第六話 赤珊瑚のかんざし

 数日後、宙の勉強部屋に足の長い机と椅子が運び込まれた。椅子は三脚ある。


「拙者、昨晩家内と二人で宙様よりお借りした本を読んだのですが、あまりにも奇妙奇天烈な話でさっぱりわかりませんでした」


 三脚ある椅子の一つに田島が座り、腕組みをしつつ首をかしげていた。宙と周が訳したアリスの本に佳代が挿絵を描き、本に仕立てた。それを数日前田島に貸したのだ。


 言葉遊びが多数含まれる部分は,内藤に助けてもらいなんとか完成させたが、まだまだ納得できる出来ではない。とりあえず単語の意味を拾っていくだけで精一杯だった。

 

「家内には面白かったらしく、体が伸び縮みする箇所でゲラゲラ笑うのですが、私には大きくなる道理がわからず、混乱しました」


「一寸法師のようなものと思うたらよい。理屈なぞ、ナンセンスなのだ」

 宙の言葉に、「ナンセンス?」と田島は繰り返した。


「なんにせよ、貴重な西洋文化に触れる事ができました。ありがとう存じます。改めて英語への熱意が沸いてきたしだい」 


 ジョンは宙の家庭教師を快く引き受けてくれ、七日に一度屋敷に来てくれる事になった。田島は宙とジョンの学問に、自ら志願して参加を希望した。通武も宙だけというのも心配だったので、願ったりかなったりだったよう。


 田島が言うには、

「社長としてこれから英語を話す機会も増えよう。そこでわからぬは武士の恥。拙者、広岡の藩校では優秀な成績でして、昌平坂学問所への入所をはたした身。心血を注ぎ英語を習得いたします」

 と、始める前から暑苦しくもあっぱれなやる気を見せた。


 今日が初日。二人は緊張の面持ちでジョンの来訪を待っていた。約束の定刻。玄関からどよめきが聞こえてきた。女中たちには、ジョンの外見を重々説明し、くれぐれも失礼の無いよう豊島が言い聞かせていたが、言い聞かせている豊島本人も、異人を恐れていることを宙は知っていた。


 佳代の先導で屈みながら入って来たジョンを、二人は立ち上がり出迎えた。相変わらず背が高い。頭は鴨居をゆうに越し、天井につきそうだ。その頭を胸のあたりまで下げ、


「よろしくおねがいします」

 片言の日本語で挨拶した。一通りの挨拶をすませ、宙が椅子に座ろうとすると、ジョンが椅子を引いてくれた。


 なぜわざわざ他人の椅子の世話をするのかいぶかる宙に、指の長い大きな手をさし出し、座るように促す。言われるまま座るとジョンは日向の匂いがしてきそうな笑顔で笑うので、宙はどんな顔をすればいいのかわからず、口の端を無理やり上げた。


 みな席に着き、部屋の隅に佳代が控えている。廊下には豊島が控えているだろうが、目を白黒させているだろうと宙はほくそ笑んだ。


「日本語ヲ話セルノデスカ」

 さっそく宙が物おじせず英語で聞く。吸い込まれそうな青い目を見るのはまぶしいので、薄い形のよい唇を見ながら。宙の言葉を聞きジョンがにっこり笑う。


「すこしだけ。にほんいく、ふねのなか、にほんじんにならいました」


 イギリスから日本への船旅は一か月半かかる。その間覚えたのか。宙は感心した。田島も同様らしく。ふむふむと大きくうなずいてゆっくりとジョンにわかりやすい言葉を選ぶ。


「この仕事を引き受けてくれて、ありがとう」


 先ほどからジョンのニコニコ顔にやられたのか、いつも引き締まった顔が緩んでいる。田島の笑った顔を宙は初めて見た。


「ぼくにほんきたかった。さむらいがーるあってみたい」


 さむらいがーる? 「さむらい」は侍だろうが、「がーる」はたしか女の子という意味。何のことかわからぬ顔をした二人を見ながら、ジョンは話を進める。


「にほんでしごとした、ともだちいった。ともだちのこども、おんなのこにたたかれた。おんなのこ、おわびにはらきるいった」


「なんと剛直な娘さんだ」

 田島の言葉はわからなかったようで、ジョンは首をかしげる。


「えらいひととめた。おんなのこともだちに、かんざしあげた」


 ジョンの大きく突き出した喉仏を見ていた宙の視線はどんどん下がり、机の木目を今見ていた。冬だというのに、手のひらに汗がにじんでくる。


 田島は「それで」と話の続きをせかす。ジョンはゆっくりとではあるが、聞き取りやすい日本語で話を続ける。


「かんざし、みせてもらった。あかいぼーるきれい。かんざしつけたさむらいがーるきっときれい」


 宙が博覧会の折、外国人に渡したかんざしは、千日紅のような大きな赤珊瑚がついていた。あの一件は、豊島がかん口令をしき、表に漏れる事はなかった。ちらりと後ろを振り返ると、口をすぼめひょっとこのような顔をした佳代と目があった。


「美しいとは限りませんぞ。そのような行いをする女子なぞ碌な者ではありません。子供を叩くなどと、どういう了見なのやら」


 田島の言葉はほとんどわからぬようで、青い瞳をくるりと回した。豊島が廊下から何度も咳払いをするが、田島の言葉はとまらない。


「ジョン殿、誤解されませんように。日本の女子は慎み深いことが美徳。撫子の花のように、たおやかな女子が美しいとされております」


 田島がそこまで言って、大和撫子を誇るよう胸をそらす姿に、宙の堪忍袋の緒がぷっつり切れた。


「悪かったな。子供を叩く了見の狭い女子で。美しいかどうか判断するのは、ジョン殿ではないか」


 すっくと立ちあがった宙は、あぜんとする田島に目もくれず、ジョンの青い瞳を真っ向見据え右手を胸にどんと置き、言った。


「サムライガールは、わ・れ・だ!」


 豊島の大きなため息が宙のところまで届き、しまったと思う宙であったがもう後の祭り。田島の悲鳴にも近い驚きの声が部屋中にこだまし、ジョンの目はこぼれ落ちるのではないかと思うほど見開かれている。この話は明日中には邸内に広がるだろう。そう覚悟した宙であった。

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