第三百七十三話【ヨーロッパ人の行為】

 仏暁の話しはその〝運命の刻〟へと向かい、続いていく。

「ドイツ人やイングランド人関係者からそうした不穏な話しを聞いてしまった以上、この日本の招致委員会の関係者はダンマリを決め込むことも出来ず、帰国後新聞記者達を前に『共同開催だってあるかもしれないよ』と、口にするしかなかった」


 チラチラ手元のファイルに目を落とす仏暁。

「——その彼も『共同開催』を本気にしていたわけではなかったようだ。そんな事を思いたくはなかっただけかもしれないが、後にこう証言している。『ひょっとしたら……という程度のものだよ。10のうち2つか、3つ……3つまでは行かないくらいの感じかな。だから日本の姿勢は100%単独開催で揺るがなかった』、と。残念ながら〝100%単独開催〟で揺るがなかったのは日本のサッカー関係者だけだったようだが」


「——様々な証言を紹介していこう。こんな証言もある。『欧州を中心としたアンチ・アベランジェ勢(アンチ・ブラジル人会長勢)から話が出ていると聞いていたが、それでもアベランジェ(ブラジル人会長)とブラッター(当時国際サッカー連盟事務総長、のちに会長)が『絶対共催はない』とえらい力を入れて言うわけですから。それも、こちらが尋ねもしないのに、何度も何度も強調してね。そうなると『やっぱりないだろう』ということになるわけで』と、」


「——ちなみに『ブラッター』というのは国際サッカー連盟のお偉いさんで当時事務総長をしていたスイス人で、実は〝次の会長〟でもある。要するにこの意味は国際サッカー連盟のの2人が『共同開催? 無い無い』と正面から否定していたという事だ」


「——しかしその運命の刻は訪れつつあった。先に国際サッカー連盟副会長選挙で2票しか獲れなかった立候補者の話をしたが、その彼が1996年5月30日朝、重要情報を得ていた。提供元は『ロシアサッカー協会』の副会長。その証言を紹介しよう。『ホテルの朝食で顔を合わせたら、コロスコフ(ロシアサッカー協会の副会長)が『共催になる』と言ってきたんだ。日本が悪いのではなく政治的解決だ、と。アベランジェに辞めてもらい、FIFA(国際サッカー連盟)を民主的な組織に戻すためにも共催が一番いいと……』と、」


「——さて、ワールドカップ招致について日韓両国政府の間では〝密約すらありる〟という空気であったが、あくまでワールドカップ招致の主体はサッカー関係者であり招致委員会である。では一方の韓国のサッカー関係者の方はどうだったのだろうか? 日本のサッカー関係者はあくまで『日本単独開催』にこだわり続けていたわけだが、韓国の招致委員会はどうだったのか?」



 仏曉、僅かに間を取る。

「——これが奇々怪々という他ない」


「——やはり1996年5月30日チューリヒ。時刻は午後。先ほど触れたばかりの国際サッカー連盟事務総長から日本の招致委員会へと、もはや規約もへったくれも無いルール無視のイカれた電話が入った」


「——事務総長は日本側招致団にこう告げた。『実は韓国からすでに共同開催でもいいというレターをもらっている。日本はこれまで単独ということだったけれども、もしも共同開催という決定が下った場合にはどうするか。そのあたりの日本の考えを聞かせてほしい』と。これは『ワールドカップは一国開催』という国際サッカー連盟の規約を連盟自身が破った瞬間であった」


「——日本のサッカー関係者のせめてもの抵抗は『電話のことばでなく文書で』と要求するのが精一杯だったようだ。しかしペーパーにしてみても結果は同じだった。そこには『既に韓国は1996年5月15日付の文書で日韓共催受け入れをFIFA(国際サッカー連盟)に回答した。日本の立場をたずねたい』と書かれていた」


「——突然の共催案提案に日本のサッカー関係者達は2時間ほども協議したが結論は出なかった。しかし現況の情勢分析の結果、情勢は日本側に最悪になっているという共通認識だけは皆が皆共有した。その中身は『欧州サッカー連盟を中核とする反ブラジル人会長勢力がアフリカの役員達を切り崩している』というもので、票読みをしたところ5月31日の投票日に韓国が過半数を獲る事が確実な情勢となっていた」


「——私が『奇々怪々』と言ったのは、韓国側の行動だ。ワールドカップ韓国単独開催が有望であったにも関わらずどうして5月15日の時点で先走り、『共催案』など言い出したのか? いや、この5月30日の時点で確実に過半数が獲れるなら前言撤回しても良かった筈だ。なにせ『共催案』自体が規約破りで、日本側が5月15日の時点で『共催案』に同意したわけでもないのだ。なのになぜ韓国は勝負しない?」


「——最初から勝負するつもりなど無かった。最初から韓国単独開催など目指していなかったのではないか?」


「——韓国人が最初から『共催でいい』と考えワールドカップ招致運動をしていたのなら、最初から規約破りを企んでいたと言える。その〝ルール破りの側〟についたヨーロッパ人どもの行為は、後の話しとなるが、己の身に返ってくるツケとなった」


「——規約破り・ルール破りの『案』を押しつけられるという理不尽に日本人は遭っていたが、理不尽はこれにとどまらなかった。ブラジル人会長が日本を裏切ったのである。よりにもよって『日韓共催案』をブラジル人会長自身が提案してきた。『共催を提案したのはあくまでも会長であるこの私!』とブラジル人会長は言いたかったらしいのだが、誰がどう見ても面子を守ったようには見えずヨーロッパ人どもにみっともなく負けたとしか見えなかった。ヨーロッパ人役員連中に向かって『共催案の主張こそが連盟の規約破りだ!』と主張できる余地があったというのに」


「——こうして〝奇々怪々〟の上にさらに〝奇々怪々〟を積み上げた奇々怪々な事態となっていた。国際サッカー連盟のヨーロッパ人役員どもに加え国際サッカー連盟の、加えて、国際サッカー連盟の規約を自ら破り始めていた。『ルールを守るべき!』と言っている日本側の方が却って不利な立ち位置に追い込まれるというのは、私には既視感がある。これは〝イジメがはびこるクラス〟だ。真っ当な価値観を声高に叫ぶ者の方が却って異常者にされるという人間社会の邪悪な構図である」


「——日本の招致委員会関係者はかくして『強硬に単独開催を主張しても、悪い流れへ傾いていくだけ』と判断し、規約破り・ルール破りの側に服従する道を選択する事になる。繰り返すが正にこれはイジメはびこるクラスそのものだ! 真っ当な者がこうして理不尽な目に遭う!」


「——国際サッカー連盟事務総長への返答刻限が迫る中、最終的に決断をしたのは『招致議連会長の元首相』であった。この男が『日韓共催は政治にとって悪くない選択だ』と発言した。これで理不尽な要求の受諾が決まった。ここだけ聞くと誰もが決断できない中、さも苦く重い決定を下した立派な政治家のように見えるが、この男、実は『慰安婦に関する内閣官房長官談話』発表当時の首相なのだ。これを勘案すると元々『韓国との招致レースに勝つと反日感情が高まる』程度の意識しか持っておらず、〝いつもの習慣〟で韓国に譲歩したといったところだろう。なにせこの首相の政権で官房長官を務めた慰安婦談話男が1994年に『しこりが残るから日本単独開催を望まない』という趣旨の発言をしているのだからな」


「——『2002年のワールドカップは日韓共催大会とする』。これが正式に発表されたのが1996年6月1日。国際サッカー連盟の規約を国際サッカー連盟自身が破る事が明白に明らかになった日でもある」



「——歴史にIFは無い。しかし、もしも日本が共同開催の受け入れを拒否していた場合はどうなっていただろうか? 普通に考えて『韓国の単独開催』になっていただろう。しかし90年代後半は日本の経済状態もろくでもなかったが、韓国はそのさらに下を行っていた。97年アジアで起こった通貨危機は、同年10月下旬以降韓国に波及し、遂に1997年12月3日、韓国の経済副首相と急遽日帰り訪韓したIMF(国際通貨基金)の専務理事が、210億ドルの緊急融資で合意したと発表するに至った。つまり大韓民国という国家はIMFの管理下に置かれ、この1997年12月3日という日は『国家が倒産した日』と言える。こんな状態の国でワールドカップ単独開催などできただろうか?」


「——これは今となっては〝怪情報の類い〟でしかないのだが、1996年当時から『韓国単独開催』以外の〝案〟があった、という話しもある。一つは〝引き延ばし案〟つまり『開催国決定の延長』。別の一つは〝日本でも韓国でもない第三国での開催〟、それは『中国での開催』であったという」


「——こうして国際サッカー連盟が自ら規約を破るという前代未聞の事件が起こったにも関わらず、日本のマスコミ・メディアは異常であった。一般国民の思いなど余所に『共催はどちらの国も傷つけない落としどころ』などと、早くも報じ始めていた」


「——この報道が異常なのは一枚の真実を写した写真をまったく鑑みていない点にあった。韓国の招致委員会のトップと日本の招致委員会のトップが握手している写真がそれなのだが、韓国人は満面に笑みを浮かべ、日本人は苦汁に満ちた表情を浮かべていた。ちなみに笑顔で写真に写っていた韓国人とは、かの韓国財閥のボンボンであった」


「——この写真に違和感を覚えた者は大報道企業にはいなかったのだろうか? しかし或るフリーのジャーナリストはこれより少し前から違和感を覚えていたらしい。というのも彼は『韓国世論もワールドカップの共催など望んでおらずあくまで単独開催にこだわっている筈だ』と考えたか開催地決定の直前の5月下旬から韓国に滞在し韓国内の世論を現地で注視していたのだ。韓国招致委員会のトップ・韓国財閥のボンボン会長が『日韓共催』という国際サッカー連盟の決定を手に韓国に帰国してくる際には、わざわざソウルの金浦空港まで足を運び取材までしていた。そこで彼が見たものは韓国財閥のボンボン会長が『空港でまるで凱旋将軍のような歓迎を受けていた光景』であった」



「——これらの当時の証言から間違いなく〝韓国が先に単独開催を放棄した〟と断言できる。重要な事は何度でも繰り返しておきたいが、そもそも大韓民国という国家に2002年にワールドカップを単独開催するつもりがあったのか? できる能力があったのか? 開催能力が無いのに立候補を許した事自体がそもそもの間違いではなかったのか? これもまた繰り返すがこの時点では『ワールドカップは一カ国で単独開催すべし』が規約だ。なのに韓国人が絡むとルールや規約すら平然と破られていく」


「——私は汚い連中にもてあそばれた日本サッカー界の関係者に心から同情し憤る。結局サッカーに一生懸命だったのは日本サッカー界の関係者だけで、日本政府も日本の経済界も日本単独開催など望んでいなかった、この日本の空気に便乗した形となったヨーロッパ人役員どもも、さほどの罪悪感も感じる事も無く、平然と『規約破り・ルール破りのワールドカップ初共催』を決める事ができたろう」


「——私にはヨーロッパ人に憤っていたあの親御さんの気持ちが解る。それに比べて韓国人大衆は実にお目出たい奴らだ。空港で得意顔をしていた韓国財閥のボンボンに腐ったトマトでも投げつけてやればよかったのだ。『なぜ勝てる戦を戦わず韓国単独開催を放棄したのか⁉』とな。いつもの〝民族的被害者意識〟はヨーロッパ人相手には発動されないものらしい。ヨーロッパ人関係者どもは『ワールドカップで1勝もできない国(韓国)と1回も出たことの無い国(日本)は2カ国で1回分がふさわしい』とでも思っていたのではないか。それを思った時、単独開催にこだわらなかった韓国人という民族は実に卑屈であるとしか言いようがない。連中が居丈高な態度をとれる相手は日本人という民族だけ。それは日本人のことを『自分達より弱い』と認識しているからなのだ!」


「——したがって我々日本民族が韓国人という異民族に踏みにじられるのはこれで終わりではなかった」


(まだ韓国には続きのネタがあるのか、)と、ただただ呆れるやらのかたな(刀)。

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