2.慣れ

「こだわりますねー。そんなに私のこと気になります?」

「もちろん」


真姫は自分の嘘が令にばれていないと思い込み、上機嫌だ。バッグの中のストラップを引っ張って、携帯を引きずり出すと、高速で指を動かす。ネイルアートでは操作しにくいはずなのに、真姫の場合は慣れているのかそんな様子はみじんも見せない。メールの着信履歴を見ると、何人かからメールが来ていた。


「あー、うんうん。そうですねー。新しい人から着信ありますね。そういえばー、駅でナンパされたかも」

「その時、足はどうもしなかった?」

「足? 何とも」


真姫の表情が一瞬警戒したものに変わるが、すぐに笑顔に戻った。令はその一瞬を見逃さなかった。


「それは良かった」


令は安堵の溜息をついた。彼女、東真姫はその姓の通り、東の守護者だ。東の受信場所は足で、式は竜だ。真姫が履いているミニスカートから出ている白くて細い足には、確かに何の痕跡もない。座る際に、足の裏側を見ても何もなかった。改のように痛みを伴う受信の仕方もあるが、真姫からはそんな様子はうかがえなかった。


「何で足のことなんか気にするんですか? あ、お兄さんもしかして足フェチですかー?」


何が楽しいのか、真姫は「冗談でーす」と一人で笑っていた。令はベンチから立ち上がって、真姫に向き直った。


「俺とメアド交換してくれない?」


令がそう言って携帯電話を差し出すと、真姫は大笑いした。

「何ぼけてんですかー? もう携帯のアドレスはお互いに知ってるじゃないですかー」

「もう一回。俺、機械音痴でさ、ヒメのアドレス、間違って削除しちゃったんだよね」


真姫は一瞬不快そうな顔をしたが、「いいですよー」と軽く請け負った。つつがなくアドレスの交換が終わると、令は染めたばかりの青い髪をかき揚げ、鼻を鳴らした。


「なるほど、随分慣れてる」

「お兄さん、おもしろーい。メアド交換に上手いも下手もないじゃないですかー」


真姫はまた声をあげて笑った。しかし今度の笑顔は少し引きつったように見える。


「そうやって、携帯電話を持った腕に巻き付けた竜を相手に差し出せば、受信しながらでなくても式に相手に憑いた鬼を喰わせられるのか。おそらく受信地は、靴で隠れている部分。しかも五感に触れない変色などで受信を知らせる。だから常に携帯電話を持つ方の腕に竜を巻きつけておき、タイミングを見計らって心の中で『喰え』と命じている」


真姫は、狐につままれたような顔でしばらく令を見ていたが、やがて「すっごーい」と言って笑顔で拍手した。


「お兄さん、オカルト系の想像力すごいんですねー。今ので作家デビューしたらどうですか?」

「そう? そんなに俺、才能ある? 印税暮らししちゃおっかなー」


令も真姫の話に乗ってはみるが、話を脱線させる気はない。


「で、誰に俺の式を喰えって言われた? それとも利用されたのかもしれないね。鬼に憑かれた人を助けてあげよう、とか」


真姫は青ざめた顔で、びくりと肩を震わせた。


「雄、いや、今は屑だっけ?」


令はサングラスを直す。真姫は右腕に巻き付けた小さな竜を抱いて肩を落とした。


「言っておくけど、今の竜は大きく見えるけどメタボなだけで、強いわけじゃない。勝負してたら、俺の方が勝ってた」


つまり、令の犬が真姫の竜を喰っていた可能性があるのだ。式は自分の魂を具現化したものだから、式を喰われることは死に直結する。


「なによ、全然話違うじゃない」

「あいつからは何て聞いてたの?」

「お兄さんが悪者だって、ショウ君は言ってました。お兄さんに憑いている鬼を喰らえば、式を使っても、鬼に襲われることはないって」

「馬鹿なこと言って共食いさせようって寸法かよ。やってくれるな、屑の奴」

「ショウ君に騙されたんですよー。でもお兄さんも式使いですよね? 一体どこに式がいるんですか?」


真姫は不躾なほど、令の体を見た。令はドッグランを指さして、「あそこ」と言う。真姫は目を見開いた。何の命令もなく式がこんなに離れているのは、危険ではないかと思ったからだ。第一に、令が鬼に襲われたときに式が近くにいない。第二に、式が暴走して勝手に鬼を喰いあさる。


「紹介しないとな」


そう明るい声を出す令の足元に、黒い煙のようなものがまとわりつき始める。やがてその煙は犬の形となった。


「これが俺の式。北東の鬼門に位置する番犬だ」


真姫は「番犬」と聞いて、シェパードを思い浮かべたが、令の式は日本犬のようだ。


「私のも紹介しまーす」と、真姫も右手を掲げる。

「私のボアちゃん。よろしくお願いしまーす」

白い蛇のような小さな竜の頭をなでると、竜は気持ちよさそうに目を閉じた。


「ボアちゃんなんて、名前付けてると、ペットみたいだな」


令は真姫の立ち直りの速さに苦笑する。


「ペット以上ですよ。こんなに便利なもの、もう手放せません。もう携帯並みっていうか、それ以上」

「便利?」

「お兄さんもやってるでしょ? とぼけちゃってー。テストの問題先に見ちゃったりー、人の秘密探ったりー」

「近いことはしてるかな」

「でしょ、でしょ?」


真姫の大笑いに、令は苦笑した。屑は他のメンバーに接触し、令の悪い情報を流しているらしい。これでは慎重派の千砂や甲が令を警戒するのも頷ける。


「で、屑にはいつどこで会ったの?」

「あったことないんですよー。メールのやり取りが全てで」

「ネットの情報を信じすぎるのは危ないな」

「そういう時こその式じゃないですかー」

「まさか、ネットワークに式を?」


令は冷や汗をかいた。メールのやり取りだけでも、鬼や式についての説明はできるが、甲のように目で式を確かめられないメンバーにとっては信じがたい話だろう。では屑はどうやって、式をネットの中に入れるなどという、高度な技術を少女に教えたのだろうか。狼狽気味の令に、真姫は意地悪な笑みを浮かべた。


「何おごってくれます? おにぃさん♡」


この愛くるしい顔で、しかも猫なで声でそんなことを言われれば、男なら一発でダウンだ。しかし令は必要性に負けて、ハンバーガーチェーン店の名前を口にした。


「やったー! お兄さん、大好きです」


真姫は拳を高く突き上げて、足をバタバタさせて喜んでいた。


「実はー、朝から何にも食べていなくて、お腹ペコペコだったんですー。早く行きましょ♪」


そう言いながら、真紀は令と腕を組んで歩き始めた。はたから見れば、令と真姫が付き合っていると見えるだろう。真姫は人の目など気にしない。ただ、こうしていると相手が喜ぶことを知っていた。だから自然にそうするようになったのだ。

 店に着くなり、二人分のハンバーガーとポテトとシェイクをセットで注文した。注文に迷いがないことからも、よくこういった店を利用していることが知れた。令は二人分のお金を払う。さっそく真姫に話を聞きたかったのだが、すでに彼女の口はハンバーガーで満たされていた。令はポテトを口に運びながら、真姫の食欲がおさまるのを待つことにした。真姫はハンバーガーを食べ終えると、シェイクのふたをあけ、ポテトをシェイクに付けながら食べ始めた。それでよく太らないな、と令は感心していた。むしろ真姫は痩せすぎているくらいだ。


「それでさっきの続きなんだけど、どうしてヒメは式を信じる気になったのかな?」

「それは、ショウ君が手品みたいなことをやっていたから」

「その手品は、ネットの中でやってた?」

「そうそう、セカンドライフでお金増やしたり、ネットゲームでレベルはね上げたり」


セカンドライフは自分の分身であるアバターを使って、仮想都市で暮らせるというものだ。その中で使われていたのがリンデンドルという貨幣だ。その特徴は、セカンドライフ内のリンデンドルを現実のドルに換金できることだった。当初は大手企業が続々と参入し、新聞でも話題になった。オンラインゲームは文字通りネット内でつながった人々が同じゲームの中で仲間になって協力し、ミッションをクリアしていくゲームのことだ。確かに同じゲームで同じミッションをするのに、一人だけレベルが極端に上がるのはおかしいだろう。セカンドライフでも同じだ。真姫はセカンドライフで和服店を経営していたが、その売り上げは微々たるものだったという。そこに屑のアバタ―が現れ、真姫の店の売り上げをいつもの何十倍にもしたというから驚きだ。屑は式を見せることではなく、結果を見せることによって、真姫の心をつかんだのである。

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