4.一心同体
「そう。その木は鬼とつながってるぜ」
令は空中に「鬼」と書いた。
「木戸は鬼門。裏木ちゅう珍しい名字は裏鬼門を、それぞれ表してる」
俺は釈然としなかった。
「それって、こじ付けっていうか、無理があるんじゃ……」
「まあ、目印程度に考えとき。名字にそんなんが入ってる奴がいたら、注意して見といて」
そういえば、甲の名字は南原だったことを思いだし、目印としてはあながち間違いでもなかったと考え直す。
「分かりました」
「素直でよろしい。もしめぼしい奴見つけたら、俺の携帯に連絡して」
令はそう言って、メモ用紙を俺に渡した。
「それより、よく子供とはいえ、天狗を相手にようやったな」
話しが過去の話に逆戻りした。
「子供?」
「黒滝山を守ってる天狗の女の子だったんだ。母親が人間だったから、半分は人。人鬼や。改君の牛は生まれたてほやほやの式。人鬼は喰えても、純粋な鬼の部分は食べられなかった。そこに俺が割って入ったから、天狗の女の子は山へ帰った」
「でも、その後仕返しに、菜摘ちゃん、甲のお姉ちゃんをさらいに来たよ」
「まあ、せっかく山を治めているのに、子供に大けがさせられたら親心としては分からなくもない。でも、だからおかしい」
「何が?」
「山一つを治めるほどの土地神が、それくらいで祟るか? あの場にいなかったナツミちゃんを連れ去るってのも、筋が通らない。もしかしたら、ナツミちゃんを最初から狙っていた別の鬼が、天狗のふりをしていたのかもしれない」
俺は背筋に寒いものを感じた。あの腹痛から推測できる鬼の強さは牛より上だ。目の前で菜摘がさらわれても、何もできなかったということか。甲はそれを知っていたのだろうか。
「甲という式使いの姉だから狙われたんだろうな」
令は平然と残酷なことを口にする。弱肉強食という、祖母の言葉を思い出す。
「本当に……」
声が震えてうまく声が出せない。一呼吸置いてから唾を飲み込む。
「本当に、ないんですか? この鬼ごっこから抜け出す方法は」
俺は令にすがるようにそう言った。だが令は、無情にも首を横に振った。
「強くなれ。運命から逃げ出そうと考えるな。大丈夫。誰でも最初はぶつかる壁やき。その為に春休みつぶしてわざわざきちゅうが」
「じゃあ、何で俺たちなんだず? 俺たちは何もしていないのに」
俺は令に当てつけのようにわめいていた。どうしてこの科学の発展したハイテクな時代に、オカルトに振り回される人生を送らなければならないのだ。何度か同じ質問を受けているのか、令は極めて冷静だった。
「何故、俺たちなのかは分からない。強いて言うなら、そんな星の下に生まれてしまったとしか言いようがない。そして俺たちは普通に生きてはいられない。何故現代で鬼退治なのか。それは末法だからだ」
末法とは、釈迦入滅後の仏教流布の期間を三区分した最後の時期である。像法の後の一万年を指し、仏の教えが廃れ、修行するものも悟りを開くものもなく、教法のみが残る時期とされる。日本では千五十二年から末法に入った。平安時代から鎌倉時代にかけてこの思想は流行し、人々を不安に貶める一方、仏教者の真剣な求道者を生み出した。
「千五十二年って、そんなに長くから人は鬼と戦ってきたっていうんですか? そのたびに八人が選ばれて? そんなの仏教の勝手な思い込みだべっす。お坊さんたちにでも任せたらいいじゃないですか。しかも、日本だけって……、不条理にもほどがある」
「末法思想はヨーロッパにもある。ただあっちは終末思想っていうらしいけどな」
紀元千年がキリスト降誕後千年にあたり、『ヨハネ黙示録』に描かれた世界の終末がその年に当たるのではないか、というものである。
「だいたい、仏教が廃れたから俺たちに頼んどんのに、坊主に頼んでどうする。どうだ、難しいがか? 今日はこれくらいにして、明日にするか」
「あの、こういう話だったら、甲にも教えた方がいいんじゃないですか?」
「ああ、南原ねえ。いや、俺は一人教えんのが精一杯。改君は人鬼喰ってるし、おばばの頼みもある。甲君の方は、式をまだ使ったこともないし、時間があったら、改君の方から教えてやって。ちなみに甲君の式は雉、朱雀守護、受信は目」
そうリズミカルに言った令は笑った。
翌日、昨日の説法がよほどこたえたのか、寝坊した。元々勉強が嫌いな俺にとって、令の説明は苦痛でしかない。今日も昨日のような難しい話をされるのかと思うと、頭痛と吐き気をもよおす。「おはようございます」と挨拶をして令が使っていた仏間を開けると、そこには令の姿はなく、代わりに布団がきっちりたたんであった。祖母は令の分と合わせて四人分の朝食を用意していた。
「おはよう、婆ちゃん。木戸さんは?」
「外で運動ばしった。お前も少しは見習え」
朝から怒られて不機嫌な俺は、令の運動を見に来ていた。朝の空気は気持ちがいい。学ラン姿だった令は、運動着に着替えて熱心に運動していた。それは鬼気迫るような熱心な運動で、声もかけにくかった。片手で腕立て伏せをやったり、ものすごい速さで縄跳びをしたりして汗だくになっていた。俺は思わずそのしなやかな筋肉に見とれてしまった。
「改君。おはよう」
俺に気付いた令が声をかけてきた。俺は目のやり場に困る。
「朝食です」
緊張しながらそう言うと、令は「着替えてから行くから」と返した。
「筋トレが趣味なんですか?」
朝食をとりながら、俺は令に聞いた。
「嫌いじゃないけど、好きでもない」
「じゃあ、何であんなに一生懸命に?」
「式と俺は一心同体だからな。式は使うだけの道具じゃなくて、自分とつながちゅう生きものだ。式に頼ってばかりで自分を甘やかしたら、きっとどっかで足元すくわれる」
「一心同体?」
「よーし、今日はここからだぜ」
令は水を得た魚のように生き生きとしながら、手を打った。話をそらそうとした俺は内心で舌打ちした。
「人間には魂と魄がある。天に属する陽気と、地に属する陰気にそれぞれ対応しちょる。人が死ぬと魂魄は分離して陽魂は天へ昇り、陰魄は地に留まる。ここまではいいがか?」
「はあ、まあ。でもそれと式と関係ないんじゃ……」
俺が歯切れの悪い回答を返すと、令は声を立てて笑った。令は本当によく笑う。難しい話をしているのに、場の空気が重くならない。
「それが大あり! 俺たちはな、本来生きている間は結びついている魂魄が分離しとんねん。陰魄は体をつくちゅう。陽魂は、一球入魂というように、魂を司っとる。体が魄で、身体を動かすエネルギーが魂だと思えばいい。体の中にエネルギーを一個置いて、他のエネルギーを分離させて式を使う。それが俺等式使いのカラクリちゅうこと」
「じゃあ、エネルギーがなくなったら、式は使えないってこと?」
「ああ、式が鬼に喰らわれるちゅうことは、必要最低限のエネルギーしかなくなるちゅうことぜよ。最悪、死んでしまう」
「死ぬ⁉」
議論の核心に迫って令の方言も気にしなくなっていた俺だが、あまりの衝撃的な結論に叫び声を上げていた。
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