5.二の舞

 甲は総合受付で悪戦苦闘していた。真姫のメールでは精神科に強い鬼が潜伏していることは間違いない。しかし面会は限られた人しか受け入れられず、入院は紹介状がなければ受け入れられない。北野章は精神科の閉鎖病棟におり、それが北の守り人なら、鬼が入り込める。いや、人鬼や生者の魂を喰らえば、患者の誰でも入り込むだろう。ただ、人の心を玩ぶのが好きな鬼だ。北の守り人の魄があれば、必ずそこを狙うはずだ。


「やっほー。甲君」

「苦戦してるみたいだね」


明るく大きな声が、病院には不釣り合いだ。どこの美男美女のカップルかと思えば、真姫と屑のお気楽コンビだ。


「取りあえず、外行こうか」


屑は話しがあるという。甲は迷惑がられたナースに礼を言ってから外に出た。


「中に入れないなら外を狙うといいよ」


屑は突然そんなことを言った。閉鎖病棟だからと言って、患者を閉じ込めておくわけではなく、軽作業や軽運動を患者にさせる為、病棟から体育館や作業場へ移動させるという。


「お勧めは患者が一人になる散歩だよ。体育館と作業場への移動は団体行動だけど、散歩は自主的に一人でするから」

「詳しいな」


思わず感嘆の声をあげた甲に、屑は得意気に馬を指さした。


「そうか。式で探ったのか」

「僕は長い時間式と離れているからね」

「会ったさ。互いに手を出さなかっただけだよ。あっちも甲兄さんや改兄さんにご執心だったからね」


竜馬の最後の姿が思い出される。そして自然に胸ポケットを握りしめる。


「で、今の醜女はやっぱりあいつか?」

「そう、北の守り人だった北野章君。彼は僕に魂を食べられて死んでいた。誰もが彼の死を確信した時、奇跡がおきた。死の直後、醜女に入られて、生き返ったわけ。しかし、今までの章とは違う性格になって今に至るってところかな」


屑ははめ殺しの付いた窓を見上げた。あの中に甲と改がおい続けてきた醜女がいる。今度は同士討ちの場を用意して。つくづく悪趣味だ。


「行動は自由だから、明日にでも出て来るんじゃないかな。醜女の方は、早く甲兄さんや 改兄さんに会いたいようだったから」

「明日か。その時は手を出さないでほしい。

「一人で行く気? 無謀だよ」


屑と甲は二人で散歩コースを歩くことにした。真姫は寒いからという理由で、待合室で待っていた。あんなミニスカートでは寒いのは当然だ。


「人気が多いな」


甲は苦虫をかみ殺したような表情で呟く。


「そうだね。でも僕たちの戦いって、傍目から見たら互いに向き合っているだけだから、問題ないんじゃない」

「体に残っている魂を互いに狙い合えば、結構な運動だ。傍目からは変人だ」

「裏側はどうかな? この病院の裏側は空き地みたいだったけど」

「それはいいことを聞いた。そこにしよう」

「改兄さんには本当に言わなくていいの?」

「言わない。あいつとは違う道を選んだんだ。その覚悟は俺もあいつもできてるよ」


そう言いながら、甲は改に連絡を入れる算段を整える。とはいえ、真姫が令に明日のことを伝えていることだろう。真姫と令はつながっている。実は屑だけが一人孤立しているのだ。その事実を知られてはならない。甲にはそんな気がした。


「いよいよ明日だね。心の準備はできてる? これは愚問かな?」

「明日か。そうだな、明日だな」


甲は今までの道のりが長かったのか短かったのか考える。どんなに大切にしても色あせた菜摘の写真。反発しながらも、一緒に歩んできた改との時間。明日全てが終わる。




 甲は一人で散歩コース上にいた。屑が行っていた通り、散歩する人が多い道だ。甲はベンチに腰掛け、数人をやり過ごした。


「やあ、甲。久しぶり」


竜馬と同じ口調で、青年は言った。やや面長の優男。背は甲と同じくらい。


「あれ、改はいないの?」


青年、北野章は辺りをわざとらしく見渡して言った。


「それはリョーマっていう中学生の言葉だ。お前にそれを使う資格はない」

「じゃあ、この人のが良い?」


さわやかで落ち着いた声が響いた。


「アナウンサー志望だったらしいよ。良い声だよな」


まるで自画自賛するように、北野の声で醜女は呟く。これが生前の北野の声なのだろ

う。


「なめんのもいい加減にしろよ。今日が最後なんだ。自分の言葉で、話したらどうなんだ?」

「それじゃあ、つまらないだろう」


北野は言った。


「そうか。じゃあ、病院の裏手に行こう」

「甲は変わったね。成長したって褒めておくよ」


甲は北野の挑発を無視した。二人で病院の裏手に回り、フェンスを登る。甲は空き地に着地した瞬間、式を出した。北野がフェンスにしがみ付いているところを狙う。


(喰らえ!)


北野は瞬時に手足をフェンスから放し、不恰好に着地する。


「頭の固かった甲がこんな汚い真似するなんて。もう少し頭を柔らかくして、改を抱いてあげればいいのに」


(喰らえ)


雉が滑空して北野の後ろから仕掛ける。北野は横に跳んでこれをかわす。


(喰らえ)


横に傾く北野のバランスが戻る前に甲が仕掛ける。


「大通連」

北野がぼそりと呟くと、雉が黒い猛禽類にはばまれた。この時間に北野は体勢を整える。この黒い猛禽類は竜馬と戦った時にも出てきた。


「鬼が式使い?」

「式じゃなくて、元々は剣だよ。剣は目立つから、鳥の姿にして持ち歩いていたんだ。そうだ甲、良い考えがある。君の魂を食べて僕が君になる。そして、改を抱いてあげよう」


(喰らえ)


甲は黒い鳥を自分に引きつけながら、式に命じ続ける。


「前はもっと、かっとなってくれたのに、つまらないな。この姿をわざわざ選んだのに、仕方なかったかな? もっと、葛藤して軋轢に耐えながら戦ってほしかったのに、残念」


(捕えろ)


甲は命令を変えた。醜女を倒すには、大通連を先に倒さなければならない。しかし大空を自由に舞う大通連に対して、式である雉は、甲からあまり離れられない。せめて屑くらいのリーチの長さがあれば、と甲は歯噛みする。北野は黄色と黒のロープを手に、甲を急襲した。ロープが甲の首に食い込む。


「体に残った最後の魂を吐き出しなよ。僕がその後で式ごといただくからさ」


甲は冷酷なまでに冷静だった。肘で思いきり北野のみぞおちを殴りつけ、緩んだロープを奪うと、つかさず石を拾いあげて北野の目を狙って投げつけた。北野の目に石があたり、視界を奪うことに成功した。今度は北野の首を甲が絞めあげる。


「大通連」


北野が叫ぶと、黒い猛禽類は空中で大剣に変じた。真下にいるのは甲だ。刃が甲をめがけて落ちてくる。甲は首を絞めたまま北野の体を引きずった。刃は北野の体を貫いた。これで北野の体から醜女の魂が出て来る。


(追え)


竜馬の時の二の舞を踏むまいと、式に命じる。しかし式はすぐに止まってしまった。


「後ろ!」


剣の切っ先を、寸でのところで甲はかわし、地面に転がった。横っ腹を少し切られたらしく、そこがジンジンと痛んだ。屑と真姫がそれぞれの式を出して、甲と北野の間に立っていた。


「よく分かんないけどー、これさえ終われば、甲さんも日常に帰れるんですよね? だったら今だけ協力しちゃいます。せっかく同じチームに入ったんだから」

「まだ相手は本気になってないよ、甲兄さん。油断大敵ってやつですね。ヒメ、甲兄さんの止血を」

「うん」


真姫は甲のシャツをめくって、タオルを押し当てた。その手を甲は払いのけ、傷口を押さえて立ち上がった。

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