白百合病とは、きわめて前例が少なく、治療のエビデンスが確固としない、謎に包まれた遺伝性の奇病である。

 初期症状は、自己免疫疾患の全身性エリテマトーデスに酷似する。

 症状として、発熱、倦怠感、貧血、日光過敏、関節の疼痛とうつうなど。

 全身性エリテマトーデス(以下SLEと略)の起こる主な仕組みとしては、

 ①白血球の一種が大量の自己抗体を産生し、

 ②血中で①と自分の細胞の成分が結合し、

 ③皮膚や臓器に②が沈着し、

 ④組織が炎症する。

 SLEは指定難病であり、炎症は治療により寛解、増悪を繰り返し、慢性の経過を辿るものが多い。

 原因は様々に推測されるが、不明である。

 治療にはNSAIDs(エヌセイズ)、ステロイドが用いられる。

 SLEと白百合病の決定的な違いは、骨端軟骨に見られる。

 白百合病のみ、成長板と呼ばれる骨端軟骨が骨の成長を止めてしまう。

 故に、白百合病に罹患した年齢から、育つことが無くなる。

 自ら食べる力はあり、歩く力もあるが、エネルギーの循環及び貯蔵は難しく、

 あたかも、拒食症にかかった患者のような冬眠状態を呈する。

 治療にはSLE同様、第一選択にステロイド、対症療法にNSAIDsが用いられ、病態に応じて柔軟な服薬対応がなされるが、必ずしも芳しいとは言えない。


「おじいちゃんから僕のこと、何か聞いている?」

 長月の最初の月曜日、ミヨシくんは再びレッスン室に居ました。残暑厳しい中、彼は長袖の洋服を着込んでいます。変形を隠すためでしょうか。

「白百合の病。そんな話を聞いたわ。今日は、起きていて大丈夫?」

「うん。熱も下がったし、痛いところも無いよ。折り紙もできるし、ピアノも弾ける……おじいちゃん、来ないね。また、泣いているのかもしれない。どうして泣くんだろう。お母さんのときも、僕のときも、どうして生きられなくて可哀想にと嘆くのだろう」

 ミヨシくんは、菊のバリエーションの花電車を折りながら、話し続けました。

「人は、必ず枯れるんだ。だから僕、近々、自分に訪れるものを怖いって思わない。こんなことを言うと罰当たりだけどね、僕、病に侵されたお母さんを、美しいと思ったんだよ」

「ミヨシくんは、お母さんに似ている?」

「似ているよ。ピアノの弾き方も似ているって、おじいちゃんが言うんだ。おじいちゃんは、お母さんの父親。僕のお母さんのこと、いちばん知っている人だよ。お母さんは、ひとり娘で、大切に育てられた人だった。おとななのに少女みたいで、あまりにも受動的で、自分の意思とか意見とか持っているのかなって、疑問視したくなる類の人。夫に去られても、何も叫ばなかったんだって。ただ衰弱していっただけ。弱過ぎるでしょう?」

 私は、ミヨシくんの口振りの、おとなびていることに驚くばかりでした。老先生の不在中、私たちは会話を楽しみます。楽しい。どうやら私は、ミヨシくんの波長に共鳴したようです。家庭や職場では味わったことの無い会話の楽しみが、ピアノ教室には、ありました。

「お母さんは、病人で在る以前に少女で在るが故、生きて、いけなかったのかもしれない。結婚したけれど上手くいかなくて、お父さんが六歳の僕を引き取ったんだ。お母さんは、ひとりに戻って以来、いっそう、音の世界に逃げるようになったんだって。確かに、よく会いにいったけれど、慈しんでもらえるようなことは無かった。病に侵されてからも、お母さんはピアノに向かい続けていた。ピアノは人間みたいに裏切らない。だから好きなのって、無機物を愛して。だけどしまいに、ピアノを弾く指に病変が生じたんだよ。気の毒だよね。娘が憐れであるほど、男親の愛情って深まるらしくて、おじいちゃんは僕のお母さんのこと、温室に咲く花を愛でるように大切にしたよ。お母さんの悲劇は、精神的に自立した、おとなに成れなかったところにあると思えてならない」

「ミヨシくん……あなたって今、何歳いくつなの?」

「二十歳。あれから、十四年も経つんだ。早かった」

 驚くべきことに、ミヨシくんの年齢は、私の推定を倍、上回っていました。

「原因は不明なのに、遺伝性ってことは分かっている。僕は、いつ終わっても不思議ではない。晩年なんだ。実際、お母さんは美しく変形して、端末のバッテリーが切れるように呆気なく逝った。僕は、その瞬間に居合わせたんだ。怖くなかったよ。お父さんは怖がって、お母さんと同じ病を発症した僕を、おじいちゃんに預けた。それからというもの、お父さんからは経済的援助が届くだけ。滅びるために生まれてきたのは、僕だけじゃないよ。だけど、怖いんだ」

 いつしか、ミヨシくんの瞳は泣いています。泣き濡れた雛鳥のようなミヨシくんを、守ってあげたくなりました。

 老先生は、その日、姿をくらませたままでした。


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