Ⅴ
「どうぞ、ササオカさん」
ミヨシくんに勧められるままに、食べ始めました。ジュレは
彼は、何かに衝き動かされるように折り紙を始めますが、その手は小刻みに震えていて、折り紙の両端をきっちり合わせられないのです。私は見兼ねました。
「ミヨシくん、そんなに、いつも何かに集中していると、疲れてしまうわよ。少し手を休めるほうが、いいんじゃないかしら」
しかし、ミヨシくんは動き続けます。
「ミヨシくん」
彼は歪んだ菊を仕上げて、やっと私の顔を見ました。その瞳は相変わらず潤んでいて、泣き出しそうにさえ見えるのです。
「手を動かしていないと、不安なんだ」
そう言って、また折り紙を始める彼を、黙して見守るしかありませんでした。
しばらくして、老先生が戻られました。喫煙スペースで煙草を吸っておられたらしく、微かに匂いがします。先生はミヨシくんの様子を見るなり、白い長袖のブラウスに包まれた彼の腕を
「引き続き五分ほど、お留守番をお願いします。指馴らしをしておいてください。今日は鍵盤を拭いていないのですが」
老先生は、雑居ビルの最上階の部屋に、ミヨシくんを連れて行かれるようです。お留守番の追加を引き受けた私は、指馴らしにメトードローズを弾き始めました。
そう言えば、ミヨシくんは何歳なのでしょう。私はミヨシくんの年齢も、老先生の年齢も知りません。推定して十歳、六十歳と言ったところでしょうか。
確定できないまま、時は過ぎます。
時節は晩夏に差し掛かります。レッスン終了後のひととき、アイスコーヒーを御馳走になりました。その日のピアノ教室に、ミヨシくんの姿は在りませんでした。シロップを入れないコーヒーを飲む老先生に、
「今日はミヨシくん、お休みですか?」
いつもどおりならば、私のレッスンの後にミヨシくんのレッスンが控えているのです。折り紙を携えた彼は、私のレッスンをおとなしく聴いてくれていました。彼の居ないピアノ教室に、私は慣れていないのです。
「あの子に、変形が始まりましてな」
老先生は、妙なことを口走りました。
「娘に降り懸かった病は、その子をも侵すのです。私にとっては悪夢ですよ。しかし、あの子は悪夢を受け入れている。私も受け入れて、ただ見守っていくしか方法は無いのです。私は、命脈の短い花を看取る運命なのでしょうね」
背筋を凍らせる言葉でした。私は恐怖と好奇心に
「ミヨシくんは、病を持っていたのですね。道理で普通の男の子と……街で遊んでいるような子たちとは違うと思いました」
「ええ。あの子は原因の分からない奇病でして。母親も、その病で亡くなりました」
「治療法は、無いのですか?」
「明確な治療法は発見されておりません。あまりにも前例の無い病です。医師の懸命で手探りの治療が功を奏して、生きております。しかし、変形は止められなかった」
「変形……ですか」
「関節と関節を
「治ることはないのですか?」
「治癒の見込みはありません。あるとすれば、小康状態ですな」
私は返す言葉も無く、ただアイスコーヒーを飲み干しました。老先生も、氷の溶けた淡いコーヒーを、一呼吸に
「随分、お引き留めしました。申し訳ない」
「いいえ」
もっと引き止めていてほしいと思いました。しかし、単なる一生徒にすぎない私が首を突っ込むには、あまりにも深い話です。興味本位で他人の深刻な事情に立ち入って、良いはずがありません。
私は詮索を止めたつもりでいました。けれども私の興味の対象は、饒舌に総てを語り出します。老先生は、枯れるだけの花の生命をひとりで引き受けることに、ミヨシくんも、枯れていくだけの未来をひとり抱え込むことに、疲れ果てていたのかもしれません。
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