第4話


 ──誰も自分の事を記憶していない。という事は、自分はもう現世には存在しない事になっているのか? 死んだわけじゃないのに、どうしてそんな事になっているんだ。

「安心してほしいんだけど、君はまだ現世に戻れるよ」

 愕然とする町田の様子を見て、焦ったように江藤がそう付け加えた。

「町田君の記憶を皆から消したのは応急処置みたいなものなんだ。だって、突然クラスメイトが目の前から消えたらパニックになっちゃうでしょ」

 彼女はそう言うが、すぐには信じられない。なんなら、こっちの世界に来てから分からない事ばかりだ。生きた人間が死後の世界に来てる自体、おかしな話なのだ。

 そこでふと気づく。彼女の物言いに違和感があった。

「……記憶を消したのが応急処置って、もしかして江藤さんが消したってこと?」

 まさかそんな事が出来るというのか。彼女は一体何者なんだ。

「……私たちの仕事の話もしないといけないね」

 江藤は少し声のトーンを落とす。表情にも陰りが見えた。

「仕事?」

「うん。でもその前に私の事を教えようか」

 江藤は、ベッドから立ち上がると、机の引き出しからノートを一冊取り出して、町田に開いて見せる。開かれたページには、新聞の記事の切り抜きが張ってあった。

「この事件、知ってる?」

 江藤が尋ねてくる。新聞の記事には、五年ほど前に起きた事件の事が書かれていた。横浜に住む高校生の男女がある日、突然姿を消した。最初はその高校生たちは恋人同士であり、駆け落ちの真似事でもしていると思われたが、失踪してから数日後、男女の自宅にそれぞれ電話がかかってきた。お宅の子を誘拐したという旨の電話だったらしい。だが、犯人は特に金銭を要求することはなかった。ただ、子供を誘拐したという事だけを報告して電話は切れたらしい。それから五年が経ったが、いまだに犯人も子供たちも見つかってはいないそうだ。

 その事件について町田は覚えがあった。今朝、ニュースで見たからだった。丁度今日が、高校生の男女が失踪して五年になるのだと。

「知ってる。朝ニュースで見たから。でも、それがどうしたんだ?」

「この失踪したって男女。一人は私なの」

 江藤の告白に町田は言葉を失う。失踪した男女のうちの一人が彼女。そしてその彼女がここにいるという事は──。

「私がここに来たのは五年前。体には刃物で刺されたような傷があったから、殺されたんだと思う」

 まるで他人の話をしているかのように淡々と江藤は語る。遠くを見つめる眼差しに感情は無かった。ぞっとするほど無感情だ。

「私は、許せなかった。私を殺した犯人が。多分それが未練になって私は間界にやってきたの。最初は意味が分からなくてね、一人で暴れてたんだ。そしたらね、一人の男の人が手を差し伸べてくれたんだ」

 彼女に手を差し伸べたのは、監視者と呼ばれる人だったそうだ。監視者はこの間界の秩序を保つために存在する組織らしい。暴れるものたちを鎮めたり、俺の様に間違って来てしまった人を帰すために動いたり、時には現世に行って現世で彷徨ったままの魂を導いたりするらしい。江藤は、その監視者の男に、監視者にならないかと勧められたそうだ。

「このままなら私は妖怪になっちゃう。それなら、私と同じように殺されたりしたものたちを救おうって思ったの。それで、私も監視者として働くようになったんだ」

 江藤はそこで一息ついた。

「そして、監視者に与えられたいくつかの権利の一つに記憶の操作があるの」

「記憶の操作?」

「現世に調査に行くときは、幽霊とかと違って、皆に見える普通の一般人として行動するんだ。だから、スムーズに行動するために自分の記憶を他人に刷り込むことが出来るんだ。住んでいる場所とかバイト先とか、周辺情報も込みでね。だから、私が現世にいる間は皆の記憶の中に私がいた」

 彼女の説明に町田は不思議と納得出来た。彼女と仲良くなったきっかけが曖昧だったのは、いつの間にか記憶を刷り込まれたからだったというわけだ。

「それで、帰るときにはその記憶が全て消えて、何事もなかったように日常に戻るってことか」

「そういう事。それで、丁度現世で調査中の仲間に頼んで君の記憶を消してもらった。これでひとまず現世で大きな騒ぎになる事は無い」

「万能な能力だな」

「一応、滞在する期間が長かったり、あまりにも他人と一緒にいすぎたりすると記憶が消えるまで時間がかかるってデメリットもあるんだけどね。まぁ、君たちからしたら、私たちも妖怪みたいなものだね」

 江藤はニコリと笑った。少し自嘲気味だったが、それでも彼女の笑顔を見るのは随分と久しぶりな気がして、嬉しかった。

「じゃあ、俺だけが江藤さんの事を覚えていたのは、江藤さんと仲良くなり過ぎたってことなのか」

「……それはそうだけど、はっきり言われるとちょっと照れるね」

 急に江藤が顔を赤らめる。何故だと思い、町田は自分の発言を思い返して同じように顔に熱が集まった。

「余計な事を言った。ごめん」

「気にしないで。……嬉しいし」

「え?」

「何でもない」

 気まずい空気が部屋の中に漂う。お互いに顔が見れず、しばらく壁や床を見つめていた。

「じ、じゃあそろそろ、町田君をもとの世界に返すために仕事しないとね」

 不意に、江藤がやけに明るい口調で言った。無理やり話を変えた感が否めないが、自分も早く帰りたい気持ちはあるので突っ込まないようにした。

「一応、今現世にいる仲間にお願いして、町田君のクラスメイトを『迎え鐘』があるお寺へ誘導してもらっている。でも、ただ待っているだけじゃ帰れない。町田君にもこっちの世界の『送り鐘』に行ってもらわないといけないんだ」

「こっちの世界の送り鐘って、俺が目覚めた場所のこと?」

 俺が目覚めた所には現世と同じように鐘があった。あそこのことだろうか。

「いや、そっちは違う。こっちの鐘は現世と位置が逆転していてね。現世で送り鐘がある所は、こっちでは迎え鐘になっているんだ。だから、ちょっと遠いんだけど、こっちの送り鐘の方へ向かってもらうよ」

 江藤は地図を開いて、指で場所を示してくれた。だが、そこは今いる地点からは確かに少し距離がある。歩いていくのはなかなか大変だ。

「本来なら、日が昇るのを待つけど、あまりこっちに長くいると現世に帰れなくなっちゃう可能性もあるからね。危険だけど、これから出発するよ」

「でも、夜は妖怪が出歩いているんだろ。大丈夫なのか?」

 夜は、強い恨みなどを持って妖怪の姿に変わってしまったやつらが出歩いていると言っていた。襲われる心配はないのだろうか。

「当然警戒しながら行くよ。でも、私も監視者だからね。いざという時はちゃんと君を守るから安心して」

 そう言って、江藤は得意げに胸に手を当てる。確かにこっちの世界では彼女の方が守る側なのだろうが、女の子に守られるというのは、男として少し抵抗がある。

「俺も江藤さんの事を守るよ。役に立つか分からないけど」

 男としてのプライドから町田はそんな事を言う。

「じゃあお互いに守り合おうね」

 江藤は照れたようにはにかむと、町田の手を握ってそう返した。

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