3.タユウ

 甲と俺は小学校五年生になっていた。今日は卒業式を迎える前の「お別れ会」の日だ。俺は、椅子を並べたり、飾りつけなどを行っていた。役を貰った甲を含む数人の生徒たちは、進行の打ち合わせや、先生との相談でさらに忙しそうだった。つつがなく「お別れ会」は終了し、卒業生の代表がお礼を述べて劇が始まった。六年生のお礼の劇は学校の伝統行事のようなものである。今回の演目は『黒滝山の天狗』で、菜摘がヒロイン役を演じるのだと甲は誇らしげに語っていた。俺と菜摘は甲の事があるのでライバル関係にある。進行役の甲は、幕が上がるのを今か今かと待ち望んでいる。俺はそれが気に食わない。そんな俺を無視して幕が上がる。のんびりとした昔の農村の様子が段ボールなど、手作り感満載で表現されていた。舞台中央に、花を持った菜摘が登場する。ライバルながら、菜摘のかわいらしさには一目置く。花と「花」の競演に会場の雰囲気さえ変わる。それと同時に風の音が鳴り始め、ステージ上で突風が吹く。「凝ってますね」と、先生方がいう。六年生の先生方は首を傾げる。俺の腹も「これはおかしい」と訴え始める。やがて風を背負って天狗役の男の子が出てきて、村に残りたいと願う菜摘を連れ去ろうとする。俺は寒い体育館で一人だけ脂汗をかいて、腹の痛みに耐えていた。ステージ上では小学生とは思えない迫真の演技が続いている。しかし菜摘も、天狗役の子も様子がおかしい。ばさっ、と羽音がしたかと思うと、菜摘の体が天狗役の子に抱えられたまま浮かんでいる。


(気付け! 甲!)


俺は思わず腰を浮かせていた。その時、後ろを振り向いた甲と目が合った。ステージには幕が下ろされている。甲が大きく首を振った。結局劇は、天狗役の子供が交代して行われた。幼稚ではあったが、安心して見られる劇だった。俺たち五年生は会場の後片付けの為に最後まで残っていた。俺は紙の鎖を外す甲に近づいた。菜摘は俺の恋敵であると同時に恋敵でもある。


「あれ、変だっけ」


訝しげな顔で、甲は台から降りてきた。


「俺たちの目の前で」


鬼を喰える人間が二人もいる所で。


「甲のすぐ側で」


本当に菜摘が好きなら、何故式を使わなかったのか。


「もし菜摘がいねぐなったら……」

「馬鹿なこと言うなよ」


甲は俺の言葉をふさいだ。

(馬鹿なこと?)おれは一瞬、耳を疑った。


「こんな大勢の前で、しかも劇中に人一人いなくなるわけないだろ。実際大丈夫だったし、何むきになってんだよ」


お前、気づいてないのか? 甲。天狗だぞ。あの時俺が喰いそこねた天狗だぞ。お前に約束を破られて、仕返しに来たんだ。俺は甲を殴るのを我慢していた。


「甲、お前、本当に菜摘の事好きだが?」


本当に好きなら、何故あの時俺を制止した? 何故自分から動こうとしなかった? 甲がこの会を成功させたかったのは分かる。菜摘の劇を壊したくなかったのも分かる。それでも菜摘は訴えていた。「助けて」と、甲に向かって。


「止めろよ、こんなところで」


顔を赤くした甲がそっぽを向いた。俺は拳を震わせていた。


「お前、おがすいって思ってでも座ってだっけ」


甲、お前が菜摘を好きだって気持ちはそんなものなのか? そんなものの為に、俺はお前をあきらめなくちゃいけないのか?


「いーつも、いーつも、甲は恥ずがすいがらって、あれも駄目、これも駄目。もしもの時、人がみっだっけごんたら、何もでぎねーんがず!」


いつも甲は優等生だ。でも、もしもの時何もできないなら優等生の意味がない!


「馬鹿! 甲も菜摘も大嫌いだは!」


必死に涙をこらえて俺は叫んだ。そして涙をこらえたまま片づけに没頭した。俺と甲は目を合わせなくなっていた。もちろん口も利かない。帰りもばらばらだ。そしてこのまま春休みに入ってしまった。

 



 いつもは互いの家を往来する俺と甲だったが、今回は全く会わなかった。しかし俺は甲の代わりにある人と会っていた。白髪の髪をオールバックにして、青い目をサングラスで隠していた。あごのラインは細く、初めは外国人かと思った。しかしそれらは俺の偏見で、色素が薄いだけだという。


「タユウの令さんだ。遠い所がらわざわざ、ござてけださげて、失礼すんなよ」


祖母が恭しくその少年に接するので、俺も頭を下げた。令はそれを見て声を立てて笑った。


「なあ、おばば。俺は改君と友達になりに来たぜ。堅苦しいことはなしにしとこうや」


令は正座から胡坐をかいて、俺にも足を崩すように言った。祖母は令の指示で部屋を出て行った。


「これから話しちゅうことは、むやみやたらに話したらいかんぜ。確か、南原甲ちゅう奴がおるやろ? そいつにだけは話しとき」


話せと言われても、今の俺と甲は冷戦中だ。しかし鬼の話なら聞いてくれる気がした。冷戦解決の糸口が見えたようで、俺はひそかに胸をなで下ろした。


「さっそく本題だぜ。これが俺の式や」


令に寄り添うように、一匹の黒い犬が出てきた。筋肉がしなやかで、表情も凛々しい日本犬だ。


「牛は?」

「ああ、はい」


俺は慌てて牛をイメージする。まだ生まれたばかりの黒く透けた牛だ。


「弱いな」


令は俺の式を見るなりそういった。


「これで黒滝山の天狗とやりあったなんて、信じられへん。よっぽどのことがあったんやろな」

「甲を助けたくて」

「甲って、南原甲がか?」


俺は頷く。あの時は必死だったからよく覚えている。


「そん時、実は俺もそこにいたぜ。天狗に手を出したのに驚いて、思わず止めに入ってしもうたが」


改はあの時白い犬が割り込んできたのを思い出す。それと同時に、社の上にいた人物も思い出された。


「あの時の……。でもあの時は白い犬だけべっす。何で黒ぐなったんだっす?」


令はまた声を立てて笑った。


「初めから人鬼喰らった改君にいわれるとは……」

「人鬼?」

「人だった鬼のことや」

「幽霊とか?」

「そうそう。俺の場合はね。でも改君は人と神のハーフである天狗を、少しとはいえ喰らってしまった。人鬼を喰らった式は何故か黒くなる」


俺は天狗伝説の末尾を思い出す。娘と結婚した天狗の子は、天狗にも人にもなれる、と語られていた。


「改君、よーく覚えとき。鬼には強いのと弱いのがいる。そして良いのと悪いのがいる。悪くて弱い鬼から喰い慣らして、それでも鬼との戦いに疲れて来たら、逃げてもいい」


良い鬼とは、天狗のような土地神を指すらしい。しかし鬼から逃げるとは?


「簡単な理屈。本当に逃げ回るか、俺みたいにしょちゅう外見を変えること」


鬼に目くらましを行う方法と、物理的に転居を繰り返すことということか。しかしただの中学生が何故こんなことを知ってるのか。俺の中にふわりと疑問がわいた。


「あの、話は変わるんですけど、木戸さんが呼ばれていたタユウって何ですか?」


令は鼻にしわを寄せて「あーあ」と口にした。何度も同じ質問をしてきたのだな、と察しがついた。明らかに令は説明を面倒臭がっている。


「四国っちゅうたら、犬神ぜよ。代々犬に似ても似つかないイタチっぽいのを受け継いでいる。その本家筋の犬神継承者を太夫たゆうと呼ぶんだよ」


犬神は作る場合もある、と令は言った。犬を頭だけ出して埋め、目の前に届かないくらいの位置に餌を置く。犬が餓死寸前になって餌に首を伸ばそうとしたところを狙って、犬の頭を切り落とすというものらしい。式の形は後者に近く、代々犬神憑きの家系でもないという。


「まあ、生まれてみたらこんな外見だったし、式の強さも天才的だったし、全国のその手の人たちから太夫、太夫、って呼ばれてんのよ。サイモンもできないのにだよ? 天才って疲れるぜ」


令は豪快に笑った。ちなみにサイモンとは、祭文のことで、一種の呪文らしい。自分を天才と呼ぶ奴は嫌いだったが、令の嫌みのない笑いについついつられて笑ってしまう。確かに令には人を魅了する才能があると、俺は思った。


「それよりも、名字で引っかかったことない?」


独特のイントネーションで、令はきく。


「木、が入ってますね」

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