12.雪

「甲!」


リョーマは鉄パイプを甲の頭めがけて振り下ろした。俺も鉄パイプを拾ってリョーマと対峙する。


「いいの? 命令が出せない雉を放っておいても」


俺は舌打ちする。確かに、牛で雉を守るべきだろう。だが、一挙両得というリョーマの計画に乗ることになる。甲は打ち所が悪かったのか、気絶して倒れたまま動かない。早く病院へ連れて行かなくては、と焦燥にかられる。


「集中しろ。こっちは任せろ」


不意に令の声がした。令は甲の傷が深くないことを確認した。


「黒い鳥に気を取られるな。敵はそいつ一人だ」


令は次々に俺に命令する。令は甲を抱えて鉄パイプで殴り合いをする俺とリョーマから離れた場所に寝かせた。いつの間に令が現れたのかは考える余裕がなかった。だが、あの紙人形が関係しているだろうという察しはついた。


「喰らえ」


そう命じたのは気絶したはずの甲だった。甲は頭を押さえながら、ふらつく足に鞭を打って立っていた。バタバタと逃げ回っていた雉が急に方向転換をし、リョーマの腕をもいでいく。片手になったリョーマの鉄パイプを、俺は思いきり跳ね上げる。金属が転がる音がしてリョーマは素手になった。


「何をしている大通連だいつうれん。早く雉を捕えろ」


リョーマは業を煮やしたように叫んだ。しかし式使いの精密さにかけては甲の得意分野だ。最少の命令で黒い鳥から雉を苦し、隙あらば、攻撃に転じてくる。俺とリョーマのては血だらけになり、ジンジンと痺れていた。体力の消耗は甲が一番激しい。甲は令に支えられ、頭から血を流し、顔を歪めながら雉に指示を出し続ける。もはやそれは、菜摘の仇が目の前にいることで発揮された限界を超えた力だった。俺も膝を折りながら式を出し、リョーマをめがけて命じた。


「喰らえ」

「黒い牛? まさかとは思ったが、もう人鬼を喰らっているのか?」

「それだけじゃないきに。喰らえ!」


令も黒い犬を出して加勢」する。黒い鳥は刀に戻って落下すると同時に消えた。


「くそ、中学生でこの実力とは。しかも犬まで」


いきなりリョーマはその場に倒れた。そしてその頭部から大量の血が流れ出した。


「逃げたな、魄を残して」


令は苦々しく言った。


「逃げ、た?」


これから三対一の有利な戦いが出来る所だったのに、と俺と甲は肩を下ろした。


「鬼との戦いはこんなもんだぜよ。あっちもこっちも命がけだからな。それより早く逃げないとやばいぞ」


そう言われても、感傷に浸らずにはいられない。そこにあるのは確かに秘密を共有した親友の死体。俺と甲はしばらくそこを動けなかった。


「リョーマ、ごめん!」


甲を令が背負い、一緒に走った。そしてまずいことに気が付いた。自転車だ。


「改、俺にこいつの体をくっつけて固定しろ。病院へ案内しろ」

「分かった」


元工場だけあって、ロープはすぐに見つかった。甲の体が落ちないように令の体と一緒にきつく縛っていく。


「よし、いくぞ」


みぞれ交じりの雪が降っていた。その中を、白い息を吐きながら必死に自転車をこいだ。


「木戸さん、最後まで手を出さなかったね。最後はちょっと脅したくらいでしょ?」

「よく分かったな。だって、これは改君と甲君の問題でしょ」

「うん。ありがとう」


甲は令が家まで送り届け、「すぐ病院へ」とだけ伝えて姿を消した。そしてやはり俺の家では俺に説教が始まった。俺だって鉄パイプで全身を殴られ、ぼろぼろで帰って来たのに、だ。


「お前達はどんな危険を冒したか、全く分かっていない。醜女ってのは『古事記』つう八世紀につくられた本に出て来るぜよ。正式には黄泉醜女ってイザナミノミコトが夫であるイザナギノミコトを追わせたものだぜよ。そっから逃げるために色々なもの投げ捨てながら走って、千人で引ける位の大岩引っ張ってきて、黄泉の国と現世との境界を引いた。でもその結界から逃れてきたのが一人いたってことぜよ。それが今回お前たちが取り逃がした奴ちゅうわけや」


「わけ分かんねえ」


自室の布団に入ったまま改は苦しそうに言った。これにはさすがの令もがっくりきた。そこに丸顔の改の祖母が来て、令に頭を下げた。


「このたびは、孫の命を救っていただいて、ありがとうございます」


祖母は泣いていた。それ以上に、祖母が標準語を使っていたことに驚いた。


「おばば、改と甲は強くなってる。だから安心して見ててやってくれ。と、言ってもこの土地では無理だろうが」

「そうですねえ。そうなんですよねえ」


祖母は自分を諭すように頷いた。祖母が汗まみれの手拭いで涙をふく姿を見ると、俺まで泣けてきた。命って大事だな、と思うのと同時に、生かされている命の重さを実感した。





 翌日、令は「サツが来たら、知らないで通せよ」という意味不明な言葉を残して去って行った。しかし令の言葉は徐々に分かってきた。俺と甲は警察の事情聴取を受けたのだ。飛び降り自殺したような状態の死体が、廃工場で見つかったからだ。転がっていた鉄パイプからは俺の指紋が出ていた。自転車で廃工場に向かう俺と甲の姿を目撃した人もいた。甲は階段から転倒したことになっていて、大事をとって検査入院していた。俺も甲も「知らない」で通して証拠不十分で自由の身となった。最大の理由が、坂本竜馬の死体が一年以上たっていたものであるということだった。科学で解明できないものに、世間の目は厳しい。実際、科学などは何かのフィルター越しにしか真実を告げていないにも関わらず、だ。

 俺と甲は自由の身になったが、世間の目は科学で解明できないものよりも厳しく、俺と甲の間にも深い溝が出来ていた。鬼に簡単に操られるほどの甲への欲求不満が露呈し、鬼への考え方の相違も明らかになった。


「これからどうすっべ」


甲の病室で俺は呟くように言った。


「どうもこうも、俺たちは人を殺したんだぞ」

「殺したのは醜女だ。俺たちじゃない」

「だいたい、お前があんな手に引っかからなければ、未来のあり方は変わっていたかもしれない」


甲は顔を赤くして俺を責めた。


「終わったごどば言ったって仕方ないべず。俺が話すだいごどは、これがらのこどだ。部落でも学校でも、俺たちが犯人だと思ってだ。そんな中で暮らしていっけかずよ」

「そんなこと、俺だって分かってだず。そこの二番目の引き出し、開けてみろ」


言われた通りにチェストの二番目を開けると、見たことも聞いたこともない高校のリーフレットやパンフレットが入っていた。住所を見て見ると、関東の住所になっていた。


「俺の母方の祖母の家が、この高校の近くにある。その高校目指さないか?」

「一緒に? 甲となら、どこでだってやっていけるよ」

「喜ぶな」


甲は俺がリョーマを蹂躙しているところを思い出す。月が明るく、艶めかしさと吐き気をもよおすものだった。


「お前が俺に抱いている感情には答えられない。はっきり言って、気持ち悪い」


甲の言葉が胸を刺す。


「わかってる。分かってるよ、そんなこと。でもこれで、俺たちの将来の目標ははっきりしたべ?」


甲は「うん」とあごを引く。


「残りの中学校生活は周りを気にせず、その高校を二人で目指す。そして、醜女を倒す」

「でも、いいなが? 甲ならもっと上の高校入れたべ? 推薦だってあったし」


その関東の高校の大学進学率は決して高くなかった。円グラフをみると就職と進学は半々だ。


「仕方ないべ。お前に合わせたら、そこしかなかったんだから」

「ありがとう、甲。じゃあ、帰る」

「うん。じゃあな」


二人の溝は埋まらない。鬼という存在がなければ、俺と甲は別々の道を歩き始めるだろう。俺はそれが切なくてたまらない。

 



空からは雪が降って来ていた。

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