辰の章

1.偽名

『こんにちはー。ヒメは今日も超元気です! 今日はメル友のソウ君に会いに行ってきまーす! ソウ君はどんな人かにゃ? 今日はソウ君と会えるのをマジで楽しみにしてるよん♡』


真姫はそうブログに打ち込んで、パジャマ姿の写真を添付した。大きな抱き枕に抱きつきながら目元を眠そうに擦っている写真だ。真姫はその写真にしばし見とれた。


「この無防備さ、ファンシーさ。完璧!」


小さくガッツポーズを作る。自分の部屋を出て、顔を洗うと、自室からしばらくは出てこない。鏡の前で、様々な服をとっかえひっかえし、今日の気分に合うものを探し出す。前日に用意した勝負服でも下着でも、当日の朝の気分次第ではお蔵入りすることもある。要するに、今日の気分、天気、相手、その他さまざまな要因において、抜かりはないのが真姫なのだ。メイクの時もそうだ。高校の校則があるため、平日は控えめだが今日は違う。休日だ。つけまつ毛にボリュームを持たせ、ピンクの口紅をつけ、その上にグロスを丁寧に塗る。チークは控えめで、ファンデーションで全体をまとめる。手足の爪の先まで抜かりはない。鏡に問うまでもなく、手鏡を握った真姫は呟く。


「私ってば、超かわいい! これで初対面でも大丈夫」


その後、全身のコーディネートとメイクのバランスを確認し、様々なポーズを決める。気に入ったものは、携帯の写真に収め、ブログにアップする。フリルのついたミニスカートと桜色のカーディガンは配色がよく、真姫の顔を引き立てていた。正面から右、左、後ろと、全身をくまなくチェックする。茶髪に染めた髪をシュシュでまとめて方に垂らすが、これはおばさん染みていると思い直し、ポニーテールに結び直す。この方が健康的に見える。コロンを耳の裏につけ、茶色のブランドバッグを手にしてポーズを何回も決める。ピアスはさりげなく光るものを選んだ。ネックレスはなし。


「よし!」


真姫はまた小さくガッツポーズして、玄関へと駆け下りた。「朝食は?」と母に声をかけられるが、「時間がないの!」と断る。しかしその断りとは反対に、玄関で靴選びに迷い、三十分以上玄関にいた。


『少し遅れるけど許してね♡ ソウ君はきっとすぐ私に気付くし、私もきっとすぐにソウ君を見つけるよ。だって、周りよりもずっと美男美女だもん(笑)』


ソウの携帯電話にメールを送った真姫は、ようやく玄関を出た。そして太陽に向かって背伸びして「今日も快晴。最高」とつぶやいてやっと歩き始めた。駅に向かうと何人かにナンパされる。真姫の場合はいつもそうだ。


「彼氏待ちなの。でもメアドは交換しようよ。最近彼氏つまんなくてさ。相談にのって。お願い」


ナンパしてきた男性全員にそう言ってメル友を増やす。振った後の成り行きが、真姫にとっては重要なのだ。中年から年下まで、声をかけてきた人全員とメアド交換を終え、電車に乗る。電車では痴漢に注意しなければならない。なるべく女性専用車両を利用する。しかし休日は全車両が自由に使えるようになっている。人けの少ない方に乗り、真姫はメールをチェックする。そして猛然とメールを返信して電車内での時間を有効利用する。メル友は百人を超え、真姫のホームページやブログ、ツイッターも人気があった。どれも閲覧者を飽きさせないように次々に更新するのが真姫の日課だ。メル友は男子半々だが、男子のメル友は入れ替わりが激しかった。真姫はメル友と実際に会って遊んだり付き合ったりすることはあったが、誰かを本命にする気などさらさらない。ホテルまでいけないと分かっている男もいれば、真姫が何人もの男と同時に付き合っていることを知っている男もいた。それでも真姫から離れて行かない男がいるのだから、世間は分からないものである。果たして、今日初めて「デート」となる「ソウ君」はどうなるのか。来るもの拒まず、去る者追わず、が真姫の真情だ。電車を降りると、また何人かの男性が真姫に声をかける。それらの男性に決まり文句を吐いてメアドを交換して、「ソウ君」との待ち合わせ場所の公園に向かった。待ち合わせの時間からすでに一時間以上経過している。真姫は急ぐことなく、「ソウ君」とのメールのやり取りを思い出す。誰とどんな会話をしたのかすべて覚えていて、それに合ったキャラクターを自分の中に作り上げる。過去の会話で話したことと矛盾したことは言わない。このスキルは真姫の自慢の一つでもある。


(ハンドルネームはソウ。有名な進学校に通っている十八歳の高校生。性格はまじめで人と話すのが苦手。そのため文庫本や参考書がお友達)


真姫はソウが語っていた肩書を反芻した。しかし匿名性が高いメールでのやり取りだ。このまま信用することはできない。話が本当なら、真姫が初めてのデートの相手となる。




 公園には休日ということもあって、沢山の人がいた。広い公園にはドッグランが併設されており、飼い主と犬が仲良く遊ぶ姿が見られた。真姫はジョギング中の男性や、キャッチボールをしている少年たちの間をぬって、空色のベンチへと迷わず近づいていく。その先には青い髪を肩まで垂らし、サングラスをした青年が足を組んでくつろいでいた。真姫に気付いた青年は立ち上がり、手を振った。背の低い真姫から見ると、かなり長身の青年だ。「よくわかったね」と、青年は何故か満足そうに笑った。偽りのプロフィールを真姫に紹介していたにもかかわらず、悪びれた様子もない。


「なんか、嘘くさいなって最初から思ってたんですよ。だっていくら真面目な高校生でも、メールに絵文字一つも入れないなんておかしいし、その割には文章が慣れてる感じだし。つまり、まじめなふりをしたふざけた奴ってことになりますよ、お兄さん♪」


確かに青い髪にサングラスは目立ち過ぎていた。


「メールのやり取りは楽しかったし、勉強馬鹿がメールでデートの誘いをするし、正体バレバレですよ。でも、スタイリッシュな素敵なお兄さんなら、全然オッケーな感じです。むしろお兄さんみたいなタイプは初めてなので、今日が楽しみです」


勝ち誇ったように真姫は胸を張った。マジシャンの前でマジックのタネをあげつらうかのような、もしくは難しい問題の答えを独り占めしているかのような優越感がある。気分はまさに名探偵だ。ネットにあふれる嘘、偽り、誇大。それを見極め、時には嘘を利用し、時には偽りを偽りで返す。真姫はネットを始めてからこのやり取りが上手かった。だから相手が嘘のプロフィールを送ってきたり、写真を添付したりすれば、それを信じたふりをして付き合うことも多かった。


「結構こう見えても修羅場はくぐって来たんですよー。いざ会ってみると体目当てのおじさんだったり、数人の男子に囲まれたり、元カノや奥さんとの対決だったり」


真姫は空色のベンチに腰を下ろした。


「だからさ、そういうのじゃない分、お兄さんはましだよ」

「ふうん。なかなかのやり手だな。ヒメちゃんって本名?」

「あだ名でーす。本名は東真姫あずままき。だから今まで通り、ハンドルネームと同じく、ヒメって読んでくださーい。お兄さんは?」


真姫は誇らしげに言った。まるでその名前が自分の為にあるかのようだ。


「俺は木戸令」

「えー嘘。名前までかっこいい」

「それは初耳だ」


おそらく何と名乗っていてもそういう反応を示したのだろう、と令は思う。


「もっと教えてくださいよ、お兄さんのこと」

「誘い文句に聞こえるな」

「えー、そんなことないですよー。だって初めて会ったんだし、いろいろおしゃべりしてお互いの親睦を深めないと。そう思いません?」


真姫は愛らしく小首を傾げた。


「そうだな」


令も真姫の隣に座りなおす。真姫は心の中で舌打ちをする。今の流れで食事をおごってもらう予定だったのだ。


「さっそくなんだけど、俺に会う前、誰かに会った?」

「え? さあ、あまり覚えてませんけど」


声をかけられすぎていちいち覚えていない、とはさすがに言えなかった。それを見越したように、令は言った。


「ヒメは可愛いから、いっぱい声かけられるだろ?」

「そんなことないですよー」

「気を付けた方がいい。そのバッグとピアスはやり過ぎだ」


たしかにブランド物のバッグはやりすぎたかもしれない、と真姫は反省する。ピアスにしてもさりげないが、高価な物には違いなかった。しかしそういった場合でも、真姫は自分の株を上げるチャンスに変えてみせる。


「違いますよー」


そう言いながら真姫は苦笑し、手をひらひらさせてみる。


「このバッグは母から借りたんです」


本当はお金持ちのメル友に一日デートをする代わりに買ってもらったものだった。ちょうど去年のクリスマスだったため、そのプレゼントとしておねだりしたのだ。


「ピアスだって、バイト超頑張って、やっと手に入ったんですからー」


これも嘘だ。真姫がいうバイトとは、自分の交友関係を操作して自分に利益を与えるように人を動かすことである。普通のアルバイトを想像して、真姫が想像より苦労人であることを相手にイメージさせるために、真姫はよくこの手の嘘をつく。


「へえ、ちゃんと働いてるんだ。高校生の給料でそのピアスは大変だっただろう」


令は感心したように声をあげたが、サングラスの下では目を細めていた。


「で、誰かに会っただろ?」

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