私は数度、ミヨシくんと会話を交わしたことが、あります。

 彼は、不思議な少年でした。


 ミヨシくんの髪は、どの月曜日も同じ長さでした。おとがいのあたりで真っ直ぐにそろっていて、教室のグランドピアノのような色艶です。

 分厚くすくい取られた前髪が、額を隠していました。その長めの前髪の下に見開かれる瞳は大きく、潤みがちでした。

「ミヨシくんは可愛かわいいのね」

 まだ初夏の陽光の柔らかい頃、真実に言いました。するとミヨシくんは、ただでさえ大きい瞳をより大きく開いて、たずねたのです。

「どうして、僕の名前を知っているの?」

 か細い雛鳥ひなどりの声でした。

「先生が、あなたのこと、ミヨシくんって呼んでおられるでしょう」

 私は、ピアノ教室の老先生を、ちらりとうかがいました。老先生と呼ぶには、少しばかり若い気もします。

 クロード・ドビュッシーの肖像に似た先生が、鍵盤を磨いておられます。先生は優しくて、神経質な人柄でした。生徒のために、鍵盤を丹念に磨いて下さることから伝わります。

「ササオカさん、お待たせしました」

 私のレッスンの時間が来て、ミヨシくんとの会話は、次回に持ち越されることとなりました。


「ミヨシくんの髪は、いつも綺麗に揃っているのね」

 初夏の生温さに、カサブランカの甘い芳香が溶けていた時期に言いました。ミヨシくんは折り紙の手を止めて、私と目を合わせます。何処か哀しげな、水をたたえた瞳でした。私は更に言葉を継ぎ足します。

「女の子に間違われたり、しない?」

 目の前の少年は、女の子のように、と言うよりも、性が未分化の時代に限定される独特の美しさをそなえた、こどもでした。その折、クロード・ドビュッシー似の先生が、鍵盤を磨き終えました。

「ササオカさん、お待たせしました」

 初夏の月曜日、私はミヨシくんの声を聞かずじまいに、レッスンに入りました。


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