第八話 十万両

 案の定、通武が思いついた製紙業を田島は大反対した。金の工面の問題よりも、殿様が商売を始めるなぞもってのほか。武士にとって金銭にかかわることは忌むべきこと。金の勘定など商人のすること。そう言って取り合わない。


 そんなかたくなな田島をなだめ、大垣屋の話に出てきたお雇い外国人に、話をまず聞こうと言う事で話は収まった。思い立ったが吉日と、翌日にはその外国人を屋敷に招いたのである。


 大垣屋が連れてきた、お雇い外国人の名はイギリス人、トーマス・ウォートルス。旧会津藩邸から出火し銀座、築地一帯を焼失した今年二月の銀座大火の後、政府は煉瓦造りの街並みを建設予定である。その設計を担当しているのが、ウォートルスであり、過去には大阪の造幣寮応接所も建設した実績があると大垣屋は説明した。

 要は信用に足る人物であると言いたいのだ。来日にして八年になるそうで、流暢な日本語を話した。


「日本がこれから近代化していけば、必ず証券や印紙類の原紙である洋紙の需要はのびます。そうなれば、輸入に頼るよりも、国内で製造すれば、公益につながります」


 証券や印紙の意味がわからない、通武はそこをあいまいにせず、ウォートルスに聞いた。近代化し法整備が整えば、必要となるもの。証券は、財産の権利を記載した紙片であり、印紙は法の中で義務化されている金銭の納付を証明する紙片と説明を受けた。

 通武は、ちらりと傍に控える田島の顔を見ると渋い顔をしている。まだ納得できないのだろう。


「その洋紙を作ると仮定した場合、まず何から始めればよいのか」

 通武の問いに、ウォートルスはすらすらと答えた。


「まずは、工場建設です。工場用地を確保し製紙機械をイギリスから輸入し組み立て、工員を雇わなければいけません」

「工員とな。機械で製造するのに人手がかかるのか?」


「もちろんでございます。機械の組み立てにも人手はいりますし、日々の工程でも機械を動かすのは人です。機械の購入はイギリス領事館を通しますから、英語ができる人材もいります。機械の輸入と並んで人の確保は重要でございます」


 この言葉を聞き、通武の頭にひらめくものがあった。工場というものにそれほど人手がいるのであれば、広岡からつれてきた藩士たちをそこで働かせればよいのではないか。

 窮乏した藩士たちを東京に連れてきたはいいが、深水家での仕事などたかがしれていた。


 家内に仕事がなければ、外に求めようと博覧会で、通武は見学もそこそこに政府の要人を捕まえては、政府内の仕事の斡旋を申し込んだ。そろばんができるものは財政を管理する大蔵省の下級役人に。腕に覚えのあるものは、東京の治安維持を担う巡査、通称ポリスに採用された。それでもまだまだ深水家には仕事にあぶれる元藩士たちがいたのだ。


 家政をしきる田島にとって、それらの藩士たちは悩みの種だった。深水家の家禄は藩主時代に比べ大幅に減らされ、その者たちに払う禄もばかにならない。しかし同じ藩士という既知の間柄でそう簡単に首を切ることもできない。その問題が一気に解決するかもしれない。


 先ほどから渋い顔をしていた田島が少々前のめりになり、ウォートルスの話を聞いている。


「して、工場もでき、紙を生産できるようになるまでに、いかほどの金がかかるのか?」

 田島がせっつくように聞く。


「製紙機械が四万二千両。そのたもろもろあわせても十万両はかかります」


 やはり、この間聞いた金額はかかるということか。田島も乗り気になっている、人手もある、後は金の問題。ちらりと大垣屋を見ると素早く目線をそらせた。大垣屋が十万両用立てできるのなら、自らがこの事業を始めるに決まっている。金を借りられないとすると、どう工面するか。


 政府と共同事業にする手もあるが、そうなると深水家の好きにはできない。藩士の雇用もなくなるかもしれない。ここは全額負担が望ましい。そう通武は判断した。


「実に製紙業とは、国家にも社会にも公益を与えるものよ。余はこの事業を始めたいと思う」


 通武がそう言っても田島は口を挟まなかった。金の工面ができたら連絡を、工場建設は請け負う。そう言ってウォートルスは帰っていった。


「まことこの事業は藩士たちを救う授産事業となりましょう。さすがでございます。拙者目先の事ばかり考え、殿様の深いお心を理解せず申し訳ございませんでした」


 二人だけとなった書院で、田島は頭を深々と下げた。通武はコホンと咳を一つして、したり顔で言った。


「うむ、分かってくれたのであればよい。ともかくこの事業を立ち上げて後の経営は、他のものに任せてもよいのだ。昨今武士の商法と言って商売に不得手な武士が失敗して身ぐるみはがされておると聞く。商売が得意なものに任せるのも一つの手である」


 そうもっともらしいことを言っても一番の問題である金銭問題は、何一つ解決していないのであった。


 現在の深水家の家禄は三万両余り。戊辰の戦の出費が大きく、金蔵かねぐらにどれだけ残っているか。藩士が減ればこの広大な屋敷もいらないわけで、もっと 皇城こうじょうの近くに屋敷を構えてもよい。しかし先日の田島の話によれば、青山殿の屋敷は買い手がつかなかったとか。さあ、どうすべきか。

 通武は頭を悩ませたが、幕末の藩の進退を背負っての決断時は決まって頭痛がした。しかし、今不思議と頭は痛まなかった。



 すっかり梅雨も終わり、炎暑が続く七月。夕刻になっても、暑さはおさまらない。しばらく宿下がりをしていた佳代が、大きな包みを抱え深水家の屋敷に帰って来た。


「宙さま、長のお休みを頂き誠にありがとうございました。戻りましてはお勤めに励みたいと思います」

 豊島のきつい教育の賜物か、挨拶をまともにできるようになった佳代である。


「して縁談はどうだった」

 宙は挨拶もそこそこに、本題にずばりと切り込んだ。隣で聞いている男の周は、居心地悪く、俯きながら、膝にのるさく姫の頭をなぜていた。


 佳代の宿下がりは縁談のためであった。佳代ももう十五。大商人の娘ならば、とっくに許嫁がいてもおかしくない。本来なら親同士が勝手に決めるものだが、どうも佳代の噂がいろいろと出回っているそうで、話がなかなか決まらなかった。


 そのような、裏話をあっさり周や宙に話す佳代が、やはり規格外なのかもしれない。とにかく、悪い噂に対抗するには、本人に会わせるしかない。大垣屋はそう思ったそうで、今日の縁談という運びになった。佳代をそれまでにしこむためか、四日も前から宿下がりしていたのである。相手は日本橋の木綿問屋の跡取り息子。


「それが、深水様のお屋敷に行儀見習いにあがっていると言うと、向こう様もたいそう気に入ってくださって……」


 通常、元大名屋敷の行儀見習いとなれば、その娘にはくが付く。そのうえ、佳代は黙っていれば、ふくふくとした丸顔をして、いかにも従順そうに見える。


「ご趣味はと聞かれましたので、絵をたしなむと答えたら、先方様も絵がお好きとおっしゃったのです」


「それは、よかったではないか。佳代の唯一の特技をわかってもらえるとは」

 のんびり話す佳代の話に、宙がせっかちに割って入り失礼な事を言う。周は宙をたしなめるわけでもなく、黙って聞いていた。


「狩野派のお師匠さんについて勉強したと言えば、自分も同じだとおっしゃって。私うれしくなりまして、ついつい……」

 ここで話をぷつりと切るので、聞いている二人は続きが気になってしょうがない。焦れた二人は、同時に佳代をせかした。


「何か粗相をしたのか」

「まさか、変な事を言ったんじゃあ……」


 佳代は絵がめっぽううまい。だが、人と感性が違うと言うか、かわっていると言うか。薄暗い室内に強い光が差し込み、ほこりが舞うさまを見るのが楽しいと言う。普段は見えないものが見えるようになるのが、不思議でならないそうだ。


 同じ日の光でも、時刻や天気によって違って見えると佳代は言う。周もそれは、そうだと思う。真昼の光と夕暮れの光では、目に見えてあきらかに違う。夕暮れは赤い、誰に聞いてもそう答える。


 しかし、同じ夕暮れでも見る人の心持ち一つで印象が変わると言われては、周にはさっぱり理解できなかった。

 佳代は小首をかしげ、自分に起こった事なのにどこか他人事のように淡々と言う。


「もちろん、お二方にきつく余計な事を言わないように言われてましたので、だまってそっと最近描いた絵を見せたのです。そうしたら和やかだったお顔が一瞬で気味悪いものを見るような顔にかわって」


「アリスの絵を見せたのですか?」


「はい。一番できのいい首の長いアリスをお見せしました」

 うれし気に言う佳代は、自分がした行いが、奇異な事と認識していない。


「あのろくろ首かあ。実物とそっくりにかいてあって我も気に入っているが。初めて見たら、さすがに気味悪いだろう。いくら西洋のものが、喜ばれるご時世でものお」


「宙様、あれはろくろ首ではございません。ろくろ首は首が柔らかく、頭が浮遊していますが、アリスの首は固く屹立きつりつしているのでございます」

 そこは、譲れないとばかりに佳代は熱をこめて説明する。しかし、首が柔らかかろうが、固かろうが気味の悪いことに変わりはない。

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