本編

 私は幼い頃から友だちがほとんどいない影のような子だった。それはいつからか自分自身で望んでいた立場であった。自分の存在意義はなんだろう。そう思った時に、私はそれを見つけられなかった。だから、みんなの中では私はいてもいなくても一緒なのだと、自分の存在そのものを他人の中から無くそうとした。そうして私は影のようにひっそりと生活してきた。

 あれは私が高校三年生になってすぐの事だった。

「誰か、文化祭実行委員やってくれる人いませんかー?」

 クラス委員長に自ら立候補した生徒がクラスメイトに声をかける。文化祭は始業式から二ヶ月後の六月。三年生は舞台発表であり、大体は演劇と相場が決まっていた。委員長が順番に一人一人の顔を見ていくが、誰一人として目を合わせない。私ももちろん手にした本から顔を上げることはなかった。

(まぁ、誰もやりたくないよね・・・)

 多くの部活は大会の時期が被っており、部長として、最高学年として、最後の大会だと臨む者も多くいた。そして、受験生としても一分一秒も無駄には出来ない。文化祭実行委員なんて足枷でしかなかった。誰もが誰かに押し付けられないかと考えていただろう。

「じゃあ、俺やるよ」

 そんな中、一人の生徒がスッと手を挙げて言った。彼、藤岡正樹だった。顔よし性格よし、人望もある。誰もがホッとした。

「いいのか? 忙しいだろ? 無理するなよ」

「大丈夫だって。誰かがやらなきゃなんないんでしょ? みんな忙しいだろうし、俺がやるよ。もう一人誰かやってくれないかな」

 自らも面倒事を引き受けた委員長が心配そうにかけた声に笑顔で応え、自分の席から周りを見渡す。

 きっと仲のいい友人に声をかけるだろう。私には関係ない。本の世界に思う存分入り込める。そう思っていたのだが。

「佐々木さん。やってくれないかな」

 そうそう。佐々木さん。って・・・あれ?このクラスに佐々木は一人のはず。

「・・・・・・私?」

「うん。頼めないかな?」

 全く意味がわからない。よりにもよってどうして。

「・・・・・・どうして私・・・?」

「えっと・・・理由は色々あるんだけど・・・ダメ?」

 よかった。面倒事は免れた。クラスメイトたちの顔にはそう書いてある。ここで断ったら恨まれるだろう。嫌な目立ち方は御免だ。

「・・・みんなが私でいいのなら」

「よし! よろしくね、佐々木さん」

 了承したからにはやれるだけやるしかない。それに、この笑顔を向けられて断れる人がいるなら教えてほしい。




 仕事が始まったのは二週間後の委員会議からだった。その会議の帰り、私はずっと気になっていたことを彼に聞いた。

「あの・・・藤岡くん。初めにも聞いたけどさ、どうして私なの?」

「えっ? 佐々木さんって、〈文芸部〉でしょ? よかったら劇の台本頼みたいなぁって。あと、俺が単純に話してみたかったから。ごめんね? 迷惑・・・だったよね?」

「・・・別にいいよ。クラスで一番暇なのは私だろうし。私に出来ることなんて限られてるし。藤岡くんが私でよかったならそれでいいの」

「よかった・・・ありがとう」

 あと、もう一つ。私が指名される前から気になってた。

「藤岡くんは・・・・・・藤岡くんは私と違ってすごく忙しいんじゃないの? 委員長も気にしてたし・・・どうして文化祭実行委員なんかに?」

「みんなの前でも言ったけど、誰かがやんなきゃなんないんだよ。それが俺だっただけ。運動部は文化祭前後に大会だし、文化部も文化祭は部活の方が忙しいじゃん。三年って言ったら受験勉強もあるしさ。みんな忙しいから」

「藤岡くんって、確か〈報道部〉・・・だよね?」

 報道部はこの学校独特の部活。他の学校では新聞部と放送部の二つに分かれているみたいだ。主な内容は昼の放送と毎月と行事毎の新聞発行。この情報は全て報道部にいる友人からだった。もちろん、藤岡くんが所属している話も。

「そうだよ。知ってくれてたんだ。〈社会部〉と〈報道部〉。社会部は文化祭は部誌一冊だけだし、報道部のメインの仕事は文化祭当日だから」

 しかし、確か友人は「新聞の文化祭号はあちこち調べてインタビューっていうか、誰が活躍するか分かんないから大変だしさ、司会の方は生徒会と色々連携とらなくちゃいけないからなんか精神的披露がハンパないの。ほんと嫌になるよ。部活への愛だけで動いてる感じ。大会も時期かぶるし」と嘆いていたはずだ。藤岡くんはしっかりしてるから部活でもメインで動いてるとも。それに、わが校の社会部は活発だ。この時期にも市のボランティア募集が二、三個あったはずである。きっとそれには両方参加するだろう。ということは・・・

「・・・・・・本当に大丈夫? 結構忙しいでしょう? えっと・・・私がどれだけ役に立てるかは分からないけど、出来ること全部任せてくれていいから」

「ありがとう。頼りになるね」

 次の日のLHRで内容は演劇に決まった。舞台は中世ヨーロッパの貴族社会。台本はやはりと言うべきか私が書くことになった。私が出来るのはそれぐらいだからそれは構わない。むしろ書けて嬉しいぐらいだ。自分の世界がどういう形であれどういう形であれ現実に現れるとは、物書きにとって喜ばしいことだ。



 一週間後。私は書き上がった台本を彼に見せた。

「すごいね、佐々木さん。面白いよ。一週間で書いちゃうなんて、さすが文芸部だね」

 嬉しかった。自分の作品の感想を聴く機会なんて今まで無かったから、すごく新鮮だった。

 その日のLHRで、私の台本は発表された。クラスメイトの反応からすると、及第点には達していたようだった。


 舞台は中世ヨーロッパの貴族社会。主人公は上流階級に生まれた心優しい青年、《エーベル・フォン・シーライン》である。青年の剣の腕は国内でも上位。傍らには常に同年代の優秀な執事が一人控えており、婚約者は幼なじみの美しい美貌を持つ上流階級の女性。そして、青年は貴族間の勢力争いに巻き込まれその短い生涯を終える。


 主要な登場人物は三人。青年、婚約者、執事だ。学生がどこまで出来るかは、分からない。ただ、この三人の演技力にこの劇の成功がかかっている。精神的負担は大きいだろう。

 そして、その日早速、役割分担が行われた。衣装係や、大道具から順番に黒板に名前が埋まっていく。最後まで残ったメイン三役に決まったのは、委員長、報道部の片岡さん、そして、藤岡くんだった。ちなみに私は脚本家兼総監督である。

 他のどのクラスよりもスムーズに話し合いが進んだのか、早い取り掛かりだった。まだ他のクラスの内容が全く決まっていないような時期に早速練習に時間を使えたのは、正直我ながら上出来だったと思う。

 それから約一ヶ月。私たちのクラスは充分な準備と練習でレベルの高い演劇が出来上がった。完璧に仕上がっていた。あのハプニングがなければ。





「片岡がインフルエンザにかかったそうだ。残念ながら文化祭には間に合わない。片岡楽しみにしてたのにな。お前らも気を付けろよ」

 クラス全体が凍りついた。終わった。今までがすべて水の泡になった。そう思った。

「なぁ、佐々木できねぇの?」

 誰かが言い出した。それは、瞬く間にクラス全体へと広がっていった。

「佐々木さん、流れ覚えてるわよね?」

 もちろん自分が書いた台本だから、大体は覚えている。

「覚えてる・・・でも・・・人前に立つなんて・・・」

「お願い! 出来るのは佐々木さんだけなの! 今まで準備してきたのを無駄にしたくない!」

 私には到底務まらない。実行委員なんて比じゃない。けれど、断ってはいけないとわかっていた。

「・・・・・・私にどこまで出来るかは分からないですが、精一杯片岡さんの代役をやります」

 それから本番まで四日。台詞を一字一句覚えることは結局出来なかったけれど、内容に支障はないレベルまで仕上がった。幸い私と片岡さんは体型も似ていて、衣装も問題なかった。文化祭前日。遅くまで残り、片岡さん程ではないが、満足するレベルまで完成させた。

「すごいね、佐々木さん。もうばっちりだよ」

「・・・遅くまで練習付き合ってもらって、ごめんね。それに、台詞も結局覚えられなくて」

「大丈夫だよ。三日でここまで出来たのも佐々木さんだからだよ。さぁ、帰ろうか。もう遅いし、送っていくよ」

「そ、そんな、いいよ。藤岡くんが遅くなっちゃう。あ、いや、ここまで付き合わせてなんだって話なんだけど、その・・・」

「あはは。そんなに気にしなくていいのに。俺が送りたいから送らせて。ダメかな?」

「えっと・・・じゃあ・・・お願いします・・・」

「うん」

 そのままたわいもない会話をしながら帰った。けれど、私にとってはそんな時間がずっと続けばいいのにと思うぐらい、幸せな時間だった。

「あの、もう近くだからこの辺で」

「そっか。なんか楽しい時間はあっという間に過ぎちゃうね。実行委員になって佐々木さんとたくさん話せて良かったよ。ありがとう。明日、頑張ろうね」

 そんなはずはないのに、まるで一生の別れであるかのように聞こえた。それがどこか辛かった。

「うん。頑張ろう。じゃあね、また明日」

 藤岡くんの姿を見るのが辛くて、私はその場から逃げるように立ち去った。



 文化祭一日目当日。

「今日、優秀作品に選ばれたら、明日もっとたくさんの人に見てもらえるから、頑張ろう。他のクラスには負けてない。みんなが全力でやれば絶対大丈夫。最後の文化祭に最高の思い出を!」

 藤岡くんの言葉に、クラス全体の士気が上がる。彼は人を導く才能がある。そう思った。

「佐々木さん。総監督、そして、メインキャストから一言」

「えっ? あっ、はい・・・えっと・・・その・・・台本も拙いのに、そのためにみんさんが一生懸命頑張ってくれて、私一人では絶対に表現出来ない、素晴らしい世界観があると思います。片岡さんよりもずっと劣っていますが、精一杯やらせていただきます!」

 みんなが大きな拍手をくれた。今までの人生で一番大きな拍手だった。私の存在が認められたような気がして、嬉しかった。

「あ、あと、その・・・これ・・・みなさんの分作ってきたんですけど・・・その・・・」

「わぁ! ミサンガ!? すごい! 一人一人の名前入ってる! ありがとう、佐々木さん!」

 あちらこちらから褒められるような声が上がるのは嬉しい。受け入れて貰えないかと思っていたが、やって良かったと思った。

「凄いね、佐々木さん」

「私、これぐらいしか出来ないから・・・」

「貸して、付けてあげる。後で俺の分も付けて」

 戸惑う私の手からミサンガをとり、私の右手にミサンガを付ける。私も、はい。と渡され、差し出された右手に同じようにくくりつけた。

「あのさ、明日の後夜祭中、校舎裏に来てくれないかな? 待ってるから。あと、これ。俺もなんか作ろうかと思ったんだけど、時間が足りなくて全員分揃わなかったから、佐々木さんにだけ。俺とおそろい」

 手渡されたのは、五センチ程度の小さなお守り。薄く膨らんだそれには、何か入っているようだった。

「中に何がはいってるの?」

「ラッキースターっていう願掛け。折り紙で作る小さい星なんだけどね」

「ありがとう」

 そうこうしているうちに、本番へは刻一刻と時間が迫る。最後、教室で一度だけリハーサルをし、私たちは舞台へと向かった。

 結果、舞台は大盛況だった。幕がおり、すぐに拍手が起こらないことにドキッとしたが、一拍置いて湧き上がる会場に、成功を確信し、ホッとした。誰一人として何も話さないまま教室に戻り、そこで一気に盛り上がった。泣き出す子まで現れるほどだった。そして、結果は他のクラスと大きく差を開いて優秀作品に選ばれた。こうして翌日も上演することが出来た。





「――絶対に許さない・・・私からこの人を奪ったことを後悔させてやる・・・!」

 藤岡くんを膝に抱え、復讐を誓った私の言葉を最後に幕が降りる。終わった。そうホッとした。

「藤岡くん・・・ありがとう・・・終わったよ」

 そう声をかけるが反応がなかった。今度は彼の体を優しく揺さぶりながら声をかける。

「藤岡くん。終わったよ。起きて」

 おかしい。何かがおかしい。

 さらに声をかけ続けるうちに、ふと、友人が話していたのを思い出した。彼は二年生のときに二度倒れた事があったらしい。原因は疲労だったと。

「藤岡くん!ねぇ、起きて・・・起きてよ!」

「佐々木さん? どうしたの?」

「その・・・藤岡くんが・・・」

 執事役だった委員長が声を掛けてくれた。応えた声は震えていただろう。委員長がそっと藤岡くんの顔に手をもっていく。そして、眉を顰めて手首に手を当てる。

「・・・・・・俺、先生呼んでくる。誰か男子! 藤岡を運んでくれ!」

 片付けをしていた男子が何人か寄ってくる。委員長は彼らに指示を出して、衣装のまま走り去った。藤岡くんが数人がかりで運ばれるのを私はただ見ることしか出来なかった。




 そのまま藤岡くんは帰らぬ人となった。死因は過労による心疾患。所謂過労死だった。

 彼をこうなるまでつき動かした原因は何だったのか。それは、『他人からの期待』だったのだと思う。そう考え、私はふと思い至った。あぁ、彼も私と同じだったのだと。自分自身で自分自身の存在意義が見いだせなかったのだと。私は存在を他人の中から消そうとした、そして彼は、他人に尽くすことで存在を肯定してもらおうとしたのだ。彼を殺したのは、他ならぬ私たちだったのではないだろうか。

 私は突然お守りの存在を思い出した。中に入れたというラッキースターが気になったのだ。慎重に紐を解いて封を解く。中には、水色の折り紙で居られた星とSDカードが一枚入っていた。

 私はその日の夜、SDカードを見た。中には、音声ファイルが一つ入っていた。




『佐々木さん。君がこれを聞いてるってことは、俺はお守りを回収出来なかったんだね。ほんと情けないなぁ。後夜祭で告白するって決めてたのに。

えっと・・・・・・よし! 俺、君に伝えたいことがあるんだ。未来の俺はヘタレだったみたいだから、本当にごめんね・・・・・・

君のことが好きだ。優しくて、気が利いて、真面目で、決して前に立つタイプじゃないけど、みんなのために働ける。そんな君が大好きです! 

・・・・・・あはは、言っちゃった。嫌だったらなかった事にしてくれていいから。これを君が聞かない未来を願ってます。 藤岡正樹』




 嫌じゃない。嬉しい。直接言って欲しかった・・・・・・答えを聞かずにいなくなっちゃうなんてズルイよ・・・


 私は一晩中涙が止まらなかった。

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