9.砂遊び
「薬、貰った方が、いいんですよね? 本当は」
「貰ってないの?」
「依存が怖くて。もちろん、ドラッグとかとは違うって分かってるんですけど」
「無理しないで、どうしても、ってときには貰った方がいいよ」
「そう、ですね。どうしてもってときに……」
巴は歯切れ悪くそう言って、ソファーに腰を下ろした。スプリングの歪んだ部分が軋
んだ。巴はしばらく保健室で国語の本を読むと、早めに病院へ赴いた。このところ、学校に行くために家を出て、保健室から病院へ行く生活が続いていた。病院は毎日行くわけではないし、薬も貰っていなかったため、医療費は安く済んだ。家族にばれるという心配事も、親が学校に行く巴に関心がなかったことと、学校という権力が壁になったことで、杞憂に終わっている。病院は街から離れているがこの辺りでは、一番大きな総合病院であった。巴は制服でいる分、平日は目立っていた。カウンセリング室の前で、自分より前にカウンセリングを受けている患者が終わるのを、身を縮めるようにして巴はじっと待った。自業自得だが、待ち時間が今回は長い。屑に再会できないかという期待と共に、誰か近所の人にでも会ったらどうしようかと不安にもなる。
それにしても今日は待ち時間が長かった。もう予定を十分すぎている。科が精神科だけあって、無下に話を断ち切ることもできないことは知っていた。きっと話が長引いているのだと巴は椅子に座りなおした。そうこうしている内に、カウンセリング室の中から、大きなサングラスとマスクという女性が出てきた。泣いているのかしきりにハンカチを目元にあてがう。スカートをはいていなかったら、女性だと気づかなかったかもしれない。
「さっきの人、何かあったんですか?」
カウンセリング室に入って、巴は開口一番そういった。すぐにプライバシー、という言葉を思い出して、気まずくなる。
「醜形恐怖症よ。世の中にはいろんな悩みを抱えながら生活している人が沢山いるの」
医師は独特の穏やかな口調でそう言った。
「何ですか、それ」
「自分の顔が醜く感じて嫌になっちゃう病気。一度顔にけがをした人や、女性に多いの」
巴は顔を隠して泣く女性を思い出した。自分の顔が嫌いということと、自分がブスだと自覚している自分とどこが違うのか考えてしまう。
「私もいつか、そんな病気になるのかもしれませんね」
「誰にでも心の病は付ものよ。誰にでも可能性があるの。巴ちゃんは可愛いと思うけどな。前髪を少し切って、もう少し顔を見せたら、最近気にしていたニキビも治りが早いわよ」
医師は急に「こっち来て」と手招きした。そこには青い箱がある。中には白い粉が入っていた。箱は巴のお腹の辺りまでの高さの台に乗っていた。
「今日はお絵描きじゃなく、砂遊びをしましょう」
白い砂だけが残された箱の中を、巴はしげしげと覗き込んだ。こんなに白い砂浜があったら、夏の海と雪がいっぺんに楽しめそうだとのんきなことを考えた。そんな発想から巴は制服の袖を少し持ち上げて、砂を掻いて一部の箱の底をのぞいて白い砂浜を作った。その拍子に、手首の傷が見えてしまった。慌ててそれを隠した巴だったが、医師はそれを見逃さなかった。
「巴ちゃん、手首、どうしたのかな?」
怒気は滲まずとも、残念さが滲んだ声だった。巴は咄嗟に手首を隠していた。
「これは、その、何でもないです。落ちたカッターで、いえ、お風呂で剃ってた時にですかね。私、手が不器用で」
医師は黙って巴の言い訳を聞いていた。ただ落ちたカッターでは真横に傷はできない。巴は美容に気を配る心の余裕はないはずだ。その証拠に、口周りの毛さえ剃っていない。巴は傷口に出来たかさぶたを制服の上から握りしめ、唇を噛んだ。そしてこの傷を作った時の感情を思い出し、こらえていた涙が頬を伝った。
「自分で切っちゃったのかな?」
巴は泣きながら無言で頷いた。
「お願いです、誰にも言わないで下さい」
「それはできないんだよ、巴ちゃん。ご両親に来てもらって話さなくちゃいけないの。今日はもう終わろうか。次はお父さんとお母さんと一緒にきてね」
巴はただ泣いてうな垂れて、病院を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます