下
「風水には陽宅と陰宅があんねん。陽宅はちぃちゃんが言うとったように、家相占いで有名や。陰宅は墓所のことや。風水では気の流れが大切で、気は感応し合って大きな力を生む。だから仲間集めは大事なんや。で、同じ気でできている天で起きていることは、人間界にも影響を与えるって考えるんや」
私は恐ろしいイメージにとらわれる。鬼は人から生まれると同時に、天から落ちてくるというのか。改からそのための門の鍵、そのための守護者と聞いていたが、まさに天変地異の渦中に放り込まれたような恐ろしさだ。
「人間界で起きたことは天にも反映されるってことで、占星術が重要になってくる」
ふと、私の頭の中に掻き集められた知識の中から、何か浮かび上がってきた。天と地の関係性から人の吉凶を占うものがあったはずだ。
「それって、陰陽道とか八卦とか、そういったものとは違うの?」
「ちゃう。陰陽五行説ちゅうんは、互いに剋したり生じさせたりするんやけど、風水はそれを良しとせえへん。どれも均衡なバランスを持って存在することを吉として、その条件から豊かな恵みがもたらされるちゅうことが大事やねん。八卦の方は俺らとめっちゃ関係ある」
そう言って令は再び黒板の前に立った。そして先ほど描いた図をコンコンとまたノックする。
「俺等の方位属性、受信場所、式なんかは、八卦に対応しとんのや」
なるほど、と私は思う。北の方位属性を持つ人物が分からないと言いながら、式を豚と断定できたのは、令が八卦を覚えていたからだ。
「まあ、八卦も陰陽説も易から生じとるさかい、全く風水と関係がないとは言えないんやけどな。決定的な違いはさっき言うた考え方やな。特に陰宅」
「お墓?」
「そうそう。道教では、人は『魂』と『魄』から成ると説くんや。死んだら魂魄は分離し、魂は天へ、魄は地に留まるとといとる」
「つまり魂魄は切り離せる。私たちは魂を式として使って鬼を喰う。その排泄物を虚舟で片づけなければならない。そういうことよね?」
「おー、ちぃちゃん。話が早い!」
令は嬉しそうに手を叩いた。
「それよりも、鬼って鬼門から来るのよね? あなたは自分の役割を果たしているの?」
「あー、鬼門に対する差別やー」
無表情な私の問いに、令は頬を大きく膨らませた。
「北東を鬼門とする禁忌は日本独特なんやで」
得意気に話す令に、私が「そう」とだけ返した。令は不満そうだが、私はそれを無視してさらに続けた。
「誰だったかは忘れたけれど、江戸時代に進化論に反した人がいるというのを記事で読んだんだけれど、その考え方は参考になるかしら」
「まあ、進化論に関してはキリスト教が信仰上否定したけどな。ちなみにどんなん?」
令は教団の上の席に頬杖をついた。
「生物ははっきり分かれずに、必ず中間の姿があって、それぞれはどこかでつながっているというものなの。例えば、人間と魚の間に人魚がいるように。江戸時代には、様々な動物をつなげ合わせて鬼や河童、人魚なんかのミイラを見世物として楽しむ習慣もあったみたい」
「ああ、それ、人魚族ってやつやろ? ならしっとるで。江戸時代から明治時代にかけて『両羽博物図譜』を書いた……、名前なんだっけな、ああ、松山藩元家老の松森胤保のことやな」
「そうでしたね。私も聞き覚えがあります」
そっけなく返すと、令は再び頬を膨らませて机を拳で二回叩いた。しかし令の知識量には内心驚いていた。この知識量が実は令の人気の秘密なのかもしれない。即ち、令と話すと誰でも馬が合う。
「ちぃちゃん、冷たーい。俺がちぃちゃんの為に鶏ヘアした時も、さりげなくスル―したし」
確かに、白髪を外にカールさせ、モヒカンにしたところを赤で染め、まるで鶏のトサカと羽を表現しているような頭をして私に近づいてきたときはあった。しかし私は令とそんな四方山話をしているのではない。脱線させようとした令をたしなめるように、私は話をもとに戻した。
「人から生まれてこないもの、といっても今生きている人間が残す感情の残骸みたいなものだけれど、それ以外の鬼ってこの人魚族みたいなものなんじゃないかと思って覚えていたの。違うかしら」
令とこんなに長く話すのは今回で二回目だ。令との会話では得るものがある。事実、式を使いこなして何ら問題のない生活を送れているのは、令や改のおかげだ。
「まあ、何かの狭間からできてるのは確かに似てるかもしれへんけど、鬼より似てるもんがあるやろ」
私はわずかに首を傾げる。
「俺等や」
「式が使えるから?」
「そうや。誰が鬼と人間の間の属種やねん。俺等やんか。いっそ人鬼属ってグループ名にしようか?」
「そろそろ式をどけてくれるかしら。レポートがあるの」
へらへらと笑う令の話の骨をここぞとばかりにへし折った。鶏を回収する。令は口をとげて、溜息を吐いた。
「ちぃちゃんはトモピー助けたのに、一人でやってく気なんか? そんなんでキャンパスライフ楽しいんか?」
「楽しいわよ」
私は即答した。
「ただ、あなたとは楽しみ方が違うだけ」
ドアの前の犬はうな垂れてとぼとぼと令の方へ歩いて行った。友人、恋人沙汰で悩む学生が多いことは知っている。そんな人は本末転倒も甚だしい。何のために大学という研究機関にいるのか。学ぶためだ。学生と言っても子供ではないのだから、自立した考え方をすべきだ。私は何故か不安そうに私を見つめる令に一礼して大講義室を出た。気づけば夕暮れ時だったが、図書館の閉館まではあと四時間あった。私はいつものように、文献リストにあげた文献を検索し始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます