4.本当の事

翌日の集会場は、息苦しい雰囲気だった。いつも楽しそうに笑っている南原姉弟と改は一言も言葉を交わさなかった。

 この辺りでは地区ごとにまとまって小学校に登校する。六年生を先頭にして一年生から五年生まで一列に並んで歩くのだ。交通事故防止のためというが、下校時はバラバラに帰る。卒業式を間近に控えたこの時期は、特に卒業生である六年生は下校が遅い。学校にいる時間のほとんどが式の練習につぎ込まれる。五年生は式やお別れ会の準備で余念がなかった。それぞれがそれぞれの学年に別れを告げようとしているこの時期は、まだ雪がだいぶ残り、かなり冷え込む。卒業式には雪が降るのが当たり前の土地柄だった。だからここで育った子供たちは足が自然と早足になる。寒い屋外を避けて家から学校へ、学校から家へと暖を求めるのだ。凍結した上に粉雪がかかる悪路でも、学校に遅刻しないように高学年は低学年の前後を挟んで歩く。当然、これを毎日六年間続ければ、早歩きが知らず知らずの内にしみ込んでいくのだった。

 ランドセルが揺れる。この地区では二つのグループがあった。一つ目は先頭が菜摘で一番後ろが甲。二つ目は先頭が改で一番後ろは四年生が務めていた。この時期のランドセルには荷物が少ししか入らないので、わずかな動きに大きくランドセルが揺れる。低学年のランドセルには、蛍光の交通安全マークが入ったカバーがかけられている。防犯ブザーが誰かのカバーの中でカサカサ音を立てていた。この辺鄙な田舎でも、時々小学生を車で追い回す輩がいるらしいが、未だかつてお目にかかったことはない。何のための防犯ブザーなのか、冬使用のランドセルをすっぽり覆うカバーの中ではキーホルダーと変わらぬ扱いだ。六人の後輩を挟んでいつものように菜摘の赤いランドセルを見つめた。防犯ブザーどころかキーホルダーもつけない菜摘のランドセルは、カバーをとれば傷だらけだ。あと数日で菜摘のランドセル姿を見ながら登校することもなくなると考えると、やはりどこか寂しかった。菜摘も、ランドセルや小学校との別れは寂しいと漏らしていた。だがそれは俺が思っている寂しさとは違う寂しさだということは、よく分かっていた。

 色とりどりのランドセルの中から、昔ながらの赤を選んだ菜摘は、平凡さを喜んでいるようにも見える。地味で暗いセーラー服に大はしゃぎするのもそのせいだ。平凡さにはいつか別れが来て、いつか特別なものになるのだと菜摘は認識していた節がある。後ろから俺と同じ黒いランドセルを背負った改が近づいてきた。


「話あんだげど、放課後でいいが?」


顔のパーツが全部四角形でできたような改は、祖父母に育てられたため訛りが強い。改はそれをどこか誇りにしているようでもあった。


「俺もあっからって」

「んだが。校門で待ってる」

「うん」


俺と改はお互いにお互いの顔をみなかった。目を合わせるのを互いに恐れたのかもしれない。改は歩みを緩めて俺と距離をとった。改の後ろを歩く一年生が小走りになっていたのだ。コートを着て走るのは大変だ。胴よりランドセルの幅がある一年生ならなおのこと辛い。改は後ろを振り向いて愛想笑いをしている。何故か、改と話した人は皆、その人柄にほだされて友好的な雰囲気になる。対照的に俺と話す人は皆、ぎくしゃくしてしまう。時折、俺はそんな改に嫉妬していた。成績は俺の方が良かったのに、改にはいつも劣等感を感じた。あいつはこの先の人生をうまくやっていくんだろな、と漠然と思うことがあった。何がかは分からないあが、あいつにはかなわないな、と思っていた。やがて、後ろで一年生と改の笑い声が弾けた。

 後は黙々と一列になって、他の地区から学校へと向かっていく子供たちの流れの一部になっていくだけだ。まるで何かの儀礼のようなこの光景の中から、もうすぐ六年生がいなくなって、新しい一年生と入れ替わる。何十年も前から、たぶんこの先もずっと、この光景は繰り返される。まるでベルトコンベアに乗った製品のようだ。

 その日の夕方、ちらちらと雪が降ってきた。夕方といっても、厚い雪雲に覆われたこの日は一日中暗かった。改は校門前の花壇にじっと座っていた。その肩やランドセルには雪がまばらにつき、髪がぬれていた。暖かい日の雪は水分を含んでいて重い。


「悪い、遅れた」

「遅れだ? たった一分だべ。俺が早がったんだんだがら、さすけぇねぇよ」


改は俺の顔を見ると本当に嬉しそうに笑う。たいていの人間はこの笑みに気を許してしまう。


「先生がら手伝いたのまっだんだべ? いづもすげぇにゃー」

「別に」


二人は並んで歩き始めた。改は俺が話すのを待ってるようだった。


「菜摘と付き合ってるって本当?」

「うん」


改は即答した。


「本当に菜摘のごと好きで?」

「うん」

「本当に菜摘のごとだげが好きで付き合ってんなんべにゃ? お前、前に俺に言ったじゃん」


俺はそういいながら周囲に誰もいないか確かめ、声をひそめた。


「女子に興味がなくて、男に興味があるって。俺のことが好きだって。それは嘘だったのか?」

「嘘は嫌いださげて、嘘はつかねぇよ。だがら、菜摘のごどが好ぎってのも嘘んねよ」

「俺の姉ちゃんだがら好ぎってこどんねぐ?」


俺の好ぎな人だがら奪ってやろうとか、俺に似てるとか、そういう不純な気持ちが改の中にあるのではないかと、俺は疑っていた。だが、改の声も足取りもしっかりしていて、俺の中にもう一つの思いが潜んでいることに気付く。相手が誰であっても、菜摘が他の誰かと付き合うのが許せないのだ。改は覚悟を決めているかのように落ち着いていた。

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