第三百八十八話【『信教の自由』を語るなら教義の把握は必須である】
カルト宗教とは、
終末思想を積極的に説き、信者に〝自分達だけは助かる。自分達以外は滅亡する〟と信じ込ませ、そのための実践を強要する宗教である。そしてその手の実践が客観的に見てどれほど反社会的行為であろうと構わないという価値観を持つ。
と、そう定義した仏暁。
「さて〝カルト宗教の定義〟を聞いて、諸君らはこう懸念した筈だ。私が『韓国発祥のカルト宗教』と呼称している宗教は、終末思想など語っていただろうか? と」
「——下手をするとカルト宗教ではない事になるのでは? と」
「——『韓国発祥のカルト宗教』が『終末思想』という価値観を持っているか否か、それを判断するには当然〝ヤツらの教義〟を知っておかねばならない」
「——が、『韓国発祥のカルト宗教の問題』について我々日本の大衆は、こう認識させられているだけではないか? 『霊感商法による高額献金が問題だ』、という、」
「—— 一見もっともらしく聞こえる。が、ここには〝なぜ?〟が無い事に諸君は気づいているか?」
「——『韓国発祥のカルト宗教』は政権与党の政治家の〝宗教団体名改名許可〟により、或る時を境に『家族』をも名に冠するようになった。しかし、『家族の大切さ』という教義を説いていたとは考えられない。それどころか日本人信者から根こそぎ財産を奪い、家族関係をメチャクチャにしただけではないか!」
「——ではいったい何をどう吹き込んだら『韓国発祥のカルト宗教』が日本人信者から財産を根こそぎ奪う事が可能となったのか?」
「——その吹き込んだ中身こそが〝ヤツらの教義〟なのだ!」
「——『霊感商法』という四文字熟語だけで何が解るという?」
「——故に我々は『韓国発祥のカルト宗教』の教義に踏み込まざるを得ないのである」
「——だがしかし、日本人の大衆がその教義をどこまで把握しているかについては大いに疑問だ。というのもその教義について、何らの問題にもなっていないからだ。その原因は日本のメディア企業による報道が悪いせいだ。要するに『左翼・左派・リベラル勢力』が、韓国由来という、ただそれだけの事で報道に手心を加えるせいである」
「——『忖度は悪!』と散々煽ってきたのだから忖度ナシを実践する義務が日本のメディア企業にはある筈だが、『韓国』だけには妙に忖度する。そうした忖度連中の『韓国発祥のカルト宗教』についての『報道』には特徴がある」
「——『壺』、『壺』、『壺を高く売った』と、問題を専らカネの問題に絞っている報道、この手の『報道』ばかりとなる。だがこうした『報道』がどれほどの効果を生んだというのか?」
「——既に結果は出ている。〝カネの問題に絞る報道には効果は無かった! その証拠に、1993年に起こっていた問題は、2020年代に入ってもまだ続いていたのである。報道屋どもにはどんなにやっているフリ、良心的なフリをしようと無駄だと言っておく。『被害の回復を、補償を』と、問題を財産の範囲だけに限定するかのような報道は、どれほど〝被害者救済〟の体をとろうと『韓国発祥のカルト宗教』を延命させる効果しかない」
「——結局『我こそは良心的ジャーナリズムである』と自画自賛しているような新聞社やテレビのニュース番組ほど『韓国発祥のカルト宗教』の本質から逃げている。まだ逃げている。〝本質から逃げる〟とは何か? 〝どんな教義か〟を解き明かそうともしないで済まそうとしている。〝教義〟について切り込んでいかないという事は、『宗教問題と認識したくない』と、考えているという事だ!」
「——そのくせ政府による解散命令請求が実際出されると『信教の自由』がどうのこうのと、途端に『宗教問題と認識し始める』のである。だが『信教の自由』を語るなら教義の把握は必須である。いったいいかなる価値観を信じさせているのか? いかなる価値観を教えているのか? それを把握もせずに『自由!』『自由!』とは笑わせるじゃないか」
「——だが、いかにろくでなしが多くとも、何事も十把一絡げはよろしくない。新聞社の方はジャーナリスト気取りでお高くとまっている割に『韓国発祥のカルト宗教』の〝教義〟について、〝切り込んでいた新聞があった〟という記憶が無い。が、——」
「——ことテレビについては趣を異にする。〝教義〟に切り込んでいたものもあった。それは極一部のワイドショー番組であり、またあるいは極一部の報道特集番組であった」
「——そうした極々一部の良心的ジャーナリズムのおかげで、我々は断片的ながらも『韓国発祥のカルト宗教』の教義を知り得たのである」
「——さて、その教義とはいかなるものか? 『韓国発祥のカルト宗教』は完全なオリジナルではない。『韓国発祥』とはいうが別に韓国の土俗の神を拝ませているわけではなく、ベースにあるものは『キリスト教』だ。だから私は延々『ヨハネの黙示録』の話しをしていた。外したことを喋っていたとは考えていない」
(だいじょうぶかなぁ、ここまでハッキリ『キリスト教』と言っちゃって、)とかたな(刀)。しかし、そうは思っても唐突感は無い。なぜならそのワイドショー番組について、見た記憶がかたな(刀)にもあったからである。
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