14.電話

千砂は少年がいた対岸のホームを見ながら呟いた。令の犬にも改の牛にも、もちろん巴の式にも、二度と会いたくなかった。しかしあの爽快感を伝える式なら嫌ではない気がした。


神童屑しんどうしょう君は神門です。人門とは対になるので、互いに感じるところが多いだろうと、木戸さんは言っていました」


偽名だ。咄嗟に気付く。名前に屑とは付けられないだろう。何故、そんな名乗りをしているのか疑問だったが、すぐに頭を切り替える。

 令は屑に近づくなと言っていたらしいが、巴と屑は仲がいいらしく、令の忠告は効力を持っていなかった。確か改も神門については詳しく聞いていないというから、令はどうやら他の式使いと屑を会わせたくないらしい。令は屑を嫌っているのだろうか。それとも二人の間に何かあるのだろうか。対岸を見つめ続ける千砂に、巴は泣きはらした顔で控えめに声をかけた。上目使いなその様は、明らかに何かを千砂に求めている。しかし巴はそれをなかなか声に出すことをしない。顔を赤くして上目づかいに千砂の顔色をうかがっては伏せ目にすることを繰り返した。


「どうかしたの?」


千砂がそういってくれるのを待っていたとばかりに、巴の顔は晴れた。しかし再びうつむく巴に戻ってしまった。


「電話を……。すみません」


千砂は「ああ」と言ってバックの中を探った。最近は携帯電話の普及で、公衆電話を見る機会はめっきり減った。そのため今では小学生、もしくはそれに満たない子どもまでもが携帯電話を使いこなすのを目にする。そんなご時世の中にあっても、この女子中学生は携帯電話を持っていないというのである。おそらくこの世で一番携帯電話を必要としている一人であろう巴は、いつもこうなった時にはどうしているのだろうと千砂は首を傾げた。


「あ、もしもし、お母さん? え、あ、これは知り合いのだけど……。うん、すぐ帰るよ。それじゃあね」


思わず電話を掛ける巴に目をやった。今までとは同一人物とは思えない大きな声で電話をしていたからだ。直接対面しても聞き取れないほど小さな声で話す巴だが、今の調子なら一歩下がっていても十分聞こえる。顔が見られていない方が話しやすいのか、それとも家族が相手だからか。口調も先ほどまでとは打って変わって、くだけたものになっていた。


「うん。じゃあ、○○駅前で待っているから」


巴は別人のように声を弾ませて電話を切った。そしてその瞬間、千砂の良く知る内気な少女に戻って必要以上に腰を折って礼を言って駆けて行った。その眼にはもう涙は見られなかった。千砂はそれを腹立たしさと共に見送った。巴の行動に腹が立ったわけではない。千砂にとって他人は差異なく全て敵なのだから、巴がどんな人物であろうと千砂が気にすることはない。ただそれでも、感じてしまうことがある。それは嫉妬という感情だった。千砂は巴のように人前であんなにも自由に、感情をあらわにすることはできない。千砂だけでなく大人になるにつれ、人前で感情をむき出しにすることが恥ずべき行為となっていく。しかし千砂は巴と同じ年にはもう、人前で自分の感情を出すことが全く出来なくなっていた。写真の中でレイとして笑ったりはにかんだりしているのは虚構だ。どうして巴をはじめ、多くの人間が千砂にとって許されなかったことをやすやすとやっていくのだろう。千砂は張りつめた表情で巴の後ろ姿を見つめていたが、やがて全身の力を抜いた。答えはもう出ているのだから、悔しがっても仕方がない。

 千砂は林田に電話をかけて謝った。林田は残念そうに「分かった」と一言だけ言って電話を切った。この余計な会話をしない乾いたやり取りが、千砂は好きだった。携帯電話をバックにしまった千砂は、深くため息をついた。既に夜の顔をした空も、無機質で埃っぽい世の中も千砂は好きだった。千砂はいつも通り電車に乗り込んだ。そのどこか事務的な電車内には、いつも通り鬼たちがいた。ようやく見えなくなったと思っていたのに、彼らはどこにでもいて、人の様子をうかがっている。


(喰らえ)


千砂はタバコを内ポケットにしまい込む男子高校生の膝の上に座る鬼に向かって、胸の内でささやいた。その瞬間、千砂の耳元で小さく鳥の羽ばたきが聞こえた。鬼は鶏についばまれて、やがて消えた。門だろうが式だろうが、千砂にとってはどうでも良かった。誰に関わるでもなく、何を感じるわけでもなく、不変な平穏。他人がどうなろうと構わない。千砂は鬼と渡り合う術を手に入れただけだ。だから千砂はこれからも千砂は一人で生きていくのである。

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