第5話


 建物から出ると、外は真っ暗になっていた。今までは寒さなど感じなかったのに、今は刺すような冷たい何かを感じる。妖怪が出歩いていると知っている恐怖のせいでそう感じるのだろうか。

「さて、それじゃ行こうか」

 部屋を出る時から繋がれたままの右手を引いて江藤が言う。どうやらこのまま行くらしい。暗くて周りが見えないから、手を引いてもらえるのはありがたい――と心の中で言い訳めいた理由を付けて町田は頷くと、ゆっくりと歩き出した。

 京都の街並みの中を手を繋ぎながら、足音を立てないようにドキドキしながら歩いているのは、状況さえ違えばデートのようだ。だが、今感じているドキドキは到底デートなんて甘いものではない。いつ、妖怪と出会すか、と冷や冷やしている。

「ここから鐘のある場所に向かうには、橋を渡るしかないんだけど、橋には妖怪が集まりやすいんだ。気を付けないとね」

 江藤が耳元で囁く。妖怪たちは、声や音に対する反応がすごく良いらしいので、声を出来るだけ潜めようという彼女の意図は分かるが、それでも吐息が聞こえるほど距離が近いのは思春期にとってはダメージがでかい。ほとんど彼女の話は聞こえなかった。

 そのまま江藤に手を引かれながら歩いていると、江藤が突然立ち止まり、近くの建物の陰に自分の体ごと町田を押し込んだ。

「ちょっ――」

「しっ! 静かに」

 隙間なく密着してきて、町田が思わず声を上げると、江藤の鋭い声が耳に刺さった。もしかして、妖怪がいたのか――と、町田は横目に路地の方を見ると、何かがずるずると両足を引きずりながら歩いてきた。体の至る所から、骨のような物が突き出していて、もう人の顔をしてはいなかった。半開きになった口からは夥しいほどの涎が垂れている。どう見ても普通じゃない。

 湧き上がる恐怖に震え叫びそうになるのを堪え、その何かが通り過ぎるのを息を止めて待つ。大体一、二分程度の時間だったと思うが、まるで一時間以上かかったように感じた。

「ふう、どうやら行ってみたい」

 江藤が安堵の息を漏らして、建物の陰から出る。町田もようやく息を吐き出した。途端に全身が震えあがった。

「……あれが、妖怪?」

 なんとかそれだけ口に出す。姿を見ただけで、生まれてから今まで感じたことないような恐怖が体を襲った。あんなのが多く出歩いているなんて、地獄となんら変わらないのではないか。

「そう。今のうちにこの路地を抜けよう。橋はもうすぐだからね」

 江藤は冷静にそう言う。クラスメイトだった時から落ち着いていたが、今はその落ち着きがとても頼もしく思う。

 路地を抜けて、川沿いを身を潜めながら歩く。川の向こうにいくつか影が見えた。方向的に自分たちと同じく橋の方に向かっているように見える。

「やっぱり橋の方に向かってるな」

「今向かっているのは四の橋だからね。死を連想させる数字が好きなんだよ、死者は」

「そう……なのか?」

「冗談だよ。多分ね」

 この状況でその冗談は笑えないのでやめてほしい。多分なんて含みを持たせるな。






 どれくらい歩いただろう。気が付けば、目的の橋の近くまで来ていた。幸運な事に最初に出会った奴以外の妖怪に遭遇することは無かった。だが、この先はそうはいかないみたいだ。

「やっぱり、橋の上には集まってるね」

 江藤がため息交じりに呟く。橋の上でいくつもの影が蠢いているのが遠目からでも分かる。あそこを死なずに通るなんて可能なのか。

「あの橋の上本当に通れるか?」

「通らざるを得ないよね。それとも川を泳ぐ? 水底にもいるかもだけど」

「……それは怖いな」

 泳いでいて急に川の底から足を引っ張られるのは怖すぎる。防ぎようがない。となると、やはり橋を通る方が現実的かもしれない。

「でも、どうやって橋を通り抜ける?」

「うーん、どうしようか。普通に行くと確実に捕まるね」

「ちなみに、ここで死ぬとどうなる?」

「生まれ変わることも出来ずに、永遠に闇の中を彷徨うらしいよ」

 だから、そんな怖い事をさらっと言わないでほしい。

「仕方ない。やっぱり仲間に頼ろうかな」

 江藤は頭を掻いてそう呟くと、懐からスマホのような物を取り出して、誰かに電話をかける。この世界にも電話はあるらしい。

 数分ほど経って、江藤と同じ白い制服を着た男女二人が唐突に目の前に現れた。一体どこから出てきたんだ。

「何だ? デートの手伝いならしないぞ」

 バンドマンのようにマッシュな頭の男が面倒くさそうに言う。前髪が目にかかっているが邪魔くさくないのだろうか。

「まぁそう言わないでよ。実は橋の向こうに行きたいんだけど、邪魔が多くてさ」

 江藤は笑いながらそう返した。デートの部分は否定しなくていいのか。

「それで私たちに妖怪退治させようって?こっちは今日非番なのに人使いが荒いね」

 モデルの様に長身なうえ、その腰ほどまで伸びた髪が印象的な女の方が呆れたように首を振った。美人だが、かなり気が強そうだ。

「君たちの得意分野でしょ? お礼に何か奢るからさ」

 江藤は相変わらずへらへらしている。会話の感じからしても仲は良さそうだ。

 視線を感じて、町田が振り向くと、マッシュの男がじっとこちらを見ていた。何というか、圧力というかなんとも言えない緊張感を感じる。

「な、なんでしょうか?」

 ビビりながらも町田が尋ねると、マッシュの男は一瞬江藤に目をやり、改めてこちらを向いた。

「……こいつ、めんどくさいだろ?」

「え?」

「小さい悪戯ばっかするガキみたいな奴だが、仲良くしてやってくれ」

 マッシュの男はそれだけ言うと、一足先に橋の方へ駆け出して行った。

「ガキって言われた……町田君、私ってそんなに子供っぽい?」

「え⁉ いや、どうかな」

 いきなり聞かれても困る。あの男の言う通り、子供っぽいところがあるのは否定できないけれど。

「あーやだやだ。イチャイチャならよそでやって」

 長身の女が心底嫌そうに顔を顰めて吐き捨てる。それから「何かむしゃくしゃしてきた」と呟いて、橋の方へ走って行った。途端に静寂が広がる。

「今の二人は私と同じ時期に監視者なんだ。男の方が菊池きくちで、女の方は珠洲すず。妖怪退治が専門の戦闘好き」

「さっきから気になってたけど、妖怪退治って?」

「ああ、忘れてたね。妖怪になっても四十九日が経つまではまだ元に戻せるんだけど、それを過ぎるともう元の状態には戻せなくなるの。そうなったら退治するしかない。彼らはその妖怪退治専門の監視者なんだ」

 どうやら監視者の中にも部署というものがあるらしい。江藤は調査が主の部署で、菊池という男と、珠洲という女の所属は退治なのだそうだ。何というか現実というよりも、そういう映画なのかと勘違いしてしまいそうになる。

「まぁ妖怪たちは夜の間しか行動できないし、よっぽどの実害が無い限りは無視するんだけどね。数が多くて全部退治なんて到底無理だよ」

「そんなにたくさんいるのか……」

 正直、あんな奴らがたくさんいるなんて恐ろしすぎる。

「さて、じゃあ私たちも行くよ」

 江藤が言って、町田の手を引いて走り出す。そこで気付く。先ほどの二人もそうだったが、江藤もかなり足が速い。現世にいた頃は運動なんて出来ないと思っていたが、意外にも動けるらしい。

 橋にたどり着くと、町田は目を疑いたくなった。あれだけ橋の上に集まっていた筈の妖怪たちは既に姿を消していて、橋の上には菊池と珠洲の姿しかない。まだ五分も経っていないような気がするが、まさかもう退治したというのか。

「流石。仕事が早いね」

 江藤が二人に声をかける。

「雑魚ばかりだった。つまらない」

「ほんとそれ。これならあんたでも余裕だったんじゃない?」

 二人はため息を吐きながらそう言った。その物言いに、江藤が二人を戦闘好きと称したのも納得する。

「二人とも助かったよ。ありがとう」

「……橋の向こうまでは手伝えないからな」

 菊池が素っ気なく言うと、そのまま姿を消した。その際一瞬だけ彼と目が合った気がしたが気のせいだろうか。

「んじゃ私も帰るわ。眠いし」

 珠洲も同じように軽く手を振ってさっさと帰ってしまった。

「……ありがとね、見逃してくれて」

 ボソッと江藤が呟く。

「え?」

「いや、何でもないよ。目的地はもうすぐだね。急ごうか」

 江藤がそう急かす。確かに橋には妖怪が集まりやすいのだから、急かすのも分かるが、何となく不自然というか、違和感を覚えた。だが、今は帰ることが先決だ、と町田はそのことには触れずに、手を引く江藤の後を黙ってついて行った。

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