4.ハヤシダ

岸部と体格が似ていたからドキッとした。林田は売れないカメラマンだと自己紹介した。私にモデルになってくれないか、と声をかけてきたのだ。眉唾物だ。相手にしていなかった私に、林田はフリーペーパーや雑誌を見せた。確かに(撮影/林田)と載っている。


「俺は別に、家出少女何てものを撮りたいとは思ってないよ。そんな被写体ならどこにだっているしな。俺が撮りたいのは空虚感なんだ。それでいて美しい被写体。君を見つけて驚いたよ。まさに君こそが、俺の追い求めた被写体なんだって」

「じゃあ、私を大学まで入れてくれる? 私の親代わりになって」


私は貧乏カメラマンに無理難題を押し付けた。


「ついでに部屋も住所として使えるようにして。そしたら、モデルとしてどんな格好でもしてあげる。体も好きにしていいわ」


林田は困ったように腕を組んでいたが、やがて「よし」と言った。


「その条件をのむよ。勤めながらでも君を大学までやる。僕のアパートを君の下宿先にする」


林田はそう言ってレストランを後にした。机の上には林田の名刺だけが残された。どうせ、私をかこいたいんでしょ、と冷めた目で私は名刺を見やった。今までも「私のペットになれ」だとか「彼女にしたい」とか、私を囲おうとした人は何人かいた。

 林田の名刺をしまうとき(まさか)と思いつつ鞄をあさる自分がいることに気付いた。まさか本当に、林田は本当に撮影だけで私の要求を全てのむ気なのだろうか。携帯電話の電源は切ってある。これは母が私の居場所を突き止めるために持たせたGPS付の物だ。いわば、新しい首輪だ。金づるの私を失って母は資金繰りに困っているだろうか。それとも、自分自身も売春していたので、困らない生活をしているのだろうか。どちらにせよ、母も私も互いに忘れてもいい存在になっていた。携帯電話を初めて使う。林田の名刺の電話番号を押す手が震える。(本当にこれでいいの?)と自問する私がいる。本当に私が疫病神なら林田も不幸にするかもしれない。(それでよい)と答える自分がいる。


(本当に疫病神なら、他人の幸不幸など考えるな)


電話に林田が出た。私は口を開きかけては唇を噛む。


(本当に、それでいいの?)


私が迷っている内に、相手が問うてきた。


『もしかしてさっきの?』

「はい」


答えると、少し楽になった。


『まだ店にいるの? 迎えに行くから待ってて』


それきり、電話は切れた。私は期待せずに待つことにした。岸部のことがあって以来、期待は無益だと知った。しかし、それに反して、林田はやってきた。


「君から電話があるなんて驚きだ。もう半分諦めてたんだけど、名刺、置いて行って正解だったよ。これからどうする? とりあえず、もう遅いから家に帰ってさっさと眠ったほうがいい。明日、学校あるんだろ?」


私はこくりと頷く。事情を話して、私は林田のアパートに連れて行ってもらった。可もなく不可もないといった感じの、箱を積んだだけのようなアパートだった。私は風呂を借り、ベットの上に座って林田を待っていた。そこに林田がやってきて、「何やってんだ?」と驚いた表情を見せた。


「早く寝ろって言っただろ? 学校はまだ義務だろうが。今までの不摂生、ここで直していけ」


林田は私をベッドの中に押し込んだ。私は何が何だか分からない。


「俺はちょっと、仕事が残ってっから」


そう言って林田は、ソファーの上に自分の寝床を準備して、隣の部屋にこもってしまった。私はその言葉を信じずに眠った。何日かぶりに、少しでも体を休められることに安堵した。そして翌日、信じられないことに林田は、私に何もせずに朝を迎えていた。しかも、隣のソファーにだ。逆に気持ち悪かった。


「どうして何もしなかったの?」

「だってせっかく眠ってたし、何より君が望んでいないんだろ?」

「私は対象外だった?」

「だから、そういう問題じゃなく、ここでは君が望まないことを強要されないんだよ。ほら、遅刻するから朝飯食って来い」


林田はエプロン姿だった。ご飯に味噌汁。ポテトサラダに目玉焼きまである。テレビと給食でしか見たことがないものが朝から並んでいる風景は、奇妙に感じられた。そして何より、私はこれらを食べていいのだという。これもまた、信じられない発言だった。赤みその香りに誘われて、恐る恐る味噌汁に口を付けた。


「おいしい」


朝食を初めて口にした私は、思わず口に出していた。私は次々に箸をすすめ、全て平らげた。林田はそんな私の姿に唖然としていたが、やがて相好を崩し、「造ったかいがあった」と笑った。給食を食べているせいか、今度は戻さなくても良かった。


「なあ、君のことなんて呼べばいい? 今後の仕事に使えるものでもいいんだけど」


私は食べ終えた食器を見ながら、林田の話を半分聞いた。


「どうした?」

「皿が汚れているのでどうしようかと」

「洗えばいいんだよ。そこのシンクで洗剤とスポンジを使って」

「そう言えば、家庭科の教科書に書いてあったかしら」


小学校の調理実習の時の記憶を手繰る。慣れない手つきで私は食器を洗う。その時、「ゼロ」という言葉が頭の中に浮かんだ。「ゼロ、レイ」。


『俺が撮りたいのは空虚感なんだよ』


そう林田が言っていたのを思い出す。何もない所からのスタート。ゼロからのスタートに望ましく思えた。


「レイにします」

「ん?」

「名前です。私はレイです」


レイの写真集はそこそこ売れたが、ヒットとまではいかなかった。だが、噂が噂を呼び、静かに売れ続けた。すぐに販売中止となったことで、ネットオークションでは「幻の写真集」として高値がついているらしい。レイのプロフィールが一切不明ということもそれを助長していた。印税はレイと林田で折半した。レイは高校も大学も、免除や助成金を受けながら合格し、半ば林田から独立していった。


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