白百合の病
宵澤ひいな
Ⅰ
彼は『あの世』に近い存在だった故、過剰に『美し』かったのかもしれません。
月曜日の夕暮れのピアノ教室に、彼は居ました。
小さなピアノ教室で、レッスンの順番を待つあいだ、折り紙をしていたのです。
か細い指は器用に動き、菊を折ります。
「ミヨシくん、お待たせ」
先生の声で少年は指を止め、顔を上げます。彼がミヨシくんでした。
彼の名前を知ったのは、半年前の夕暮れのピアノ教室でした。
私は、何とはなしに退屈な日常に目的を持ちたくて、週一度、ピアノ教室に通うことを思い付きました。月曜日の夕刻は穴場です。最も空いていて、すぐにでもレッスンに入れるという、電話口の担当者の話でした。私は月曜日の夕刻を希望して、レッスンに通い始めたのです。
鍵盤に指を落とすのは、実に四年ぶりでした。大学生活を送った四年間、私は将来の安定を目指すための単位や資格の修得を目的に、講義やゼミやインターンシップやアルバイトに忙しく、日常に暇や退屈を作れないでいたのです。今年の春、卒業して就業先の決まった途端、私は暇を手に入れ、目的を失いました。
私は、目的に対して盲目なのでしょうか。平凡な日常には不満も、また楽しみも無いのですが、それを当然のことのように受け入れていました。良くも悪くも刺激を避けて、学友や家族との会話に意味を感じることも無く、ただ何とはなしに退屈して生きてきただけなのです。
私にとって、それが日常でした。生への歓喜も絶望も無い日常でした。
美しいものや奇異なものに目を奪われることも滅多に、ありませんでした。私の感性は平凡に調律されて、もはや何も感じなくなっていたのかもしれません。自覚症状の無いうちに壊れた感覚を、普通のものとして受け入れていました。
美しくも奇異。ミヨシくんは、そんな少年でした。彼は決まって真っ白な洋服を着ていて、レッスンに訪れては折り紙を始めるのです。
ピアノ教室は或る雑居ビルの四階で、室内には桃色の
或る月曜日は、ふわふわとした風合いのセーターの、また違う月曜日は襟の大きく開いたブラウスの、いずれも白いミヨシくんの姿が在って、私は彼を見る都度、雛鳥を想いました。
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