1.0
レイ。れい。0。
そう、ゼロという意味の名前だ。街で林田にスカウトされて業界入りした時、自分でつけた名前だ。日本の名前はややこしい。日本史を見ると、一族が同じ漢字を継承していたり、「真名」と言うものがその人自身を表わしたりしている。そして名前は呪詛や縛る対象にもなる。現代日本でも、若干それを引きずっているように思える。名字が身分の低い人々に広がったのは、最近のことらしい。私には名字も名前も不必要だったから、「無」を名前にした。あいつに会うまでは気に入っていた。まさか、自分以外にもいるとは思わなかった。
あいつは言った。
交差点の信号が青になる。そして――。
「もしかして、ツカレテル?」
――――つかれてる?
ただ、大学前の交差点のすれ違いざまだったのに、突然腕をつかまれて話しかけられた。大勢の大学生が行き交う交差点。その真ん中で、強く腕をつかまれ、立ち尽くした。自転車で横を通り過ぎる無関心な若者がいる一方で、不躾にじろじろ見てくる女もいる。もちろん相手とは初対面だった。他人に心配されるほど、自分は疲れた顔をしていただろうか。それとも新手のナンパか何かか。いや、体型を隠す大きめの服に、肌の色を隠す暗めのファンデーション。おまけに三つ編みをして体を常に猫背に保つ私をナンパするものなどあり得ない。ならば、前者だろうか。いや、そんなはずもない。このサングラスに白髪のオールバックという奇抜な格好をした長身痩躯の男は、「疲れてる?」と言ったのではない。「憑かれてる?」と、通りすがりの私に声をかけたのだ。私は腕を振り払い、大学の門を抜けた。私が何故、瞬時に男が言った言葉を漢字に変換できたかと言えば、私が他人と異なる体質だったからに他ならない。霊感商法の一種と一蹴することもできたが、男は大学までそのままついてきた。
「えー、マジ? こんな近くにいたんだ。しかも俺と同じモンじゃん。ラッキー」
男はまるで親しい友達と話すように、私に向かってそう言った。
「誰ですか、あなた? ついて来ないで下さい。あなたといると目立ちます」
「それより早くトイレ行っといで。君が最後のモンだから、受信場所は『股』だって知ってるんだよね。話はその後」
青年は私を女子トイレに押し込んだ。どうしてそんなことまで知っているのかと思いながら、私は個室に入る。青年の言う「受信」に備えて私はいつもナプキンをしている。「受信」すると、生理の周期に当たっているわけでもないのに経血が出る。それも墨のように真っ黒な血だ。そして青年の言う通り、今もその状態になっていた。
青年は女子トイレの前で堂々と待っていた。
「今日は休講らしいよー」
「同じ授業を取っているわけではないでしょうから」
私は青年を無視して電光掲示板の前に立った。様々な連絡がスクロールして流れていく中に、「休校のお知らせ」が流れてきた。その光景に私は目を疑った。一コマ目の教養の授業が、全て休校になっている。無論、私がとっている授業も、だ。これで新入生は全員、一つ目の授業が潰れたことになる。
「な、休みだろ?」
得意げに青年は私の横に立つ。
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