5.覚悟

「そう、死ぬ。だから、鬼と向かい合うときはいつも命がけぜ。覚えとき。強い鬼からは逃げとくちゅうこと。まだ小学生だ。死ぬには早すぎる」


そうだ、小学生だ。春休み明けには六年生だ。そんな短い人生で、死ぬなんて考えられない。実感がわかない。ただあの時は、甲を助けた一心で、何も考えずに式を道具のように使ってしまった。もしあのとき、令の犬が割り込んでくれなかったら、と考えてぞっとした。そして今になって問いたい。借金を苦にした両親は、全財産を俺に譲ると書いて湖に身を投げた。全財産とは借金のことだったから、俺はそれを拒否した。写真でしか顔も知らない父さん、母さん、死ぬのはやっぱり怖かったですか? 借金と死ぬのとでは、借金の方が怖かったですか?


「改、お前にあいつらが喰えるか?」


令が指さしたのは、両親の遺影だった。正確には、そうきかされて育った写真だった。それを正面にした俺は頭を振った。


「覚悟ちゅうんは、こういうことだ」


令は背面にある遺影を指さしながら、犬を放った。犬はそこに映っている胸像を引きずり出して、むしゃむしゃと食べていた。思わず立ち上がった俺だったが、なすすべもなく立っていただけだった。


「父さん、母さん。ひどいよ、止めさせて」

「それ、本当はお前の役目だったんだぞ。改。その鬼は、お前の感傷によって作り出された鬼だぜ。昔から絵姿や写真には鬼が入りやすい。次からは俺はいんぜ。気を付けろ」

「そんなごと……」


俺は泣きそうになった。もしかしたら、泣いていたのかもしれない。遺影を見れば、いつの間にか写真はもとに戻っていた。


「心を鬼にするちゅうことは大切なことだぜよ。大体、式も魄ってことで鬼と一緒だから、式を御するにもそんな精神状態じゃいかんぜ」

「式も、鬼?」


俺は令の向かい側に座り直した。


「当たり前ぜ。何きいとるがか。式は魂の一部。それを式にするってことはな、自分も鬼になるちゅうことぜよ。式を使ったら人生終わり。鬼として生きてくんだぜよ。もう一回言う。一度決まった人生から逃げ出すな。もし生から逃げれば、死がまちょる」


もう、俺の人生は終わってる? 第二の人生は鬼として既に再出発している? 俺の頭の中は混乱した。


「改、もう一つ」

「止めでけろ。もう聞ぎだぐない」


俺は泣きながら家を飛び出した。令は大きく深いため息をついた。山裾まで広がる田んぼの真ん中に立って、声をあげて泣いた。ここなら誰にも俺の声は聞こえない。だから俺は辛いことがあるといつもここで泣いていた。吹き付ける風が、全てをさらっていくように感じた。心を鬼にする? 俺も式を使っているから鬼?


「わけわかんねえず! 鬼、鬼、鬼ってうるせー!」


俺は逆風に叫んだ。罵詈雑言を並べ立てて、次々に叫ぶ内に胸がすっとした。そして初めて式を使った時も、こんなふうに必死で叫んだな、と思い出した。そうだった。両親は過去に死んでしまったが、俺は今を生きていて、現在に大切な人がいる。甲や祖父母や、菜摘のためだったら、鬼にでもなってやる。そんな気がしてきた。


「木戸さんに明日謝ってみよう」


そう呟いて、俺は家に戻った。

 翌日俺は、ラジオ体操よりも早く起きた。外で令を待つ作戦だ。しかし俺はランニング帰りの令と会うことになった。


「どうした、今日は早起きだな」

「木戸さんこそ、何時に起きてやってるんですか?」


俺はあくびをかみ殺しながら言った。


「三時」

「えー、それって夜ですよ」

「何いっちゅうがか。俺たちにとって丑三つ時の最後のパトロールは大事だぜよ」

「丑三つ時?」

「ああ、そういうのは朝食の後だ。今はこっち優先」


そう言いながら令は腕立て伏せを始めた。俺も黙って令の筋トレに付き合った。


「昨日はすみませんでした」


息を切らしながら俺が言うと、木戸はややあって、「ああ、あれか。全然気にしてなかった。つーか、俺、嫌なことはすぐに忘れるハッピー体質だから」と本当に昨日のことなど覚えていなかった。結局俺はハードな令の筋トレにはついていけず、午前中は疲れて眠ってしまったため、令の講義は午後から行われることとなった。


「あと一つだけ、東北に住んでる甲と改には知っておいてほしいことがあるぜよ」

「あと一つ」という言葉に、息をのむ。

「歴史の勉強だぜ」

「えーっ」


思わず抗議の声をあげる。


「あとは簡単な数学」

「算数だもん」

「まあ、簡単な話だぜ」


そう言いながら、令は紙とペンを取り出した。神の中央に円を描き、俺に渡した。


「円の中は中央政府。昔は近畿。今は東京。今でこそ海外が外であったり、田舎がノスタルジックないい意味での外になった。だけど昔は違った。中央以外は鬼の住む恐ろしい所だったんだぜよ。特に東北は、征夷大将軍って役職があるほどに警戒された。つまり、改君と甲君は名実共に鬼の子孫なんだぜよ」

「征夷大将軍くらいは聞いたことがあるような」

「まあ、これは知らなくてもやっていけるから。後は、式の使い方だな」


ようやく実践か、と胸をなで下ろしたが、考えが甘かった。出には禅寺があるのだが、まずそこで三十分も座禅を組まされた。禅は普通十五分程度、それでも足の感覚はなくなる。それをいっきに二倍したのだ。案の定、俺はしばらく立てなかった。信じられないことに、令はこれを朝昼晩に分けて、三時間も行っているらしい。平常心がないと自ら鬼をうんだり、式を暴走させかねないからだという。


「そういえば、木戸さんが言っていたウシミツドキって、何ですか?」

「昔、干支で時間を表していた時の言葉ぜよ。草木も眠る丑三つ時って言葉があるくらいでさ、その時間には鬼が出やすいんだ。有名なのは金輪の鬼の話かな。人でありながら鬼となり、相手に見立てた藁人形に五寸釘を打ち込んで呪い殺すってやつ」

「人でありながら鬼?そんな場合、式に喰わせられないでしょ? 木戸さんならどうするんですか?」

「喰う」


即答だった。


「人に害を成す鬼は、迷わず喰う」


俺は目を見張った。令は言ったではないか。生きている人は魂魄を持ち、魂を喰われると死んでしまう危険性があると。人を殺してまで鬼を喰うのか、と俺は狼狽する。同時に、これが令の覚悟だと知らされる。

 午後からは式を使った練習となった。令の式はそこにいるだけで気品や風格というものを兼ね備えていた。令に忠実そうに、命令を待っている。一方の俺の式は見るからに貧弱で俺に隠れるようにしている。自分の式ながら情けない気分になる。


「さあ、駆けっこだ。式をもっと意識しろ! 牛はそんなに小さく弱弱しいか⁉」


令は俺を挑発してから命じた。


(追え)


犬が牛に吠え掛かる。牛は自分の危険を察知して俺が命じる前に走り出していた。


「ほら、ちゃんと式を御せ! 俺たちも行くぜ!」


そう言いながら令は走り出した。俺も慌ててその後を追う。体力だけには自信があった俺は、令にすぐに追いつけると思っていた。しかし、追いつくどころか令にどんどん離されていく。毎日のトレーニングがこうして生かされているのだと思い知らされる。式を追ってたどり着いたのは俺のストレス発散場所だった。牛は田んぼが見渡せいつも風が強いこの場所を、安全だとして逃げてきた。しかし令の犬にあっという間に追いつかれたらしい。(そうか、お前は俺なのか。逃げてくる場所はここなのか)

俺は痛切にそれを感じた。その時だった。牛の体がむくむくと大きくなり、犬を角で跳ね上げると蹄を鳴らして立ち上がった。


「おお、やるじゃないか。立派な黒毛和牛だぜ」


令はいつの間にか自分の足元に控えていた式を撫でながら、冗談交じりに素直に称賛した。こうして令と一緒に式を使う練習をし、様々な話を聞き、春休みの宿題に追われ、春休みはあっという間に終わった。令も実家に帰り仏壇には誰もいなくなった。毎日令とは家族のように接していたため、別れは寂しかった。

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