風水談義

 令はキャンパス内でいつも十人近くの男女に囲まれていた。特に女性の比率が高かった気がする。事実、令は同時期に何人もの女性と付き合っていた。この事実から、男女共に令は嫌われていてもいいはずなのに、いつも皆の中心にいる人気者だった。さらに令に関して特記することがあれば、毎回、令の外見が異なっていることだ。ヘアスタイルはもちろんのこと、目の色や服のジャンル、しゃべり方まで、全てが別人だった。語学はかなり堪能で、日本語に慣れていない留学生と話している時は、英語はもちろんのこと、中国語、韓国語、ロシア語、ドイツ語など数えればきりがなかった。さらに各地の出身者と話すときにはその土地の方言まで話していた。おそらく、この気軽さが、留学生から平凡な学生までを虜にする秘訣なのかもしれない。動物に例えるならカメレオン。食べ物に例えるならファーストフードだ。私も何度か、というより出くわすたびに、令から声をかけられたがあったが、ことごとく無視を貫いてきた。しかし令は時折、姑息とも取れる手段で私に声をかけてきた。私が何かと呼んでいたモノ。つまり鬼についての情報だった。

 

 授業が終わった。この授業は、一度に三百人程度が受講できる大講義室で行われた。誰がどこに座っているかなど、分からないはずだったが、令は授業が終わるとすぐに私の所までやってきて、自分の写真集を開いて見せつけてきた。今日の令は赤い髪を肩まで垂らし、赤いカラーコンタクトをしていた。令はデジカメの写真を自分の好みにアレンジして他人に見せびらかすのが趣味らしかった。まるで本のような完成度の高さに私は思わず、感心してしまう。その写真集の題名には『ヒメゴト』と印刷されていた。写真の表紙には、男性受けがよさそうなネコ目で茶髪のかわいらしい女子高生が写っていた。駅にたむろしているこの格好の女子高校生をよく見かける。


「どう? どう? 美女のちぃちゃんから見ても、この子、すっごく可愛いと思うやろ?」


今日の令は関西弁を話すらしい。


「そうですね」


私は大した興味を抱かずに、ノートやレジメをバックの中にしまう。そして席を立とうとしたとき、ドアの前に黒い犬が立ちふさがっていた。もちろん、本物の犬ではなく令の式だ。


東真姫あずままきちゃん。十六歳。名前の通り東の子やで。仲ようなったんやけどな、あいつに先越されてしもたわ。あ、そうは言うてもな、こっちにも協力的なええ子やねん」

「あいつ? こっち?」


私はドアの横に立ち、令と距離を取りながらおうむ返しに聞いた。令があいまいにした部分こそが話の核心であり、私が事件に巻き込まれる部分だと直感した。この直感は正鵠を射たようで、令はわざとらしくお手上げして、しぶしぶながらというように話し始めた。本当は私と会話できる運びとなったことにばんざいをしているに違いない。


「ちぃちゃんにはかなわへんわ」


違う、と私は断言する。令はわざと言葉を濁して私に質問させ、会話を成立させたのだ。なるほど、と私は納得する。確かに令は自分に他人を引き付ける話術に長じている。そして写真の話を伏線として最初に提示されたことで、私は初めから自分にかかわりのない話だと言えない状況に追い込まれていた。


「あいつちゅうんは、神門のガキ。屑のことやねん。あいつは今単独行動してて、何やらかすか分からへん。トモピーの羊を自分の式に喰わせたらしいしな」


トモピーとは、西尾巴のことである。そして彼女の式は羊であり、その羊は屑の馬に喰われたらしい。「らしい」とは、あの時現場に居合わせたにもかかわらず、まだ式を使っていなかったため、その現場を目撃することが出来なかったということだ。


「屑って本当はなんなの?」


令は口角を上げ、頭を掻くそぶりを見せた。


「よう、かなわへん」


抽象的な私の質問は、核心を突いていたらしい。令が珍しく考え込み、深く息を吐いた。


「屑は縁あって俺が拾うてきたガキやねん。名前は屑の親の名前から取って長谷雄はせゆうと付けた。けど、俺とけんかしてから家を飛び出してしもうて、それからはさっぱりや。そいで、俺らの仲間にちょっかい出してる奴がいるってことで調べたら、屑が雄やと分かったんや。雄が屑と名乗るんは、自虐やと思うで。雄は自分の存在にコンプレックスみたいなもの、感じとったさかいに」


「そう」と言って、犬に目をやる。どうやら令の話はここで終わらないらしい。令は私を通り過ぎ、一段だけ高くなった教壇に立った。そして白いチョークで八本の放射線を描いた。


「北東は鬼門。式は犬。木戸令」


そう言いながら、放射線状に言った通りに書いていく。


「東は青竜。式は竜。東真紀」


これまでのことを整理するように、令は時計回りにこの言動を繰り返した。


「南東は人門。式は鶏。巽千砂」


千砂は鶏を出して、大講義室の後ろのドアの前につかせた。これで前のドアには犬、後ろのドアには鶏がいることとなり、結界が生じた。今やこの大講義室は誰も立ち入れない空間になっている。


「南は朱雀。式は雉。南原甲」


千砂は前のドアの一番近い席に座った。


「南西は裏鬼門。式は牛。裏木改」


令は書きにくそうにして南と南西を書いた。


「西は白虎。式は羊。西尾巴」


式の羊に、赤で×を付ける。


「北西は神門。式は馬。神童屑」


令はあえて長谷雄とは書かなかった。


「北は玄武。式は豚?」


令は北の「?」をノックするようにコンコンと叩いて「ここ」と言った。


「ここさえ見つかれば終わりなんだけどな」


「終わり」という言葉に、耳が反応する。


「ちぃちゃんの方はどうや? 何かええ情報はいった?」


私は小さく首を振り、「終わりって何が?」と」問う。すると令は「仲間集め」とあっけらかんと答えた。この鬼との生活が終わるのではないのか、という甘い考えは見事に打ち砕かれた。


「全員集めてどうするの? 鬼は人間がいる限り無尽蔵に溢れてくる。不毛なことに費やす時間はない。そもそも、何故私たちがこんなに危ない生活を送る必要があるの?」


鬼は人の心からも生じることを私は知っていた。『疑心暗鬼を生ず』のことわざどおりである。つまり、鬼の存在は人間の存在をある意味で肯定している。鬼の存在の否定は人間の存在の否定にもつながる。しかしこれらの事実は、私には無関係であり、興味も関心もない。それはテレビで放送されている外国の事件並みだった。どこかの高校で銃乱射事件があったとしても、その弾は千砂には影響を及ぼさない。これと同じだ。


「北の人探すんは、ただの仲間集めちゃうで。北だけが持つ虚舟ちゅうんが鍵なんや。今俺たちは、式に鬼を喰わせることで鬼がもたらす災難から逃れたり、事前回避しとる。だが、全ての鬼を喰らうキャパシティを式はもっとらんのよ。さっきちぃちゃんが言うた通り、鬼は無尽蔵に生まれ続けるからや。いつかキャパシティを超えた時、強い鬼に会ってしもたら最期や。だからその前に、今まで消化した鬼を舟に乗せて異界へ流す必要が出てくる」


「その舟が、北の人が持つ虚舟というわけね。式のキャパシティをもとに戻してくれる。まるで、パソコンの余分なデータを掃除するみたいに」


「そーいうこと。式はまた鬼を喰えるようになる」


令は満足そうに何度も頷いて教壇を降りた。しかしそれは私が提示した問の答えにはなっていない。


「ちぃちゃん、風水って知っとるか?」


令は脈絡を無視して唐突に言った。私はありったけの占いに関する情報を頭の中で掻き集めた。しかし風水の知識は、情けないほど些細なものだった。


「黄色いものを西に置くとお金がたまるとか? 後は……」


他に思い出せない私を見て令は笑っていた。


「それは陽宅や」


令は相変わらず笑って私の答えを退けたが、それでも令の笑いが嘲笑に聞こえないから不思議だ。

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