7.電波化

『何度も思ったのに?』


「うん、怖いから。ただ同情されたかっただけ。誰も私のこと見てくれないから、見てほしかっただけ。だから本当は、死にたいんじゃないの」


『最低な奴だ。死にぞこない。そうやって泣くのも人の同情を引きたいかっらなんだろう?だが、相手はお前に目を向けるどころか離れていく。誰もお前の周りにはいなくなる。お前は人に見てほしいが故に不幸でありたい。矛盾している』


「そう、だね」


巴は鏡台に伏して声を立てて泣いた。悔しくて、自分が情けなくて仕方がなかった。心のどこかで気づいていて見て見ぬふりをしていた。それを今、鬼に指摘されたのだ。不幸だから同情してほしいのではない。同情をかうために不幸でいたいだけだ。これが巴の本心だったのだ。

 巴が泣いていると、どこかで低い獣のうなり声がした。巴が涙と鼻水を垂らしながら振り返ると、いつの間にか落としていた携帯電話の辺りに黒い犬がいた。巴は顔をひきつらせて後ずさりしたが、巴より早く後ずさりしているのは鬼の方だった。眼鏡が涙で曇ったせいか、原型を持たないヘドロの鬼の他にも、いくらか鬼と似た気配を感じさせる者が犬の周りから一歩引いたような気がした。巴の気付かぬ内に、十匹近くの鬼たちが部屋の闇の中に紛れ込んでいたのだ。犬はまずカーテンに隠れた一本角の鬼を、次は腹だけが大きい鬼を、最後には電気の傘にぶら下がった一本足の鬼を、おそらく「喰った」のだろう。鬼たちの気配が、犬が駆け寄ったそばから消えていく。巴は今になって屑が式について詳しく教えてくれなかったことを思い出した。犬は屑の言っていた式という生き物に違いなかった。巴は喉の奥から出ようとしている叫び声を必死にこらえた。鬼たちの断末魔を受信しているのだ。その叫び声はあまりにも悲愴だった。巴は両手で口を塞ぎながら、床に落ちた電話に目を止めた。犬はその電話の辺りから現れたのだ。そしてあの電話は今も令とつながっている。巴は意を決してその携帯電話を拾い上げ、通話口に叫んだ。


「止めさせて」


犬が動く気配がぴたりと止んで、やがて気配そのものも消え失せた。令は何も言ってこないが、電話はつながったままになっている。しばらくして小さく令の呻き声がした。


「頭いてぇ」


令はまるで寝起きのような気怠るい声で、巴の声に反応した。


「どうしたの? もしかしてもう鬼がいないのに暴走した? そんな気はしないんだけど、やっぱ式の電波化は難しいな」


「なんでこんなことするんですか、あんまりです」


「え? ああ、ごめんごめん。部屋荒らしちゃった? でもトモピー大丈夫だったんでしょ?」


よかったあ、と令はため息をついた。しかし巴は泣きながら両手で携帯電話を持ち、あたかも目の前に令がいるように前のめりになって叫んだ。


「どうして鬼達を殺したんですか?」


しばらく令は黙り込んだ。


「ん? ずっと話かみ合ってなかった?」


「木戸さん、鬼達だって生き物じゃないですか。それを突然襲わせるのはかわいそうです」


「助けて、って電話してきたのはトモピーの方だと思うんだけど」


「それは、その……」


思わず言いよどんだ巴の耳に令の小さな笑い声が聞こえてきた。


「トモピー、面白いな。俺に怒ってたのはトモピーの方だったのに」


怒ってないから落ち着いて話そう、と令は朗らかな声で言った。その声に巴は安堵したが、次の言葉はどこか冷たいものがあった。


「屑は何て教えたの? 式や鬼のこと」

「初めは鬼を受信する力のことで……」


巴は記憶を辿った。ヘドロの鬼はその様子を離れた場所から見ていた。

「受信」とは「鬼」という限られた人間にしか見えない、もしくは感じられないものを感じる力のことだと言っていた。そして受信者は「式」という「鬼」と似た性質のものを飼っている、と。式を一回使うとたいてい鬼が受信の他に見えるようになり、式がいれば鬼はそれを恐れて近づけないのだと。その程度だったと思う。令は巴のたどたどしい言葉を一言も発することなく聞いていた。巴が話し終わっても、令は黙ったままだった。


「あの……、木戸さん?」


「あ、ああ、ごめん。ぼーっとしてた。屑はテキトーにモノ言うし、知ったかぶりするからな。あんまり信じない方がいいよ」


「屑君のこと悪く言わないでください」


「……分かった。俺が言い過ぎた。他人の気持ちにどうこう言うのはおかしいからな。ただ、あんまり近づくなって言ってるわけよ」


「そ、それは、さっきとあまり変わらない気が……」


「いーじゃん、別に。屑のことトモピーがどう思おうと勝手だけど、少し自重してくれた方が、俺としては安心できるってこと」


巴は屑のことを悪く言う令に不快感を覚えていた。確かに今日は、屑に裏切られ、令に助けられたが屑と過ごしたわずかな楽しい時間が忘れられなかったのだ。後ろでヘドロの鬼が動いていた。手を伸ばして巴の腕を掴む。制服にヘドロの水分がしみ込んできて鼻が曲がるような臭いがした。


「どうした、トモピー?」

「な、何でもないです」


とっさに巴は嘘をついた。まだ鬼がいると分かれば、令は式を使って鬼をまた喰うかもしれない。鬼は早く電話を切れと、巴の腕を引っ張った。


「木戸さん、助けていただいてありがとうございました」


「うん、西には羊がいる。今度は自分でやってみるといいよ。でも、無理はしないこと。危ないと思ったら、すぐにまた電話して」


じゃあ、と言った令はあっさりと電話を切った。最後まで、羊を屑に預けているとは言えなかった。巴はため息をついて携帯電話を母のバックに戻した。その瞬間。ヘドロの鬼が巴に覆いかぶさってきた。巴は重い体を引きずるように、自分の部屋へと戻った。

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