8.カレー
「駅とは反対方向に歩いてったよー。行きたいなら、一人でいって来ればー?」
真姫は鏡を見ながらメイクを直している。
「私じゃ……、駄目なんです。木戸さん、本当は、あなたが必要なんです。屑く……、いえ、雄君が本当に待ってるっていうか、一番迎えに来てほしいのは……、木戸さんだと思うので、その、一緒に来て下さい」
巴は令に向かって頭を下げた。握られた拳が、巴の決意を表しているようでもある。令はしぶしぶといった様子で立ち上がる。その様子はどこか蜘蛛に似ていた。
「トモピーにそこまで言われたらな」
令は脂ぎった巴の頭を撫でて、肩をつかんで立たせた。
「もし電車なら、もうないですよー。それに屑君は駅とは反対方向だって言いましたけどー、どうやって捜すんですかー?」
鏡から目を離さず、真姫は言った。
「構わないよ」
「じゃあ、行くか。トモピー」
巴は、差し出された令の手を取った。真姫はその様子をツイッターに呟き、二人の悪口を書き込んだ。
「バカップル。いつも私を不快にさせるんだから」
真姫は口をとげてそう言うと、台所へ向かった。エプロンをした改が、慣れた手つきでカレーを作っている。
「えー、カレーなのー? 別のがいいなー」
真姫は口が臭くなるという理由から、臭いのキツイものは好まなかった。
「人数が多い時はカレーって決まってるべ」
「誰が決めたのよ」
「俺」
朴訥とした声で改は笑った。菜摘の一件以来、南原家ではカレーを食べることがタブーとなっていた。それに足並みをそろえるように、裏木家でもカレーは食卓から遠のいた。しかし敵討ちを果たした今はこれ以外のメニューは考えられなかった。改は思わず小学校の頃のことを思いだして失笑した。そんな改を真姫は気持ち悪そうに見ていた。
「私が何でここにいるか聞かないの?」
「全部聞こえだっけさげ」
「じゃあ、その大量のカレーが必要なくなったのも知ってるじゃないですかー。何で減らさなかったわけ?」
ややあって、改は「待っているから」と答えた。
「皆の無事ば祈って、帰りば待ってるからさ、帰ってこないって分かってても、もし帰って来たごんたら、満腹さなるまでかへでやっだいと思うんず。家で待っている人は皆そうだと思うよ」
真姫は、訛りの強い改の言うことがあまり理解できなかったが、重要な部分は分かった。真姫は思わず噴き出した。
「それって、マジで言ってんの? 田舎ってそうなの? マジウケる」
改は何も言わず、まな板や包丁を片づける。決別したばかりの甲と同じチームに入る。それは改にとっても、甲にとっても複雑なことだ。これではもうチームが二つあるというよりも、屑が個人行動に走っているだけだ。真姫の嫌みなど眼中になかった。甲が今何を考えているのか。そればかりが気がかりだった。
「こっちさ入んなんだべ?」
改が真姫に確認した。
「うん。そうそう。よろしくねー」
「じゃあ、明日から練習メニューば一緒にやるんだぞ」
改は冷蔵庫に貼り付けてあった黄ばんだ紙を真姫に突き出した。
「げー、何これー。超キツイじゃん。私はこんなのいーらないっと」
「ちなみに甲はそっちに入ってからもこれを全部やってたと思う」
「何で分かんのよ。チーム分けしてから別々の生活してたんだから、やってるわけないでしょ? 」
「やってるよ。甲は何にでも一途だからな」
「頑固で融通がきかない」とも言うけどな、と改は笑った。やっぱり変人だ、と真姫は思う。真姫という美少女を目の前にして甲の事ばかり気に掛ける。真姫はますます気に喰わなかった。真姫は練習メニューの紙をこっそりゴミ箱へ捨てた。改はその様子を音だけで確認した。真姫が捨てた練習メニューは、式の力やスキルを身につけるための初心者用の物だった。改達はすでに初心者用メニューを卒業し、次の練習メニューに入っていた。(木戸さん、どうする気だべ?)と改は不安げにゴミ箱の中を見やった。
そんな時、来客があった。部落会費の徴収だった。手の空いている真姫に封筒に入ったお金を取って渡すように頼んだが、真姫は頑としてそれを拒否した。
「何でこの家に関係ない私が、あんな汚い土まみれの爺さんに接客しなきゃなんないの?」
「じゃあ、鍋見てで」
「分かった」
改の代わりに真姫が台所に立ち、改と近所の人との会話を聞いていた。
出の近くにある駅から二十分の駅に着いた。駅とは反対方向に、巴と令は走った。
「お、トモピーはちゃんとメニューこなしてんな。偉い、偉い」
「は、はい。ありがとう、ございます」
令は足が速く、スタミナもある方だった。巴も令と並走できるほどに体力がついてきたのだ。激戦を行った病院を通り過ぎる。駅から離れるにつれて、街が閑散としてくる。この辺りで屑は二人と別れたのだろう。式の気配が濃くなっている。周囲には畑と田んぼが広がっているだけだ。もう民家さえ、ミニチュアのように小さく見えた。一本道が枝分かれしているところに出た。
「俺は左行くから、トモピー右へ」
走りながら令は言う。巴は令に首を横に振って見せた。
「私なんかので良ければ、考えがあります」
結局分岐点で二人は立ち止まった。二人とも方で息をしていた。巴は息を整えながら、アスファルトの地面に座り込んだ。同時に式を出す。正確には式の代わりに憑いている水子の霊だ。下水のような汚物のような悪臭を放っている。体も常に個体として留まれず、スライムの塊のような姿をしている。おまけに口が悪い。巴はいつもの野次を無視してアスファルトに手を当てた。「何をする気だ?」と令が尋ねる。『どうせ何も出来ねえさ』と式は断言する。
「瞑想の応用です。式に式を探させます。その、出来るかどうかは……分かりませんが」
「そうか。現代では建物が山に、道が川に置き換えられることがある。それを読むのも風水の基本だって教えたことを覚えててくれたんだな」
令は心底嬉しそうな声を出す。巴は褒められたことが恥ずかしく、頬を赤く染めた。
「はい。自信はありませんが、川の流れを読んで……、捜せると思うので……」
巴は乱れた呼吸を整えて目を閉じた。道から人や車の流れをイメージする。その流れを川の流れに置換していく。その流れを遡り、下り、ついに馬の尻尾を捕えた。
(追え)
巴は心の中で式に命じた。式の中で唯一自我のあるものを式としているため、気後れする。反発されて、暴言を吐かれたことも何度もある。しかし案外今回は素直に従ってくれた。まだ気は抜けない。一番強い式を足止めするにはどうしたら良いか。そんなことを考えている間に、馬に、つまりは屑に追いついてしまった。
(戻れ)
馬に喰らわれるかもしれないという恐怖から、巴は式を自分の中にしまった。
「木戸さん、こっちです。今ならまだ追いつけます」
巴は左の道を駆けだした。しかし令はゆっくりと歩を進めた。
「どうか、しましたか? あ、わ、私、もしかして不快な思いを……?」
令は苦笑いしながら首を振った。
「トモピー、成長したな、って思ってさ。それから雄をもう少し一人にさせてあげたいから。追うのを止めたのは、雄が立ち止まってたからだろう?」
「は、はい。雄さんは動いていませんでした」
「あいつが何考えてんのか知らないし、知りたくもないけど、チームがバラバラになって、また一人になって、考えたいこともあるんじゃないのかな、なんて思うんだ」
令は白い歯を見せながら、軽い口調でそう言った。
「すみません。私……、何も考えずに」
「あいつのこと見つけてくれたのトモピーじゃん。それに、真っ先に捜そうとしてくれた。俺だけだったら、どうなってたか。だから、謝ることないよ」
「はい」
二人はゆっくりとした歩調で歩く。もう日が暮れかかっていた。やがて、アスファルトに座り込む屑の姿が見えてきた。夕日を睨んでいた屑が二人の姿に気づき、立ち上がった。
「さっき僕に近づいたのは、お兄さんの式か」
屑は令を睨みつける。
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