7.転校生

 菜摘の事件から一年がたち、俺と甲は中学校に入学した。菜摘が生きていれば、一緒に通えたはずの中学校だ。俺たちの評判は良くない。イジメという子供臭いものではなかったが、シカトという現象によく似ていた。甲の姉の事件は全国ニュースにもなり、地元新聞が大きく取り上げた。そのせいで、過剰に甲を憐れむ声もあった。どうやら俺たちは「呪われる」だとか「祟られる」だとか、とにかく「さわらぬ神に祟りなし」と言われているらしい。「呪い」や「祟り」が非現実だとしても、「あの二人に関わると、よくないことに巻き込まれる」と、陰で言われているらしい。甲はそんな周囲の目を気にせず、勉強にスポーツと、様々なことに打ち込んでいた。甲のストイックな姿は、外見がクールな分ギャップを感じさせ、徐々にではあるが、周囲から尊敬のまなざしを獲得していった。何人かからは甲は告白を受けたようだが、結果は押して知るべしだった。生徒手帳に菜摘の写真を入れて持ち歩いている甲が、他の女子生徒に興味を持つはずがなかった。一方の俺はというと、早朝の筋トレから授業中は睡眠時間となり、夕方の部活に励むような本末転倒の中学生活を送っていた。生活指導は何度も受けたが、直す気は全くなかった。そのおかげで、何故か男友達が多くできた。俺にとってはハーレム状態だ。俺と甲は偶然か必然か同じクラスになり、席も隣同士ということで、嬉しい事この上なしの状況だった。中学校には給食があった。甲は毎日生徒手帳が入った胸ポケットに手を当て、長く「いただきます」をしてから給食を食べていた。俺はそれが終わるまで給食に手を付けないでいた。他の奴らはそれを訝しんだが、俺はその意味を理解していた。そんなこんなで、初めの一年間は名誉挽回、汚名返上の年だった。ただし、妙な噂が完全に消えるわけでもなく、新しいホモセクシャル説まで登場し、甲は不快がっていた。俺には正論だったので、反論も何もない。

 二年にあがると、幸か不幸かまた俺と甲は同じクラスになった。ただし席だけは不運にも離れてしまった。朝礼の終わりに抜き打ちの生徒指導が入った。甲は俺を見下すように、楽々と指導を抜けていった。俺はといえば、ワイシャツの下に赤いどくろのティーシャツを着ていて減点。ワックスと髪の色で減点、生徒手帳不携帯とピアスで減点と挙げればきりがなかった。結局最後まで居残りさせられ、説教された。これで授業に遅れるのだから元も子もないと言いたいのを我慢して、「はい」と生返事を繰り返してやっと解放された。こうして一人で教室に帰ろうとすると、後ろから声がかかった。


「すみません、職員室はどこですか?」


まだ声変わりしていない控えめな声だった。背が低く丸顔で丸い目をしている。その

上に丸い眼鏡をしている。新一年生かな、と俺は思う。制服も内履きも真新しい。


「ああ、すぐそこたよ。ほら」


俺は「職員室」のプラカードを指さす。


「あ、本当だ。ありがとうございます」


少年は頭を下げて職員室に入って行った。あれでセーラー服でも着ていたら、女の子といってもごまかせるのではないか。教室に戻ると、皆ががやがやと騒ぐ中で、甲だけが予習に励んでいた。


「何があったんが?」


俺は甲の邪魔にならないように、他の友達にきいていた。


「うちのクラスさ転校生くるんだど」

「転校生?」


二年生での転校生。転校生にはいつも「何でこんな時期に?」が付きまとう。確かに春のクラス替えの時期の方が適していた気がした。わざわざこんな暑い時期を選ぶ方が間違いだ。


「男? 女?」

「男らしい。美少女じゃなくて残念だったな」

「関西の方から来たらしいぞ」


周囲で情報が錯綜している。甲も予習をしながら聞き耳を立てている。転校生は共同体の外から入ってくるというように、一種の「鬼」なのだ。

 担任の先生が先に入ってくる。次に続いたのは、先ほど会ったばかりの少年だった。まさか同じ年とは思えなかった。学ランがぶかぶかで、かわいらしさを演出している。先生は黒板に「坂本竜馬」と書いた。歴史嫌いな俺でもいやおうなしに覚えている字面だった。完璧に名前負けしているし、名前と体にギャップがあり過ぎる。先生に勧められ、竜馬は一歩前に出た。


「初めまして。坂本竜馬さかもとたつまです」


そうか、「たつま」とも読む。だが残念なことに彼のあだ名は十中八九、決まったようなものだ。


「京都の学校ではリョーマと呼ばれていたので、そう呼んでください。皆さんとは言葉も文化も違っていますが、早く仲良くなれたらいいなと思います。よろしくお願いします」


彼自身があだ名の決定打を打った。上品な関西弁のイントネーションが印象的だ。リョーマの席は甲の隣に用意されていた。おそらく、教育的な配慮がなされたのだろう。リョーマが甲に一礼するのが見えた。甲も慇懃に頭を下げていたが、無表情だった。俺も甲もリョーマという一種の「鬼」を観察していたが、ただの「人」ということで納得した。位時間目は体育だった。皆、交渉と自分の名前が入った青い運動着に着替える。女子には更衣室があるが、男子にはないため、男子は教室で着替える。


「どうしたんだ、運動着」


甲はリョーマのえんじ色の運動着を見て言った。名前は入っていたが、校章の刺繍も違う。


「運動着の名前の刺繍がまだだったから、取りあえず、前の学校ので良いって先生が言ってくれたんだよ」

「そっか、大変だな。おい、改」


甲が前方で手招きする。


「お前、運動着の替え、持ってないか?」

「持ってね」

「いいよ、いいよ。きにせんといて。それより、はよいこ」


リョーマはグラウンドを指さす。今日はサッカーだと教師が言っていたのを思い出す。俺たちはあからさまに嫌な顔をする。


「どうしたの?」

「何でもない。いくべ」


三人は大股で歩きだした。リョーマが走るようについてくる。人間的に未成熟なものがたまにいて、球技となると改や甲の顔を狙ってくる奴がたまにいる。特にサッカーは足を引っ掛けられたり、蹴られたりするのだ。


「今日はどっちだと思う?」

「前に俺がやらっださげ、次はお前だべ」

「んだな」

「リョーマ、あんまり俺たちと関わらない方がいいぞ」

「何で?」

「何でもだ」

「だって先生は甲君に何でもきけって言ってたし、改君は僕に親切にしてくれたじゃない」


リョーマは二人の刺繍の名前を確認しながら言った。


「まあ、今日のサッカー見れば分かるから」


甲はそう言って、内履きと外履きを交換する。改はとんとん、とつま先を地面にたたきつけて靴を履く。甲は指で踵を靴の中に押し込む。

 グラウンドに整列させられ、二つのチームに分けられた。俺と甲は同じチームに入った。リョーマとは離れてしまった。


「今回のキーパー、改でいいだろ」


一人がそういうと、皆がそれでいいんじゃないか、」という雰囲気になる。俺は仕方なくゴールへと向かう。これで顔面強打で鼻血を出すのは確定した。甲の方も、足のけがを免れない。サッカーといっても中学生のボール遊びだ。役割分担などせずに、砂糖に群がる蟻のようにボールを皆が追いかける。甲はその様子を少し離れたところから見ていた。ボールが集団の中から転がり出るのを冷静に待つ。甲を含む何人かは、はたから見ると傍観者のように見えた。やがて、悪意からか善意からか、はたまた偶然か、甲の方にボールが転がり出てきた。甲は相手のゴールを目指してボールを運んだが、傍観者が一斉に動き、余計なスライディングや守りを見せた。傍観者こそ本質的に残忍なものを持っていると俺は肝に銘じる。甲はボールにではなく足を蹴られ、転び、さらに弁慶の泣き所を蹴られていた。俺は助けに行きたいのだが、ゴールから離れられない。皆はそれが分かっていて俺にゴールを任せているのだ。そこに、救世主が現れた。甲が持っていたボールを軽やかなステップで奪い、ボールを持ったまま、スピードを上げて俺に迫ってくる。近づくにつれて、その救世主がリョウーマであることが分かった。リョーマの放ったボールは弧を描いてゴールに吸い込まれた。皆がそのテクニックに口を開けてぽかんとしていた。


「前の中学でサッカー部だったんだよ。一応、エースって呼ばれてたんだよ」


照れながらそう言い残し、リョーマは走って行った。


「甲君、大丈夫?」

「いつものことだから、心配すんな。かすり傷程度だよ」


甲はリョーマの手に捕まって立ち上がった。


「先生、甲君を保健室に連れて行きます」


リョーマはそう宣言して、甲をグラウンドから連れ出そうとする。


「先生、俺も」


と、俺も付き添いを申し出たが、却下された。連れ添う二人に俺は少しだけ嫉妬した。甲はリョーマが右足を引きずっていることに気付いた。見れば白いソックスに血がにじんでいる。

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