11.電話
ある休日、俺と甲に電話がかかってきた。電話の相手はリョーマだった。
「もしもし、リョーマです」
「何の用だよ、鬼」
「鬼だなんて失礼な、私にはシコメという名があるんです」
甲はシコメが醜女を指すことにピンときた。『古事記』に出てくる黄泉の国の女の化け物だ。そんなものまで鬼としてやり合わなければならないのか。勝てない相手だ、と甲は舌打ちする。今の二人の実力を合わせても、勝算がない。
「僕、もう少し二人の間に波風がたって、甲を独り占めして、改を追いこんで、とかいろいろ計画があったのに、残念。ところで、今から廃工場で会わない?」
「嫌だね」
「やんだ」
二人同時に即答する。どういうことか、リョーマからかかってきた電話には、三人の会話が成り立っていた。
「あくまで逃げたいなら、僕はそれを阻止できるんだよ」
「お前、鬼に憑かれてるんじゃないのか。リョーマ。お前には母親がいる。赤い血だって流す。甲の事も助けてくれた。」
改はあんなにひどい仕打ちを受けてもなお、リョーマを信じていた。
「鬼に憑かれてる? そうともいうな。その辺の話を詳しくしてやってもいいよ。甲はもっと聞きたいよね?」
リョーマは鼻で笑った。甲の中で初めてリョーマと交わした雑談がよみがえる。
『甲君のお母さん美人でしょ?』
何故あの時気付けなかったのか、と自責する。
『甲君、かっこいいもんね』
何故俺が母親似だと断言できたのか。菜摘の写真も見せていないのに。母にも菜摘にも会っていないのに。
「リョーマ、お前、あの事件に絡んでんのか?」
ややあって、「そうだよ」と歌うように返って来た。
「甲、罠だ! 口車に乗せられちゃ駄目だ!」
「これは俺の問題だ! 改は引っ込んでろ!」
「駄目だって。俺たちの命がかかってるんだぞ!」
「知ってるも何も、あの子殺した鬼を食べたの、僕だから」
電話口から、楽しげな笑い声と共に決定打が放たれた。リョーマは今、菜摘の仇は自分だと言い放ったのだ。これで甲はもう逃げない。と、いうことは、俺も逃げるわけにはいかない。
「じゃあ、廃工場の資材置き場で待ってるよ」
リョーマの電話が切れると、ほぼ同時に甲の電話も切れた。俺は焦る気持ちを抑え、令に電話をした。令は和紙で作った紙人形を持っていくように指示した。障子紙で人形を作ると、ポケットの中に入れ、自転車をこいだ。甲より先に行って、俺が相打ちにでも持ち込まなければならない。俺の覚悟は、何があっても甲を守ることなのだから。立ちながら自転車をこぐと、耳がちぎれそうに痛かった。前方に黄土色のコートが見えた。甲だ。俺は楽々と甲を抜き去り、小学校に近い廃工場へとやってきた。自転車を砂利に投げ捨て、大きな音をたてる。資材置き場を探すと、そこだけ電気が灯っているのですぐに分かった。トタン屋根が錆びついてひしゃげている。ドアにのぞき窓があったが、くもりガラスのせいか、埃のせいか、中の様子は分からない。改がドアノブに手をかけようとしたとき、ガシャンと金属音がした。振り返ると、甲が息を殺して走って来ていた。
「なんでお前が」
「こっちのセリフだず」
「開けるぞ」
「うん」と、俺は首肯する。錆びついたドアを甲は勢いよく開けた。そこには黒いコートとチェック柄のマフラーを身につけたリョーマがいた。いつもと変わらない笑顔だ。つい先日のことが夢の様に思えた。また三人で楽しく過ごせるような錯覚に陥る。しかしその幻想はすぐに消える。
「待ちくたびれちゃったよ、二人とも。早く式を出してよ、雉さん、牛さん」
そうだ、こいつはリョーマの仮面をかぶった鬼だ。俺が式を出そうとすると、甲がそれを制した。
「質問に答えるのが先だ」
リョーマはコートの下から刀を出した。美しい日本刀だ。
「力関係、分かってる? でもまあ、いいや。二人には楽しませてもらったし」
「電話で言っていたな。憑かれていると言えるが、そうとも言えないというのはどういうことだ?」
「冷静だね、甲。菜摘のことを一番にききたいくせに」
「それとこれとは無関係だろうが」
甲は怒気を強めた。
「そうかな?」
甲はリョーマを睨みつけ、リョーマは楽しげに笑う。
「魄は間違いなく実在の人物、坂本竜馬のもの。サッカー部のエースだった彼はその容姿にファンも多く、妬みをかって先輩たちから性的暴行を受けるようになり、自殺した。だから魂が抜けて死体となった魄に僕が入って坂本竜馬はめでたく生還したわけ」
リョーマは笑いながら、淡々と話した。俺と甲は青ざめて動けなくなった。リョーマに憑いている鬼はリョーマの魂魄そのものなのだ。リョーマに憑いている鬼を喰い殺すこと、それは、リョーマの死を意味している。人一人の命を奪うということだ。その事実が二人に重くのしかかる。
「ちなみに僕の両親は、坂本竜馬本人の両親だ。まあ、僕の性格の変貌ぶりに戸惑ってはいたけれど」
俺たちは目を見開いた。このリョーマの死体にとり憑いている醜女を殺せば、両親から再び子供を奪うことも背負わなければならない。
「それだけじゃないよね、甲。もう一つ聞きたいんでしょ? 菜摘のこと」
「お前がその名前を口にするな!」
リョーマは喉を鳴らして笑っている。まるで小動物を痛めつけて楽しんでいるような残虐性に満ちた笑顔だった。
「お前が関わったことで菜摘は死んだのか? お前さえいなければ、菜摘は死なずに済んだのか?」
「僕がやったのは一つだけだよ。まあ、僕がいなくても今獄中にいる犯人から生まれた色欲の鬼が菜摘を手にかけていたから、僕がいなくても菜摘は死んでいただろうな。ただ、僕はそれを傍観していて、食べごろになったらその鬼を食べた。色欲の鬼は菜摘を食べていた。魂をね。そして僕が色欲の鬼を喰った。つまり、菜摘の魂魄はここにとらわれたままだ」
リョーマは自分の腹をさすった。鬼同士は共食いする。自分が強くなるために。そして強い鬼がさらに強い鬼に食べられる。菜摘の魂は甲の姉であるために価値があったと考えられた。その為にリョーマは色欲の鬼ごと菜摘の魂を食べたのだろう。
「甲、残念なお知らせがまだある。僕がまいた魂の種なんだけどね、普通あんなにうまく発芽しないんだよ。改はよっぽど君を冒したいらしいよ」
リョーマは今度は声を立てて笑った。甲も俺も拳を震わせながらも、動けない。坂本竜馬の幸せな家族を崩壊させて、菜摘の解放を願う。それは正しい事なのか。甲は菜摘を失った家族を目にしている。自分もその家族の一人だった。甲にとってこの状況は心が折れそうな状況だった。おれは、そもそも、この鬼との戦いは不毛なのではないかと思った。菜摘が解放されるなんて嘘だったとしたら、この鬼は間違った存在ではないのではないか。
「早く牛と雉を出しなよ。じゃないとこっちから行っちゃうよ」
式は特別な鬼。強いうえに、様々な鬼を腹の中にため込んでいる。リョーマほどの鬼を果たして倒せるか? リョーマを殺せるか? 甲は長い思案の内に、式を出すことを選んだ。白い一羽の雉が舞い降りる。
「待てよ、甲」
俺は甲とリョーマの間に入った。
「確かに、リョーマのような鬼の存在は間違っているかもしれない。でも、存在自体は認めてもいいんじゃないかな?」
「反対だ。鬼の存在は間違っていない。でもこの世に害がある限り、存在を認めるわけにはいかない」
どけ、と言わんばかりに俺を押しやり、甲はリョーマに対峙した。
「じゃあ、最初は雉鍋といきますか」
リョーマは日本刀を地面に突き刺した。
「これ、最近喰った鬼からもらったんだけど、式に対抗するには便利でね」
刀は黒い靄をまとい、見えなくなったかと思うと、黒い猛禽類の姿に変わった。大型の猛禽類と化した刀が雉を襲う。
(よけろ)
甲の的確な指示で、雉が猛禽類を軽やかにかわす。
「そっちに気を取られてていいのかな?」
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