第6話
「この勝負、フェアじゃない」
雄一の横をすり抜けていく優希を振り返ると、背の高い信也を見上げて抗議していた。
「お互い、ダンスに集中できないじゃない。実力が発揮できないんじゃ、勝負にならない」
沙流が割って入った。
「ハジメまして。菅野……」
「優希です」
「ハナシは聞いてるわ。アタシ、真間沙流」
「ブラジルからいらした方ね。はじめまして」
こんなことになるはずじゃなかったんだけど、と利春も口を挟む。
話を軌道に戻したのは、信也である。いくらか捨て鉢だった。
「イベントも中止。音源持ってこようにも、この雨じゃ……」
「私が歌うわ。」
全員、きょとんとして優希を見た。優希は構わず続ける。
「それなら公平でしょ」
沙流と利春を交互に見る。二人とも頷いた。
信也が雄一に問いかける。
「まだ踊れるだろ?」
もう踊れない、とは言えなかった。それは、信也に対しては裏切りであるように思えた。信也が続けるという限り、お互いが納得いくまで踊り続けるべきなのだ。
「それじゃ」
優希は雄一の手を取った。信也の前に引っ張って行って握手させる。
「レディ・ゴー!」
手拍子を打ち始める。雷鳴が遠ざかっていく。その音が水を張った駐車場の表面にこだまするようになると、沙流と利春がそれに応じた。
優希が歌いだす。雄一には理解できない、外国語の詩だった。
ヘイ・ホウ……ヘイ・ホウ……
沙流がそれに合わせて手拍子をつけた。
ヘイ・ホウ……ヘイ・ホウ……
利春も調子に乗って合流する。
ヘイ・ホウ……ヘイ・ホウ……
「行くぞ」
信也が構える。雄一も腰を低く落とした。
まるで格闘でもするかのように、二人は一定の間合いを取ってステップを踏む。雄一は片手を突いて、両脚を下から前へ蹴り上げた。蟷螂拳の穿弓腿……。だが、信也はそれとそっくりの技を横蹴りで見せた。
アウー・バチード、と沙流がつぶやく。
信也が片手をついて跳んだ。両脚が回転する。アウー・ヘリコプテロ!
だが、それはすでに見た技だ。クリアした雄一は、しゃがみこんで足を前に払う。長拳の前掃腿とかいう技らしい。信也は難なくやってみせる。沙流のつぶやきは「ハステーラ」だった。
信也は前後左右にステップを踏む。体を捻って蹴りを繰り出す。「アルマーダ」……雄一もそれに続く。
前回し蹴り! 利春が言うには、空手だけでなく、テコンドーでもトリョチャギとかいう名前である技らしい。だが、これも「マルテロ」の一言で片付けられた。
更に信也は跳ぶ! 跳んでさっきの「アルマーダ」を放った。できるだろうか。やるしかない! 雄一はそれに続いた。
だが、蹴った足が地に着かないうちに反対側の軸足が動く。前回し蹴り! 信也は悠々と着地する。
雄一の蹴った足は着地しそうだった。ここで足がついたら負けだ……
思い切って流れに体を任せる。一か八か、回転する勢いのまま、体を地面に投げ出す。軸足がふわりと宙に浮いた!
着地。「パラフーゾ」とつぶやいて、沙流が雄一に微笑みかけた。
やったね、と利春が親指立てて突き出した。
いつの間にか雨が止んでいた。
優希の歌も終わっていた。
……アン・ウィル・ストラィ・トゥ・プリー・ジュー・エヴリディ……
その意味は、やっぱり雄一には分からなかった。
そして、約20分後。
「恥ずかしいよ、こんな格好!」
優希が叫ぶ。
「こんな時間に誰も見ちゃいない!」
雄一は優希をおぶって、レンガ道を走る。終電まで、もう間がなかった。
ぼんやりと門灯のついた、古い木造の駅に駆け込む。改札の駅員が、目を丸くする。
待合室に駆け込んで、優希を降ろした。ベンチに座らせて時計を見る。11時40分。信也が教えてくれた終電まで、あと5分しかない。
窓口で切符と入場券を買う。待合室に戻って気がついた。
「荷物は?」
「コインロッカー。」
慌てて自分の懐から100円出して荷物を取り出す。
荷物を背負ったまま、優希の手を引いてホームへ駆け込む。
青地に白の横ラインが入ったレールバスが、古くぼんやりした灯りの中に待っていた。
だが、荷物を手から提げたまま、優希は動かないで雄一の顔を見上げた。
ぱっとしない顔立ちの、背の低いメガネ少女。抱きしめてしまったら、離れられなくなる。それはいけない。
……レールバスは、もう出てしまうのだ……
行けよ、という信也の言葉が耳の中に甦った。あの後、どうして、と問うヒマもなく、信也は優希を雄一の前に押しやったのである。
もう疲れて動きたくない、とうずくまる信也を、沙流は豊かな胸の中に抱きとめていた。イトコ同士とはいえ、利春は、内心大いに悔しがっていたことだろう。
何やらむにゃむにゃと言いながら、沙流の腕の中からしっしと手を振った信也。
終電なくなるゾ、と通訳した沙流。
急いで優希の手を引いて駐車場から飛び出し、国道沿いのレンガ道を駆け出した雄一だったが、いかんせん二人のストライドは根本的に違った。
そこで雄一は、もたもたする優希を背中におぶって走り出したのである。
でも、それもここまでだ。明日から、いや、10分後、いや、あと5分後には、優希の新しい人生の旅立ちが始まる。
雄一は、抱きしめる衝動に駆られる両腕を黙らせるため、ぐっと両脇を締めた。
しばらくじっと我慢して、ホームの時計を見上げる。もうすぐ発車のアナウンスが……
鳴らなかった。
……え?
見れば、11時47分だった。改札を振り返ると、初老の駅員が「雨で出発遅れてます」と教えてくれた。
雄一が発車時間を聞くと、あと13分、という答が返ってきた。
二人はそのまま、ホームのベンチに並んで座った。
優希が、信也の遅刻のわけを教えてくれた。
家を出る直前に、信也が会いにきたのだという。自分の本当の気持ちを告げにきた、と言う信也のために、優希は雨の降り出しそうな空の下で、近所を共に散歩したのだった。
「私との出会いは、人生最高の思い出なんだって」
「え……」
あの野郎、と思う間もなく、優希が言葉を続けた。
「だって、あなたを知ることができたから」
「俺?」
「ちょっと悔しかった」
へへ、と優希が笑った。
「斎賀君、格好いいじゃない。人気あるし。独占できて優越感だったんだ、結構」
さすがにむっとして、雄一は優希の頭を人差し指で軽くこづいた。優希も負けずにこづきかえす。
「女の子ってね、それとこれとは別なんだよ」
しっかりしろ、七海雄一。
ささやきながら雄一の腕をとって、小さな体をぴったり寄せてきた。柔らかい肌が自分の肌に触れる感触は、これが生まれて初めてだった。
「私が好きだから七海君のライバルになったんじゃないの。雄一君が真剣に向ってきたから、私にも、ただの親切じゃなくて真剣になったんだ、斎賀君」
こんなシチュエーションで他の男のことが言える女の子だったことが意外だった。優希は目を閉じて、ふふ、と笑う。
「たぶん雨で中止になるけど、ずぶ濡れになっても来い、って。僕と七海君との闘いを見届けてくれっ、て。」
格好いいなあ、とまたつぶやくので、雄一はそっぽを向いてみせた。優希は空いているほうの手を伸ばして雄一の頬をつねる。
「痛てて」
「話を聞け、コラ」
優希の顔を見る。メガネの奥の澄んだ目が、まっすぐに雄一を見つめている。にやっと笑って言った。
「まだまだ青いな」
きょとんとしている雄一の唇に、電光石火の勢いで、優希の唇が重なった。
「頂点に立つものは孤独なのだ」
優希は腕をほどいて立ち上がった。ホームの灯りはぼんやりしていたが、その下に立つ優希は綺麗だった。
度の強いメガネをかけた、小柄な、ぱっとしない顔立ちの少女。
旅行鞄を肩にかけ、素足にサンダル履きの白く細い脚をたったかと動かしてレールバスに駆け込んだ。
振り向いてにっこり微笑む。
「じゃあね」
発車のアナウンスと共に、ドアがぷしゅうと閉まる。2両編成のレールバスが、とろとろと動き出した。
走れば、まだ優希の姿を探せるかもしれない。だが、雄一は既に無人の改札に向って歩きだした。列車のがたんごとん揺れる音が遠ざかっていく。
雨の名残の風が、背中からどっと吹き付けてきた。
そして9月。
新学期が始まった。
雄一は、専門学校の出願書類を書き始めた。「頂点に立つために」本格的な受験態勢に入った信也とは、顔を合わせることはなくなった。
利春の顔つきも少し変わった。いつもうつむき加減にしょぼしょぼしていた目は、今ではしっかりと前を見ている。オタクが治ったかどうかは分からない。沙流の乗っているグラビア雑誌は、いつも大事に持ち歩いているらしい。
その沙流も、どのくらい売れているのかは分からない。本屋でそれとなくチェックしてみても、彼女が載っているらしい雑誌は、まだ見当たらない。
優希からは、何の連絡もない。まだ向こうに着いたばかりだから、そんな余裕もないのだろう。雄一は気長に待つつもりである。
いや、手紙も電話も来なくてもいい。目を閉じれば、あの夜のホームで見上げた、凛として立つ小柄な姿が甦るのだから。
雄一は思う。いつかどこかで、自分も彼女の前に凛として立とう、と。
ところで……
あの夜、優希が歌ったのが古い英語の歌だったことを、雄一はかなり後になって知った。その歌はこんな歌詞で終わっている。
遠い昔に、世界は始まり(雨風いつもヘイ・ホウ歌う)
一件落着、芝居はおしまい(だって毎日雨降るし)
それではお後がよろしいようで……
(ウィリアム・シェイクスピア『十二夜』より)
(完)
レヴィ・ブレイク 兵藤晴佳 @hyoudo
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作者
兵藤晴佳 @hyoudo
ファンタジーを書き始めてからどれくらいになるでしょうか。 HPを立ち上げて始めた『水と剣の物語』をブログに移してから、次の場所で作品を掲載させていただきました。 ライトノベル研究所 …もっと見る
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