3.長谷雄

「お兄さん、お帰り」


帰宅早々、タックルのような抱きつきをくらう。今日は肉体的にハードな日だ。少年は嬉しそうに俺の手を握って、「今ね、今日はね」と一日の出来事を報告してくる。そのたびに「すごいな」とか「やったな」と相槌を打っていると、少年はそのたびに嬉しそうに笑った。実際、今日までで、何もかにも全て自分で出来るようになっていた。何て早い親離れだろう。


「あのね、それでね、僕も名前が欲しいんだ」

「ああ、そういえばそうだな」


ここまで、ずっと「おい」とか「お前」と呼んで来た。それで事足りるから、気づかずにいた。今度は名実ともに名付け親か、と余計なことを思う。やはり名字は神門にちなんだものがいいのか。名前は綺麗なものがいいのかしばし悩んだ。そして俺の名前は家族で決めたことを思いだす。少年の家族はたった一人の父親。長谷雄。


「はせ、ゆう」

「ん? 何?」


少年が期待を込めた眼差しで俺を見つめていた。俺も少年の顔を見て言う。


長谷雄はせゆうでどうだ? お前の名前」

「それって、父上の? うん、それにする」

「じゃあ、これからは雄って呼ぶからな」

「じゃあ、これからは令ってよぶからね」

「駄目だ」

「何で? 同い年の友達は名前で呼ぶってテレビでやってた」

「今は同い年でも雄はずっと十五歳。俺は成長する。だから今のまんまでいいよ。どうせ兄妹みたいなもんだし」


雄は口をとげているが何も言わない。


「夕食がすんだら、外に出よう。式の使い方と、ちょっと話がある」


夕食が終わると、俺はいつもの風水談義を始める。雄は神門を守って鬼を中に入れないようにしているだとか、受信場所は首だから、首に何か感じた時は注意をしろだとか、式は馬でこれに鬼を喰わせるだとか。そういう話をしている内に、雄は眠りこけていた。


「あれ? 僕の母方のおじい様は双六鬼だよ? しかも、母上もその人鬼ってやつなんでしょう?」

「そうだ。ここからはお前に関係することだから、よく聞け」

「お前じゃないもん」


ふん、とそっぽを向く雄の頭は、綺麗に結んであった。


「分かった、雄。結論から言うと、お前も人鬼だ。ただし魂魄がすべてそろった限りなく人間に近い鬼だ」


雄が急に泣きそうな顔になった。


「お兄さんたちは、僕を食べちゃうの?」

「俺は雄みたいな人鬼を食べようとは思わない」

「本当に?」

「たぶん他の奴らだって、雄を食べようとは思わない。だって、神門を守っているなかまだからな」

「仲間。友達とは違うの?」

「まあ、似たようなもんだろ」

「ふーん。でも何で人鬼を食べると、式は黒くなっちゃうんだろうね」

「たぶん、他人を自分の中に取り込むせいだとは思うが、ようわからんな」

「難しく考えないこと、がポイント、だもんね」

「そうそう、雄は偉いな」


そうやって、頭を撫でてやると、雄は嬉しそうに笑った。そして雄は髪結いゴムをリストバンドのようにして眠った。






 翌日、俺より先に未来は登校していた。上履きも封筒もなくなっている。一応、下駄箱近くのゴミ箱をのぞくと、封筒が破り捨てられていた。よく見ると、手紙らしきものも、同様に破り捨てられている。俺は咄嗟にそれを拾い始めた。ごみ箱の中を探るが、いくつか足りない。ごみ箱をひっくり返す。人々が気付いて周囲にギャラリーが出来ていたが、無視して紙切れを探す。「何をしてるんだ」と、教師が俺の腕をつかむ。俺はその腕を強引に引きはがし、叫んだ。


「人の命がかかってのかもしれないんだぞ!」


俺は封筒と手紙の切れ端を全部持って、特別教室に走り込んだ。気づくべきだったんだ、と後悔しながら、パズルを組み立てる。友達同士の手紙のやり取りにプリントアウトした文面なんて使わないこと。そして敬称も「未来様」じゃ事務的すぎる。もっと気にかけるべきだったんだ。あの鬼にも、この手紙にも。出来上がったパズルを見て、俺は背筋が凍る思いがした。手紙には次のようにしたためられていた。もちろん、プリントアウトした文字で。


『小夜がお前を虐めている犯人だ。小夜を虐め返せば、お前を助けてやる。しかしこの命令を無視すれば、お前も小夜もただでは済まない』


小夜が犯人だと名指ししていることから、差出人は小夜ではないということになる。それとも、そう見えるように小夜が仕組んだのか。いずれにしろ、この手紙の内容は未来を追い詰める。俺は教室に走る。途中で小夜と会った。


「未来、まだ来てないよね?」


小夜が言った。


「教室に行ってないがか?」

「え? 来てるの? じゃあ、どこに?」

「今、捜してる」

「私も捜す。私、二階捜すよ」

「じゃあ、俺は三階。一階は捜してきたから」


すれ違うように二人は走り出す。その必死な顔に、嘘は見受けられなかった、と俺は

確信する。一つ一つ教室を確認していく。一年の未来が三年の教室に行くのは不自然だと思ったが、一応見て回る。特別教室にもいない。小夜が三階に上がってくる。走り回ったせいだろう。声も出せずに首を振って「いない」と表現する。残っているのは屋上しかなかった。


「お前は先生の所いけ」


そう言い残して、屋上へと続く階段を必死に駆け上がった。屋上のドアを開けると、風が強く吹き付けてきた。その途端、白いものが風に乗って飛ばされてきた。俺はそれをジャンプして取る。「遺書」と書いてあった。慌ててフェンスにしがみ付き、下を見下ろした。人垣ができていた。救急車のサイレンが聞こえてきた。フェンスのすぐ内側に、未来の指定の内履きが揃えられていた。未来に駆け寄ったのは小夜だ。小夜は屋上を見上げ、俺と目が合った。小夜は校舎内へと消えた。しばらくして、階段を駆け上る音が聞こえてきた。小夜は屋上に来て、俺としばらく対峙した。正確には俺ではなく、遺書と対峙したのかもしれない。


「未来に嫌がらせしてたの、私なの」


小夜ははっきりとそう言った。


「だって、皆楽しんでたし、誰も助けに入らなかったじゃない。それに、あーゆ―といろいの見てると、イライラするでしょ?」


俺は遺書を小夜に渡した。一ページ目は、小夜への感謝の言葉で埋め尽くされていた。小夜は口に手を当て、嗚咽した。


「未来、ごめん。ごめん、未来」


手紙の内容を読んでから急いで書いたのだろう。遺書の文字は乱雑だった。そして、手紙の内容を信じて、小夜を疑ったことをわびていた。


「お前ら、ずっと友達だったし、永久にそうなったんだろ。あんまり自分を責めるな」

「違う! 少なくても私にとっては未来はイジメの標的だった。それなのに未来が鈍感なのをいいことに、イジメから助けるふりをずっとして、良い気分になって」


小夜には鬼気迫るものがある。まるで何かにおびえているようでもある。そしてその手紙の中の脅迫文を思い出して気付いた。


「あの手紙、本当にお前が書いたがか?」

「そうよ。当然でしょ」


強がった声が震えている。


「あのイジメ、本当にお前だけでやったがか?」

「そ、そうよ。何言ってんの。馬鹿でしょ、あんた」

「じゃあ、何でそんなに怯える? もしかして、お前、誰かに脅されて未来を虐めていたんじゃないがか? イジメの対象は実は二人いた。未来と小夜だ。毎日顔を合わせ、お前は誰よりも遅く学校にいた。そしてお前の過去を知っていて、命令もできる。そうだな?」


小夜は立ち上がって叫んだ。


「そこまで分かってんなら、助けてよ! どっちにしたって、私の人生も終わりよ」

「たった三年間だけ切り取って、人生終わりとか言ってんじゃねえ!」

「でも未来は死んだじゃない!」


俺は押し黙った。小夜は自嘲気味に笑った。


「勝手なこと言わないでよ、馬鹿」


俺は屋上を去ろうとした小夜を止めた。


「今お前が行ったら、危ない。犯人は分かっている。俺が何とかしてみるから、お前はしばらくここにいろ」


そう言って俺は階段を駆け下り、廊下を走り、職員会議中の職員室に乗り込んだ。他の先生が制止するのを振り切り、赤毛のはげたオランウータンのような鬼が憑いている自分のクラスの担任に、向かって叫んだ。


「全部ばらされたくなかったら、表に出ろ!」


担任は血相を変えて職員室から飛び出してきた。「これはうちのクラスの問題ですから」と言いながら俺を睨み、周囲には笑顔を振りまき、俺を小会議室へと連れて行く。未だに幼さが残る童顔で、目が細い三十代の男性教師。名前は森野もりのといった。


「誰が言った? 小夜か?」

「だったら、今度は小夜を標的にするのか? よくあんな残酷なことで来たよな。言っとくけど、俺は見たんだぜよ。先生が未来の机に虫入れるところをな」


嘘だったが、効果はあった。小夜のことを自分で暴露したことに森野は気付いて舌打ちしている。


「そうか、木戸。お前は未来と仲が良かったにかあらんじゃないか。こういうのはどうだ? 恋人の、後追い自殺」


森野が俺を窓際に押し付けてきた。俺は冷静にかつ素早く式を出す。森野の後ろの歪んだ鬼に対して命じる。


(喰らえ)


室内に突風が吹き、森野の体が吹き飛ばされる。俺の犬がオランウータンのような赤鬼を食べ尽くすと、風は止んだ。森野は職員室で自分がやったことを暴露し、免許停止を受け、法による罰も受けた。

 俺は屋上まで一気に駆け上がった。屋上に俺が駆け付けると、小夜がフェンスを上っていて驚いた。


「何しちゅうが!」


小夜に後ろからしがみ付いてフェンスから引きはがす。すると小夜は、だらりと全身の力を抜いて失神してしまった。


「おい、何があった?」


(後追い自殺)という森野の言葉を思い出す。まさか、という思いをかき消すように手が痺れた。


『怖い、怖いよ。痛いよね、きっと。もし失敗したら、植物状態とか車いすとかそんなふうになっちゃうのかな?』


死んだはずの未来が、そこには立っていた。死者の中には、自分が死んだことを知らずにいたり、認められなかったりするものがいる。未来はその両方のパターンだと思えた。


「未来、お前はもう死んだんだ。足を見てみろ」

『令君、私は……』

「いいから自分の足を見ろ」


俺は強くゆっくりと、未来に言い聞かせた。未来は恐る恐る足元に視線を動かした。その途端、未来の叫び声がこだました。とは言っても、その叫び声が聞こえるのは俺だけだった。


『どうして? どうして足がないの?』


未来は体を丸め、あるはずの足を探っていた。もちろん、その手は虚しく空を切るだけだった。


「お前が死んでいるからだ。さっき救急車で運ばれて、死亡確認取れたって職員室で聞いてきたから間違いない」

『嘘! だって私は飛べなかった。怖くて飛び降りるのを止めた。だからそれは違う誰かで、私じゃない』


おそらく、飛ぶことをためらって、バランスを崩して変な落ち方をしている。だからすぐには死ねなかった。そんなところだろうと、俺は察する。


「飛べなかった。でも落ちた時のことは覚えている。叩きつけられたアスファルトにめり込む肉も、肋骨が肺を貫いて血を吐いたことも。その血が熱く食道を逆流したことも。そうだろ?」

『止めて、嘘よ、そんなの』

「認めたくない気持ちはよく分かる。でも、お前は……」


一瞬の遅れが命取りだった。


「これならどう?」


そう言って立ち上がったのは小夜だった。今、小夜の体の中には、悪霊化した未来の魂が入っている。地縛霊が悪霊化しやすいということを俺は失念していた。このままでは未来が小夜を喰らってしまう。俺は式を出すが、二人分の魂が魄の中に入っていて手が出せない。しかし何故こんなことが出来る? まさか、悪霊化の次は人鬼化か? 小夜の魂を未来が喰らって体を乗っ取れば、未来は人鬼となる。


「未来、お前、小夜の魂食べれてねえじゃんかよ」


一つの体に二つの魂が入ることはできない。しかし本体の小夜が失神しているため、未来に付け入る隙を与えたのだ。


「うるさい、今やりゆうよ。私には生きる権利があった。でも小夜は偽善者だった。

私を虐めていたのが、この小夜だなんて」


小夜は涙を流しながら言ってた。


「お前、ここでの俺と小夜の会話聞いていたがか?」


小夜は頷く。


「小夜は担任の森野に利用されただけだぜよ。小学校の時小夜もイジメにあっててさ、お前を虐める代わりに身の安全が保障されてた、ってカラクリだ。イジメを生き抜いてきた小夜にとって、またイジメられるのは悪夢だったろう。イジメの辛さや恐怖はお前が一番知っているはずだろ。それで森野に目を付けられて、お前を虐めるように指示され、逆らえなかった」

「何て、惨いことを。小夜、小夜」


小夜は自分の体を抱きしめた。まるで寒さに凍えるようでもある。


「悪いのは森野なんだ。そして森野も鬼に憑かれていた」

「じゃあ、鬼が憑いていれば何をしてもいいの?」

「それは違う。あれは人から生まれた鬼だった。森野はストレスや嗜好から鬼を育てていた。よくあることだ。ここではまだ鬼は無害だ。でも弱い人間は次の行動に出てしまう。鬼に助長されてな。だから今回悪いのは、鬼と森野の心の弱さだ。鬼は退治した。森野も罰を受ける。今回の事件はこれで終わりなんだ。そろそろ小夜から離れろ」

「そんなんで、許せるわけないでしょう。私、今決めたわ。二人で担任に復讐する」

「復讐ってまさか」


俺の手に静電気のようなものが走る。


「これで、私は未来だけど、体は小夜になった。これからはずっと一緒だよ、小夜」

「喰ったのか? 小夜の魂全て?」


髪結いゴムをリストバンドのようにして眠る雄の顔がふと、浮かんだ。


(駄目な兄さんで悪いな、雄。約束、守れそうない)


不敵な笑顔を浮かべる小夜に向かって、俺は式を放った。


(喰らえ)


小夜はその場に崩れて倒れた。小夜の体を通り抜けた式が黒くなっていた。今回の件で二人も死者を出してしまったことに、俺は責任を感じていた。これでは法律と一緒ではないかと自嘲する。被害を受けてからでないと、被害届を出せない現実。たとえ被害が出ていたとしても被害届がないと動けない警察。そんな法律は役に立たない。式使いも役に立たない。役に立たないものばっかりだ。俺が屋上から去ろうとしたとき、後ろから「令」と小夜の声がした。小夜の体にまた別の鬼が入ったのではないかと心配して振り向く。そこには小夜が頭を抱え、フェンスに寄り掛かる小夜の姿があった。他の鬼の気配はない。


「頭痛と倦怠感がして、目が回ってんのよ。悪いけど、保健室まで連れてってよ」


そうか、小夜はずっと失神していたのか。未来は小夜の魂を一部しか食べていない、成り損ないの人鬼だったのか。


「お安い御用、だぜよ」


俺は小夜に肩を貸し、保健室で別れた。教室に戻ると、すさまじい騒ぎになっていた。俺は一人、雄にどうやってこの黒い式を説明すればよいかを考えた。今日は昼までで授業が終わった。授業と言っても、全校集会では命の尊さを教え、教室では「命」についての作文を書かされた。


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