3.ドウジョウ

「お部屋に戻る」

「本当にそれでいいの? こんなのにつながれて?」


岸部は私の首輪を見る。


「うん、私がいると皆が不幸になるんだって。だからいいの。今日はありがとう」


そう言って私は部屋に戻った。


「チサちゃんは本当にこれでいいの?」


岸部は鍵を握ったまま困惑している。トイレなどによくある簡単な鍵だ。


「いいの、早く鍵をかけて。お母さんが来ちゃう」


ややあって、岸部は私の部屋の鍵を回した。それから岸部は母の留守中に何度も私の部屋を訪れ、ジュースという味の付いた飲み物や、チョコレートという黒い板状のものをくれた。岸部は私に何の要求もせず、私の面倒を見てくれた。私は岸部がホームドラマの「父」のような役割だったらいいのにな、と本気で思うようになった。しかしそれもなんだか残念な気がしてきた。岸部の存在が私にとって「父」以上の特別な存在になっていたからだ。それはおそらく恋というものだった。私は母の恋人を好きになってしまったのだ。ついに、私は言った。


「岸部さん、私をここから連れ出してくれない?」


それは小さな、そして初めての「勇気」だった。しかしそれは簡単に打ち砕かれる。


「ごめん、それは誘拐っていう犯罪になっちゃうから出来ないんだ。それに君のお母さんとも、これ以上付き合えない。何とかしてあげたいけど、仕方ないんだ。あきらめなさい」


「そんなの嫌だ」


私はスカートを握りしめて、涙をぽろぽろと流し始めた。岸部に言われて気付いたことがある。岸部は私にとって希望だったのだ。そして今まさに、希望は絶望へと変わった。


(仕方ない……。何が?生まれたことが?)


(あきらめなさい……。何を?今までの苦しみを?)


「ごめんな」と言いながら、岸部は私の頭を撫でてくれる。


(優しくなんてしないでよ。謝罪なんていらないよ。余計苦しくなるよ。胸が痛いよ)


そんな時、母親が帰宅した。私の部屋で、私の頭を撫でる岸部を見た母は、怒髪天を突いた。首輪のリードを引っ張って私を床にたたき落とすと、岸部の腕を引っ張って、私の部屋を二人で出て行った。カチリ、と鍵のかかる音がした。


「何やってるのよ? あの部屋には近づかないっていう約束でしょ?」


母が口げんかの口火を切った。


「君がやっていることは犯罪だぞ。自分の子供にあんなことさせてかわいそうだと思わないのか?」

「あれが好きでやっていることよ!」

「そんなはずないだろ! 君の昔話には同情するよ。でも子供には何の罪もない」

「あんなことされて生まれてきた奴が、生きてるだけでもへどが出るわ!」

「もういい。警察か児相に連絡する」


そう言って、岸部は出て行った。次の母の行動は早かった。私の部屋の鍵を開けると、私の首根っこをつかんで走る。着いたのは風呂場だった。風呂には水がはってあった。母は私を蹴とばして風呂の中に入れた。冷たい、と思うのと、苦しい、と感じたのはほぼ同時だった。頭を上から押さえつけられていたのだ。息が出来ず、気泡を吐き出す。もがけばもがくほど、体力が奪われ、私はあっという間に気を失った。視界にふわりと光が浮かんで少し息が楽になる。しかしその光はいつの間にか消えた。

 気が付くと、私はいつものベッドの上だった。服や髪が濡れてぐしゃぐしゃだったことから、あの水の苦しさが夢でないことが分かる。母は笑いながら話した。


「あの男、へたれだからね。ちょっと待っても誰もこなかったよ。お前、結局あの男からも捨てられてんじゃん。みじめだねえ」


母は勝ち誇ったように笑う。そんな笑い声の響く中で私一人、考えたことは岸部の言葉だった。


(仕方ないんだよ。あきらめなさい)


私に何の強要もなく接してくれた初めての人だった。その人は私の心に爪痕だけを残して去って行った。きっと、何かを得るためには、私も何かを上げなければならなかったんだよくテレビは言うではないか。ギブ、アンド、テイク。

 母は近くのどぶ川に私の水死体を沈めるはずだったが、水死体は水を含んだ分重く、断念したのだという。


「今度私の彼氏に手を出したら、今度こそ殺してやるからな。覚えていろよ」


母は、脅しではなく、ただそう宣言した。今度こそ殺す、という言葉も変な言葉だ。今私は、奇跡的に息を吹き返しただけであり、本当は一回死んでいるではないか。楽しげに物騒なことを宣言する母の背中を恐怖と共に見送った。

 母は私に新しい服を用意してくれた。とてもかわいい服だった。これが母から私への二度目のプレゼントだった。何かが始まる、と、私は直感する。そして次々と私の部屋に客の男たちが入って来た。十人以上がすし詰め状態になって、私を品定めしていた。墨のように黒い経血が流れてきたのを感じる。母がそこに入ってきて、信じられないことを口にする。


「今から、これのオークションを開始します。もちろん最初のお客様には処女を奪う権利も差し上げます。お話の通り、これからは黒い経血が流れていますが、それもまた珍しいと思います。そしてかわいらしさと妖艶さを併せ持っています。オプションとして、コスプレは落札者の希望どおりです」


母は生き生きと娘の処女をオークションにかけた。


「では、三十万から始めましょう」


客たちはいっせいに声をあげ始める。五十万、七十万、百万と、どんどん値が吊り上る。百万台になると、脱落者が出始めた。結局三百万で開業医の男性が私を競り落とした。


「では、残念だったお客様は部屋から出て下さい。次のオークションもお楽しみに」


そう言いながら、母は拍手しながら敗北者たちを見送って、自分も部屋から出て行った。


「首輪は邪魔だな」


そう言って客は私の首輪を外した。そして「俺はこっち」と言いながら、手錠を私に

はめた。そして服を破くように私からはいで、色々なところを舐めつくし、最後までいった。これが私の初体験となった。それからというもの、母はたびたびオークションを開き、私に売春させるようになる。それは私が中学校になるまで続いた。学校に行き、帰っては客の相手をする生活だった。逃げたり、誰かに相談しようとは思わなかった。母は客を待たせるという理由で、校門の前で待ち構えていたし、私には相談できる相手もいなかった。客の中には教師もいたので、教師に相談するのは論外だった。

 しかし相変わらずの日常に、変化は突然訪れた。赤い血の方の、普通の生理が止まった。食事の際に、臭いを嗅いで戻した。さすがに、自分が妊娠しているのはまずいと思った。私はそのまま帰宅し、母の財布からお金を盗んで産婦人科に駆け込んだ。誰の子かは分からない。客の誰かだろうが、そこから絞り込むのは不可能だ。一晩に二から三人相手をさせられていたからだ。堕胎するしかない、と私は考える。しかしそんな私に岸部の言葉が語りかけてくる。


『子供がかわいそうだと思わないのか?』

『子供になんの罪もないじゃないか』


そんなことは分かってる、と私は反論する。でも中学生が、自分のことで精いっぱいの中学生がどうやって子供を育てるというのだ。子どもを産んだって、母の新しい金ズルがまた一人増えるだけじゃない。そう反駁する私に、岸部はさらに問い詰める。


『君がやっていることは犯罪だぞ』


そうだよ、と私は涙をぬぐう。私は人殺しなんだ。赤ちゃんを殺すんだ。母ですらしなかった人殺しをするんだ。検査の結果、私はやはり妊娠していた。そして私は自分で書類を書き、堕胎の意思を伝えた。公文書を偽造して、手術を行った。お金は全て母からくすね取った。これがばれれば母から殺されるかもしれないが、親子心中でお腹の子供に許しを請うのも悪くない気がした。しかしお金への執着心が強い母が、私の行動を知らないはずはなく、私を泳がせて私が苦しんでいる様を見物して楽しんでいた。毎日お腹の赤ちゃんに謝罪する私を見て笑い、「私もそうしたかった」とおどけた口調で言った。そして母はそんな私を「人殺し」と呼ぶようになった。

 私に朝食と夕食はない。高い給食費を払って給食を食べさせているのだから、というのが母の論理だった。ある日、母は中学校へ向かう私に声をかけた。


「人殺し、あんた、おしいことしたよ。子どもと道具は使いようってね」


私はこの時、家出を決心した。中学校の裏門を抜けて母をまき、電車にのって街を歩いた。制服、特にセーラー服が男に喜ばれることを、私は経験から知っていた。数人の男たちと交渉し、収入と食事、寝床を得た。



そうしている内に、林田に出会った。

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