第三百八十四話【カルト宗教の定義(仏暁の定義編)3 『ハルマゲドン』、その原点】

「カルト宗教の教義には〝或る特徴〟がある。それが〝〟となる」仏曉は言った。


(ていぎのかぎ?)

 『鍵』という言い方に若干の引っかかりを覚えたかたな(刀)。


「——ではカルト宗教特有の教義とは何か? それは『』である。文章にすると『』という事になる。ここで言う〝我々〟とは当該宗教の信者の事であり、〝他〟というのは信者でない者達の事だ」


「——〝誰が助かり誰が死ぬとかいう話し〟にはほとんど説得力は無いが、『終末思想』の方はこれが案外とバカにできない。恒星というものが次第に膨張していき終いには爆発する運命ならば、太陽が爆発した瞬間に地球という地面そのものが無くなるのだからな。それ以前に地球が熱くなりすぎて生物が住めなくなるのかもしれないが」


「——もちろん結局のところ太陽が無くなるのなら『少し距離をとれば』といった対応も無意味だ。たとえ火星辺りに移住できたとしても結果はどのみち変わらない」


「——したがってその時がいつなのかは分からないが人類は終末するのだ。これは宗教と言うよりはである。しかし、『特定の考えを持っているだけで生き延びられる』とはナンセンスだろう。宗教は人間の住める地面を造れるというのか?」


 もはや『韓国発祥のカルト宗教』とはあまりに掛け離れた話しとなっている。が、仏暁の調子のせいか、場内から〝思わず〟といった感じで苦笑が漏れていた。


「——しかしだ、『終末思想を信者に説くのがカルト宗教だ』と定義しても、これでもまだ問題がある。『新約聖書』が引っかかるのだ。なにせがこの中に書かれている『ヨハネの黙示録』なのだから。当然の事ながらこれは『キリスト教』という事になる」


「——つまり『終末思想を信者に説くのがカルト宗教だ』という定義だと『キリスト教』がカルト宗教になってしまう」


「——しかしだ、そうは言っても終末思想の種本が『ヨハネの黙示録』というのは間違いない。よって最低限触れておかねばならない」


「——諸君らには聞き覚えはあるだろうか? 『見よ、蒼ざめたる馬あり、これに乗る者の名を死といひ、陰府よみ、これにしたがふ』といういわゆる中二病的名訳で有名な一節を」


「——これを知らなくとも『』ということばに聞き覚えのある者は多いだろう。なんでも善の勢力と悪の勢力が戦う『世界最終戦争』が起こる場所の名だという。だがいつの間にかこの『ハルマゲドン』ということばは『世界の終わり』という意味となった」


「——教科書的解釈では『一世紀末か二世紀の始めか、その時代の頃迫害に悩むキリスト教徒を励まし慰めるために書かれたもの』とされているが、これがモロに『我々は助かるが他は死ぬ』という意味になっていて、新しい天と地の出現を黙示的に預言している」


「——では新約聖書の方を聖書として日ごろ使っているキリスト教徒はカルト宗教の信者なのだろうか? この話しの流れでは『どうせ〝違う〟と言うのだろう!』と簡単に予測されようが、ここまで来ると『韓国を貶めるためにカルト宗教の定義を都合良く決めつけている!』と、それこそ思想の左右を問わず韓国からの攻撃を受ける事だろう」と仏曉は言い切った。


「——しかしそういう敵は無視して良い。重要なのは〝違う〟という理屈の方だからだ。これを前提として、キーワード『ハルマゲドン』を考察していく事にする」


「——『ハルマゲドン』とは元々だったが、いつの間にか『世界の終わり』を意味するようになり、つまり『世界最終戦争』という意味を持つようになった」


「——さらに人類が核兵器を開発すると『ハルマゲドン=世界最終戦争=核戦争』という発展的解釈が通るようになってきた。人間とは解釈する生き物であるから、そういう解釈をする者が現れたという事だろう」


「——こうなってくるともはや宗教の教典とは掛け離れてくる。『信仰心さえあれば核戦争があっても人間、生き延びられる』とは、あまりに荒唐無稽だ」


「——しかしなにぶんにも書かれたのは一世紀末か二世紀初頭だ。現代とは感覚が違う。その頃の人間は核兵器など前提としていない。よって現代の人間達が『ハルマゲドン』を『核戦争』と結びつけて考えるのはミスリードというものだ。ここは後世の人間達によって〝逸らされた方向性〟を元へと戻し、そして考える必要がある。肝心要かんじんかなめな事からは目を背けてはならないのだ」


「——さて、その肝心要かんじんかなめな事だが、とにかく戦いが起こるのは間違いない。交戦相手が無ければ戦争になりようがないというのは誰にでも理解できる道理だが、この『ハルマゲドン』、そもそも何処と何処が交戦するのだろうか?」


(え? どことどこと言われても……、『世界大戦』とは違うのよね?)とかたな(刀)。


「——この戦争は『神に敵対する人間グループVS神』の戦争、と思われている節もある。しかし『神』には実体は無い。それに『神』が前面に出てきてしまったら戦争の構図が『人間VS神』になってしまう。つまり神が人間を滅ぼす話しになってしまう。だから『神に敵対する人間グループ』の抗争相手は『神に忠実な代理人グループ』という事になるしかない。つまりは『信者たち』だ。結局人間どうしの戦いだ」


「——そしてこの『ハルマゲドン』の戦勝者も〝既に決まっている〟、のだそうだ。を得て『神に忠実な代理人グループ』が戦勝し、恒久平和が成ると。この〝超常現象的な力の助力〟が、という事になっている。逆に言うと『神に敵対する人間グループは敗北し滅ぶ』という意味になる。ここいら辺りを真面目に追い求めると〝一神教のヤバさ〟だけが際立つ」


「——『それじゃあキリスト教もカルト宗教ではないか!』と言われそうだが、さにあらず。私はこの『ヨハネの黙示録』を〝〟と認識している」


(ざ、ざまぁ?)とかたな(刀)。


「——四世紀頃、『キリスト教』がローマ帝国の国教になる前、つまり『ヨハネの黙示録』が書かれたとされる一世紀末から二世紀初頭にかけて、のだ」


「——現実世界で虐待を受け虐げられている人間には当然の事ながら〝復讐心〟というものが涌く。しかし、涌いても虐待側は強い。虐待される側は弱い。現実世界では復讐など無理だ。心は必然くじけそうになる。そうした実現できそうにない事を文字に書き記したのが『ヨハネの黙示録』なのである。『我々を虐待しイジメる者にはむごたらしい死が与えられ全て滅ぶ』というのはネット上に無数に転がっているザマァ小説と同じ構造である。しかも超常的な謎の力の助力で勝てそうもなかった戦いに勝ってしまったというのは異世界ザマァ小説そのものである」


「——私はさっき言ったばかりだろう? 教科書的解釈では『一世紀末から二世紀初頭にかけ、迫害に悩むキリスト教徒を励まし慰めるために書かれたもの』と。この解釈は合理的なものだ。したがって私としては当時のキリスト教徒達の立場に思いを馳せた場合、『カルトの元祖め!』と言って糾弾する気がまるで起こらないのである」


「——ただ、当時の事情は当時のもので、その後の事情とは区別して考える必要がある。四世紀になってローマ帝国が『キリスト教』という宗教を国教化した後この宗教はメジャー化し、極めて強くなった。強いというのは長続きしているという意味だ。そして同時に、これまでの立場とはまるで違う立ち位置を得たという意味だ」


「——したがって一世紀末から二世紀頃の信者達とこの現代の信者達では同じ宗教を信じる信者でも置かれた状況はまるで違う。もはやイジメを受けることもないくらいに強くなった。そんな時代となり、『ヨハネの黙示録』と名付けられた終末思想が後々の、特に現代の信者達にどのような影響を与えているかについては別に考察しておく必要がある」

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