6.穢れ


「傷は浅いけど、屑君に今は任せて」

「これは、こればっかりは、俺の問題だから。だからお前らは式に自分を守らせてここから離れろ」


屑の顔を見て、血まみれの北野は笑った。


「お前、こいつを死に追いやった奴だろう? 覚えているよこの体が」


北野は自分の胸に手を当てた。屑はそんな北野を鼻で笑った。


「弱くて隙のある奴が悪いんだよ。僕はいつか全ての式を喰らう。空舟も僕の物にしておきたかっただけだ」


屑は静かに衝撃の告白をした。いつか全ての式を喰らう。その中には、甲の雉も、真姫の竜も含まれている。もう既に、巴の羊、章の豚を喰らっているにも関わらず、だ。そしてその結果として章が死んだにも関わらず、だ。


「ふざけんな、屑。それ以上の式の強さを何故求める?」

「内緒。今はこいつに集中だね」


屑と真姫は式に命じた。


(喰らえ)


馬が走り、竜が蛇のように地を這い、北野を挟み撃ちにする。


(喰らえ)


甲も二人に遅れて指示を出す。

しかし、三人の攻撃は黒い鳥によってはばまれた。それほどに黒い鳥は素早く。的確だった。北野はしきりに目を気にしていたが、甲が与えたダメージは消えつつあった。北野の周りを黒い鳥が旋回していて式を寄せ付けない。北野は血を流しながら再び笑った。


「疑問に思ってるだろ? 肉体、つまり魄がこれだけダメージを受けていても魂が出て来ないから」

「元が死体だから、だろ?」


甲は自嘲気味に笑って答えた。


「やっぱり駄目だ、甲。今の君じゃ楽しめないよ。さっさと終わらせて、改と遊びたくなっちゃた」

「真姫、竜で奴の足を止めろ。屑、黒い鳥を流せ」


甲が二人に指示を出す。屑は黒い鳥の進行方向に、空舟がある空間を発生させる。真姫の竜が、蛇が蜷局をまく如くに北野の足に巻きつく。黒い鳥は白い霧の中に消えた。北野は竜に足をすくい、巻きつく。北野はその場に転がり、動けなくなった。三人は北野を見下す。


「これで勝ったつもりか? 近づいて来た奴から喰らってやるだけさ。さあ、式に命じてみろ。僕を喰らえ、と」


甲は式をしまい、刃が貫いた北野の胸を見た。既に血は止まっている。死体が再生しているのだ。タイミングが良いのか悪いのか、甲の携帯が鳴った。


「今、醜女を喰らうところだ」


携帯は改の物だったが、通話の相手は令だった。


『離れろ。奴は式の天敵だ』

「それって、どういう意味だ?」

『穢れ、だ。奴は穢れを今まで喰らってきた魂の中に仕込んでいる。奴がどこから、来たのか。イザナギが黄泉の国から戻った時、禍つ神をいくら生んでいるか、お前にも分かるだろう? 式が奴を喰らえば、式は穢れ、悪霊化していくぞ』

「穢れを空舟で流すことは出来ないんですか?」

『馬鹿か! 穢れてからじゃ遅いんだよ』

「じゃあ、こいつをこのまま野放しにしろってことかよ⁉」

『改に方法を教えた。交換条件を出したい。屑に代わってくれ』


二人の電話のやり取りを、真姫は明瞭に聞くことが出来た。ややあって、甲は電話を屑に渡した。


『改をそっちのグループに貸す代わりに、空舟をこっちに貸してほしい』

「分かった。改兄さんを早くよこしてよ」

『お前の嘘は分かりやすいな、屑。同時交換だ』


フェンス越しに二人の男の影があった。「よお」と、サングラスの長身の男が手をあげた。もう一人はフェンスにしがみ付いて、こちら側に来ようとしていた。令と改の姿がそこにはあった。令は携帯をしまい、屑も携帯を甲に返す。


「全部見てたの?」


屑が不機嫌そうな声を出す。


「まあね」


令は舌を出して気軽に笑った。


「犬、か。あの時も邪魔してくれたな。お前を最初につぶしておくべきだったよ」


北野は苦々しそうに言った。令もフェンスを越えて来る。


「北野の体、生きてる」


甲が呟くように言った。


「ゾンビ化だよ。魄の中に魂が居座って身体、つまりは魄が生き返っちゃうって結構土葬だと多いんだ」

「じゃあ、今の北野も人鬼なのか? また死体が増えるのか?」

「そうなるな」


と、令は屑の方を見る。


「はい、はい。僕と同じですねー。でも、だから?」


令の隣に白い靄が発生した。令と改の為に屑が空舟を出したのだ。


「改、行くぞ」

「はい」


令と改は白い霧の中に消えた。


「ねえ、私、いつまでこうしてればいいのー? いい加減疲れちゃった」


竜で北野の足を縛る真姫の疲労は激しい。北野は何とか竜から逃れようと必死になっている。その為、真姫の集中力が切れれば、一気に形勢が逆転しかねなかった。


「ごめん、ヒメ。二人が帰って来るまでそうしといて」


真姫は「えーっ」と不満の声をあげて頬を膨らませていたが、屑はそれに構わず甲に目をやった。甲の様子がおかしいのだ。


「さっきの話で、北野に同情したんじゃないだろうね」

「お前が言うな。お前と北野とどこが違う? お前は全員の式を喰らうと言った。北野の目的もそうだ。お前と北野で、どこが違うってんだよ」


甲は思い余って大声を出した。真姫は仲裁に入ろうとしたが、甲の迫力に負けてびくびくしていた。


「しかも、北野に醜女が入る原因を作ったのはお前だろ、屑。西尾巴と水子が合体していないと生きていけなくしたのも、お前だろうが!」


北野は地面を叩きながら、腹を押さえて笑っていた。一方、名指しで批判される屑は冷めた目で甲を見ていた。


「そうだね。僕は人鬼だから北野と変わらない。でも僕に八つ当たりしても、崩れかけた覚悟は直らないよ。忘れてない? それとものど元を過ぎると熱さを忘れちゃう? 目の前にいるのは、甲兄さんのお姉さんの仇だよ」

「分かってるよ、そんなことは。でも北野にも大切な奴がいたんだよ。生き返ってほしいって思う家族や友人や恋人がいたんだよ」

「でもそいつは、北野章じゃない。まがい物だよ。僕も死体に入って人として暮らす人鬼だ。でもそいつは北野章に成りすましているだけだ。北野章はもう生き返らない。僕の式の中で、僕の力の一部となったんだ」

「屑、お前は何とも思わないのか?」

「思うさ、覚悟はどこへ行った、って」


やがて、霧の中から令と改が戻ってきた。すぐに険悪な雰囲気に気付く。「どうした? 何があった?」と令が苦しそうな顔をした甲にきく。


「それがさ、甲兄さんは北野に同情しちゃってるわけ」


屑が呆れたように言う。


「本当なんだが、甲?」


改は心底驚いていた。


「するわけないだろう。早くやり方を教えろ」

「待ってくれ」と、北野が呻いた。

「僕は今後一切魂を食べず、北野章として生きる。だから、許してもらえないか?」


改と甲は顔を見合わせた。令は黙って二人が導き出す答えを待っていた。もし、死んだ人間がよみがえって、その人間を殺す権利を自分が持っていたとする。その生き返った人間が必ず自分の敵となるとき、自分は権利を行使できるのか。行使することが正しい選択なのか。空き地には令の式が番犬となっているため、通行人には普段通りの空き地しか見えていない。ただ、そろそろ北野の帰りが遅いと病棟側では騒ぎになるかもしれない。改は甲に紙人形を一枚渡した。


「穢れの吸着剤だ。これば式さかへで、こいつば喰らう」

「待ってくれ、改。お前はこいつを喰らうのに、何の抵抗もないのか?」

「さっきのこいづの言葉は嘘だ。俺たちの仇には変わりない」

改は黒い牛に紙人形を食べさせた。甲は苦悩の表情を浮かべながらも、雉に紙人形を同じく食べさせた。


(喰らえ)


二人は式に命じた。北野は、正確には醜女は断末魔をあげて式二匹に喰われていっ

た。二人が完全に他人になった瞬間でもあった。仇を打つという共通の目的がなくなった今、改と甲が共に在ることはもうない。


「今までありがとうな、甲。さようなら」

「こっちのセリフだ。元気でいてくれよな」


甲は屑と真姫と共に、日常へと帰って行った。錆びついた鎖がバラバラになって、落下する音を耳にした気がした。


「よし、じゃあ、俺たちも帰るか」

「はい」


改と令も北野の死体を後にしてその場を立ち去った。特に改は地元のため、早急に帰らなければならなかった。改が先に実家に帰り、令は頃合いを見計らって式を呼び、体内に戻した。


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