雉の章
プロローグ
誰が間違っていたんだろう。今でも、いや、今だからこそぼんやりと考える。
『私はいつだって甲(こう)のそばにいるよ』
そう言った人に、俺は頷いてはいけなかったのだろうか。いや、そんなはずはない。男と女が結婚してやがて子供を産んで家族を形成する。結婚は集団同士の関係を取り持つための重要な行為だ。社会が閉塞せずに広がりを持てるように、集団同士が人員を交換しているのだ。この行為にはインセストタブーがつきものだ。つまり、近親相姦の禁止である。だが、この規則は不思議なもので、国によって「近親」の範囲が異なっている。例えば日本と位置的に近い韓国とさえ、日本の近親の範囲が異なる。しかも近親相姦を禁じているにもかかわらず、日本の法律はその行為自体には寛容だ。もしも近親相姦で生まれた子供であっても、認知があれば社会的に認められるし、実の親子として暮らしていける。考えてみれば、俺たちの近所に遠くから越してきた親子が、例え兄妹だったとしても本人たちがそれを告白しない限り、その「夫婦」が兄妹だと分かろうはずもない。
インセストタブーは本質的に、近親相姦の禁止などではない。むしろ、近親相姦の禁止を社会に促すことに重きが置かれているだけなのだ。同居と同棲を区別できるのは、本人たちしかいない。それは兄妹だけでなく姉弟でも同じことだ。それなのに、人々は深く考えることもなく近親者たちの恋愛を忌避する。
俺の一番の理解者であるはずの親友もそうだった。だが、俺からしてみれば、親友の恋愛観こそ狂っていた。何しろ奴は、俺が近親者同士の恋愛に賛成していたのと同じように、同性愛を擁護していたのだから。一体、俺と、親友と社会と、どちらが間違っていたのだろうか。それとも、そもそも人を好きになること自体に正解はないのか。人を愛することに間違いは存在しないのだろうか。もしそうなら、俺の疑問は愚問だ。ぼんやりとした考えの行き着く場所は、いつもここだ。
何故なら、いつも俺のそばにいてくれると言ったあの人は、その言葉の直後に、俺の目の前からいなくなったのだから。
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