づけばすぐに分かるよ」


屑は吐き捨てるように言った。


「トモピーは完全に式を使いこなすことに成功したんだ。そりゃあ、たまには式の方が勝って臭気を抑えられないこともあるけど」

「へえ、すごいじゃん。巴」


屑はわざと巴を見下すように言った。巴はそんな屑の態度に縮こまった。令は巴の肩を強く抑えた。


「で、どうなの? お兄さんの企て通りになったけど、空舟は未だに手に入らないね。何故なら、僕が絶対にそっちにはつかないから」


令はチーム分けの際、あっさりと屑の提案を受け入れた。その結果、屑の思惑通り、仲間を分散させることに成功した。しかし令はその先をよんで計算していた。仲間が分散することで、相手のチームを意識することになる。令のチームと屑のチームに力の差が出来る。甲と改は令と屑のチーム分けを利用していた。屑の真の目的が分かれば、令のチームに入った方が現状を打開できると考えるようになるのは必然だった。あとは空舟さえ手に入れば、令の目的は全て達成することになる。


「私、屑君のこと、本当にすごい人だと思います。そんなふうに、意地を張らなくてもいいんじゃないかって……。だって私、病院で初めて声をかけてくれて、本当に、嬉しかった。本当は屑君だって、一人になるのは寂しいんじゃないかって」


巴は自分が支離滅裂なことを言っている自覚があったが、あふれ出す言葉を整理することが出来なかった。それでもその言葉は確実に屑の心を揺さぶった。


「自分の式である羊を食べた相手に同情? 一人が寂しい?」


屑は鼻で笑った。


「良い事教えてあげようか、巴。人は死ぬときは一人で死ぬんだ。無理心中でもしない限りはね。それに、僕が千年以上にもわたって一人でさまよってきたか分かってないね。千年以上の孤独に比べれば、こんなもの一時的なものだよ」


巴の目から涙があふれ出し、大粒の涙となってこぼれ落ちた。


「屑君、そんなに長い間一人だったんですね。怖かったですよね。辛かったですよね」


巴は涙を拭きながらしゃくりをあげていた。


「うざいよ、巴。お兄さんもしつこいな。巴を連れて来れば、僕が動揺するとでも?」

「お前、トモピーを軽視しすぎだ。お前を連れ戻そうとしたのは俺じゃなくてトモピーだ。俺はトモピーに背中を押されて、連れてこられただけの情けない男だよ」

「本当、情けないね。こんな泣き虫に背中を押されなければ僕一人連れ戻せないなんて。そんなお兄さん嫌いだよ。そんな奴なら、二度と僕の目の前に現れるな」


屑は式を出し、令を視界にとらえる。


「やっぱりそうなるか」


令も式を出し、屑と視線を交える。


(喰らえ!)


命令を出したのは二人同時だった。


「ダメ!!」


馬と犬の間に巴が割って入った。巴の体には式が入っている。このままでは馬と犬が巴の式を喰らってしまう。寸でのところで黒い何かが巴の体を吹き飛ばす。


(止まれ)


令は犬を止めたが、屑は馬を止めなかった。巴が立っていたところには、黒いワンピース姿の千砂が立っていた。


「ちぃちゃん⁉」


馬は千砂の体を通り抜けて止まった。馬の口には鶏がはみ出し、周りには羽毛が散乱していた。千砂はその場に崩れた。


「ちぃちゃん!」

「巽さん!」


令と巴が千砂に駆け寄る。血の気の引いた千砂の唇は紫色になり、体温も低下してきた。


「屑! お前が掲げた日常への回帰ってのは、こういうことがか。一魂で体は支えられない」


屑は立ち尽くして千砂の様子を見ていた。北野章が死んだときのことを屑は思い出す。


「早く救急車を」


巴が令に泣き叫ぶ。


「大丈夫」


千砂の声が小さく二人の耳に届いた。


「私にはこの子がいるから」


千砂は子宮の上に手を置いた。


「もう何年も前に、ここに私の赤ちゃんがいたの。男の子か女の子かも分からないけどね。私にも水子の霊がいるから、巴ちゃんと同じように出来るわ」


乾いた唇から千砂の声がだんだん小さくなって漏れ出ている。


「トモピーは特殊な例だ。同じように出来るか分からない」

「そう。でもこれで私はやっとリタイアできるわね」


そう言ったきり、千砂は目を閉じ、唇も動かなくなった。ただ、細身の千砂の体がずっしりと重くなったと令は手に感じる。間もなく救急車が到着し、千砂は皮肉なことに北野と同じ病院へ運ばれた。


「屑、北野の時も同じ状態だったのか?」

「うん。病院に運ばれて意識レベルが低下して、呼吸も心拍も減っていって、ついには心拍停止。脳も活動を停止した。まるで今の千砂姉さんのように、眠るように逝ったよ」


千砂はあらゆる検査をしたが、異常は見つからなかった。当たり前だ。魂が一つだけだから生命の危機に瀕している、という医学的見解はなされない。


「見ているだけしか出来ないのか? 魂の補充方法は?」


令は様々な自問はするが答えは出て来ない。屑に至ってはあきらめた様子で反省している。巴は必死で、自分の式が馬に食べられた時のことを思いだす。あの時、千砂を助けるために馬は羊を喰った。そしてこんなにも美しい人が穢れた自分を助けてくれた。あのまま千砂と水子に手を差し伸べてもらえなかったら、巴も今の千砂のような状態になっていた。巴は待合室の椅子から立ち上がり、腹の辺りに力を入れて、千砂がいる病室へと向かった。


「トモピー、何しに行くの?」

「巽さんには水子がいます。私の式で誘導して、巽さんの魂として水子の霊を定着させます。それで今の私と同じ状態に出来るはずです。そうしたら、巽さんは生きていられるかもしれません」

「それ、巴にできんの?」

「そうそう。トモピーはずっと水子と共に在った。水子は自分の意思を持ち、それに基づいてトモピーを救った。でも、ちぃちゃんの場合、水子を忘れようとして生きてきた。水子に意思もなく、その存在は弱い。トモピーの式とは違うんだ。誘導なんて無理だ。逆に式を使うトモピーが危なくなるよ」

「分かっています。でも、私しか水子の式を持っている人はいないんです。私は出来るかもしれないことをいつもやらないで過ごしてきました。それで、やればよかったと何度も後悔しました。でも今回だけは後悔したくないんです。私の式が今の木戸さんと屑君を見たら、きっとこう言います。仲間が死ぬか生きるかの瀬戸際だってのに、何位もしねえのはなさけねえぜ、って」


巴の声は震えていた。


「木戸さん、私たちによく言っていたじゃないですか。覚悟を決めろ、って。私の覚悟はきっと、今すべきなんです」


巴は顔を上げ、黒縁眼鏡とそばかすだらけの顔をさらした。その瞳にいつもの迷いや涙はない。巴はゆっくりと令と屑の横を通り抜けて行った。令と屑は指一本動かせずにいた。今のは本当に巴だったのかと、疑わずにはいられなかった。しばらくして「お兄さん」と、屑の声がした。


「もし巴が千砂姉さんを助けるのに成功したら、僕はそっちのチームに入ってあげるよ」


屑は巴の後ろ姿を見ながら言った。巴は不安そうに振り向いたり、戻ってきたりはしなかった。一歩一歩、地面を踏みしめ、最期には見えなくなった。


「心に刺さるよな。特にトモピーの言葉。何でかな?」

「僕にきかないでよ。巴がお兄さんの代わりにリーダーになればいいんじゃない?」

「それでもおかしくなかったな、さっきのトモピー」

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