17.カキ

 雉が檻の中で右往左往している。雉は炎の檻から出ようとして自分の羽毛に炎が燃え移ってしまう。丸焼きだ、と俺はのんきなことを思う。するとどこからともなく巨大な犬がやってきて、雉を自分の子犬のように扱った。母犬の母乳を吸う子犬のように、燃え盛る雉は犬の腹に寄り添う。そうすると不思議なことに、雉の体にまとわりつく炎は消えて行った。


『だから、不用意に使うなって言ったのに、あんなあやふやな気持ちで急に大食いさせるから、食あたりを起こすんだ』


犬は何故か人の言葉でしゃべった。しかも、この土地のイントネーションよりも関西の方に近い訛りがあった。


『俺がいて良かったな。牛だったら助けられなかったぞ。真南はカキが一番強いから注意しろよ』


(柿? 牡蠣? それが強いって何だ?)


犬は俺の問いに答えもせずに、どこかへ行ってしまった。雉は弱るそぶりを見せずに、その場で眠りについた。




 天井が見えた。頭の上に重い物が乗っていると思ったら、濡れタオルだった。


「おお、目え覚ましたが」


祖父が覗き込んでいた。改の祖父ほどではないが、イカス老人だ。俺は柱の横で高熱にうなされているところを発見され、部屋に運ばれたらしい。


「疲れだべ? 何か食いだいものあっか?」

「牛乳とアンパン」

「起きたら買ってきてやっから、まずねでろ」


祖父は俺の頭を撫でて行った。実は今、自分の部屋が一番居心地が悪い。何故なら俺の部屋の隣には、主をなくした菜摘の部屋があるからだ。俺が風をひいたときなどは、菜摘がいつも様子を見に来てくれた。こうして真昼間からベットに寝ていると、今にも菜摘がドアをノックして、顔をのぞかせそうだ。


『運がいいのか、悪いのか。まあ、悪いんだろうな』


聞き覚えのない声に、俺は飛び起きた。タオルがその拍子に床に落ちた。


「誰?」


ベッドの横には学ラン姿の少年が立ていた。寺で見かけた変な格好の中学生だ。


「どうやって入った? いつから?」

『俺は木戸令。あんまり時間がないから言っとくけど、カキは火気厳禁の火気。食い物じゃない。それから、逮捕された犯人に憑依していた鬼は、お前たちが見た鬼じゃない。あの弱い鬼はもう、別の鬼に喰われたあとだった。かといって、天狗は犯人じゃない。子天狗も同じ奴に喰われたあとだった。それらを喰った何かでかい奴がいる。おそらく、牛と雉を一網打尽にしようとしてるから、気を付けろ。これは、たぶん強すぎて相手にならないから、逃げた方がいいな。でないと、また他の人を巻き込むかもしれない。なるべく牛と一緒にいた方が助かる確率は高い。以上』


令は甲が口をはさむ間も与えず、一方的に話した。そしてその後、『じゃあ』と片手を軽く振って消えた。文字通り、瞬きの間に消えたのだ。令の立っていたところに人型をかたどった紙人形が一枚落ちていた。


(カキは火気……)


俺は落ちたタオルと一緒に紙人形を拾った。上質な和紙であることが一目瞭然だった。南原家にはないものだった。令が落として行ったものだろう。背筋が凍った。令が落として行ったものならば、令が言っていたことも夢幻ではなくなる。


(また、誰かを巻き込むって何だよ。俺が菜摘を巻き込んだみたいじゃないか)


俺は布団を手繰り寄せて、自分の体に巻き付けた。歯と歯がかみ合わず、がちがちと音をたてた。冬に見た鬼を改は「強い」といっていた。天狗からは二度も逃げている。それらよりももっと強い鬼が俺を狙っているというのだ。そしてそれが、俺の仇だというのだ。鬼を喰える術を手にしてもなお、俺はこんなにも無力だ。


「ああああぁぁっ」


俺は顔面を布に押し当てて号泣した。その途中、アンパンと牛乳を盆にのせた母親が俺の部屋に入って来た。母は俺を布団ごと抱き寄せた。床に投げ出された盆の上では、白い水面が大きく揺れていた。俺は母に何も言えず、抱きついていた。涙で濡れた頬を母子で摺り寄せあった。


「お母さん、俺、嫌だあ。皆一緒が良い。俺は皆と離れたくない」


俺は玩具をねだる幼子のように、身体をゆすった。


「甲、どうしたの? お母さんいだべ? お父さんも、爺も婆も一緒だべ。お姉ちゃんもいるよ。見えなくなっっちゃったけど、皆いるんだよ」


母の最後のほうの声は苦しそうだった。俺は頷く。しかし、俺が言った本当の意味を家族が真の意味で理解するのは難しいだろう。俺はこの今感じている温もりを守るために、家から離れなければならない。大好きな家族を守るために。菜摘の二の舞を踏む前に、俺がここから出て行かなければならない。そしてこの苦しみを共有できるのは、改しかいない。




 菜摘の事件は一時新聞の一面に取り上げられ、トップニュースだった。だが、初公判を迎える頃には、世間は別の話題を追っていた。予想はされていたが、最高裁まで争った結果、無期懲役の判決だった。犯人は時々変な声に従ったと言い、精神鑑定や薬物鑑定に回された。その「変な声」の正体を知るのは俺と改だけだ。犯人が菜摘を目標としたきっかけとなったアダルトサイトは事件直後に閉鎖されていた。それでも管理人は任意で事情を聴かれたらしいが、証拠不十分で不起訴となった。

 俺の家族は、世間が菜摘を忘れた後もこれからも、菜摘のことを忘れず、犯人を憎み続け、自責の念にかられ続ける。一件後の南原家は、しばらくすさんでいたが、徐々に菜摘のいない生活を認めて行かなければならなかった。長かったのか、短かったのか、菜摘のいない一年が過ぎ、俺と改は中学校に進学した。その一年間、心配された鬼の襲来はなく、俺と改は相変わらず地元で親友として暮らしていた。中学校で渡された生徒手帳に、俺は遺影に使われた菜摘のカラー写真を挟み込んで胸ポケットに入れている。俺や改と同級生の女の子が登校しているのを見ると、菜摘がその中に交じっているような感覚があった。菜摘はきっと、平凡な中学生活を笑って過ごしていたはずだった。そう思うと、胸ポケットが温かい。


「一緒に行こう。俺が菜摘と一緒にいるから」


俺は中学校への階段を上っていく。青空に、桜の花びらが舞っていた。


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