3.イタコ

声のトーンが変わらないことに、何故か安心した。当たり前のことを巴は忘れていた。本当に当たり前のことだけど、授業より私の方が大事なんだ。私がいないと授業も受けられないもんね。巴はようやく目が覚めた気がした。


「先生、私、辛いです」


巴の目から今までとは違う温かい涙があふれてきていた。


●絵に描かれた家。

それは描いた人物の自身や家庭を表している。窓やドアの描かれた家は開放感を表し、描いた人物の心に他者を受け入れる心の余裕があり、家族もまた、描いた人物に安定をもたらす者と認知されることが多い。

●絵に描かれた道。

それは社会を表している。家と道の距離は、描いた人物と社会の距離を表す。道が地に沿っていない場合は、現実逃避欲求の表れである。

●絵に描かれた山。

それは描いた人物の気性を表している。山の形、稜線は気性そのものの表れなのだ。そして色使いはその時点での描き手の気分を表している。

 病院へ通うかどうかは、巴の判断に任された。しかし電話の時点で、巴は病院に通うことを心に決めていた。


 カウンセリング室には椅子と机、棚と砂の入った箱があった。棚には様々なフィギュアやミニチュアがならび、壁には子供が描いた絵や、モンタージュが貼ってあった。机の上にはぬいぐるみが二つ並んでいた。窓から燦々と光が差してくる室内は、それだけで気分が軽くなるようだ。隣の部屋に続くドアから電話の女性医師が入って来た。カルテに次々と家族関係や学校生活について話したことを書き込んでいく。巴はぽつりぽつりと小さな声で話したり、支離滅裂だったりしたが、女性医師は聞き漏らさずにカルテに全てを書き込んで行った。巴はまるで今まで溜まっていたこと全てを吐き出すように話し続けた。巴の言葉はとめどなく続き、辛いことを話すと涙もとめどなく流れた。そして、ついに巴は核心を語る決意をした。


「私、今から変な話します。自分でもおかしな話だと思います。先生はそれでも聞いてくれますか?」


ある程度話した後、巴は唐突に言った。女性医師は「何でも聞くよ」と穏やかに請け負った。巴は正面に向き直り、やや声を押し殺して言った。


「幽霊って、いると思いますか?」

「いてもおかしくないと思うよ。巴ちゃんは見えたりするの?」


巴は首を振った。


「じゃあ、イタコって知ってますか?」

「いたこ?」

「イタコは死んだ人の魂を自分の体に降ろして、死んだ人に自分の口を貸して死んだ人の言葉を語る人です」

「巴ちゃんは自分がイタコだと思っているの?」


巴は小さく首を振った。分からない。ただ、母は青森県の恐山近くの出身なのだ。母の何代か前に、もしくは遠い母方の親戚などにイタコがいてもおかしくない。巴が仮にイタコの血をひいていたとしても、その能力を持っているのか、そのイタコという存在自体がまやかしではないかという疑問がある。


「イタコ。初めて聞いたけど、不思議で素敵なものね」

「本当にそう思いますか? 変人としか普通思いませんよ」


巴は自嘲気味に笑った。


「そうかな? もっと話したかったのに、死んでしまう人がこのこの中にはたくさんいるからね」

「本気で言ってます?」

「私はイタコさんみたいな先生になれたらいいな。他の分野の先生からは人とおしゃべりしているだけで給料が貰えて楽してるって揶揄されるけど、人の心の声を聞くってことは、外科と同じくらい難しいと思うから」

「もしかして、私と話すの大変ですか?」


巴がおどおどして言うと、医師は「いいえ」と笑ってカルテを閉じた。


「今日はこのくらいにしておきましょうか。次来るときは予約とってね」

「はい。ありがとうございました」


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