第三百六十二話【『北朝鮮・中国』は道徳的に『日本』の上にいた】
「いや、ちょっと待って下さい
「いいんですか? 私ごときが」
「もちろんです。先々の事を考えたら今から慣れておく事は必要です」そう言い終わるや仏暁は演台を空け最前列の自らの席へと立ち戻った。その隣に座るかたな(刀)からしたら〝みんなの前でやれるもんならやってみな〟とそのような挑戦状風の物言いのように感じたが、雨土という男は躊躇う様子も見せず演台前に立ってしまった。
(きっと〝原稿〟も用意してないだろうに、だいじょうぶかな?)と他人事ながら思ってしまったかたな(刀)。自身は前日あーでもないこーでもないと演説用原稿を仕上げたからなんとか形になるよう振る舞えたが、(ぶっつけ本番で演説なんてできるもんだろうか?)と思ってしまったのだった。
「では皆さん、私、雨土が始めさせて頂きます」とまず前口上を述べた雨土。心なしかかたな(刀)には声がうわずっているように思えた。
「雨土さん、肩の力を抜いて。リラックスです」仏暁が声を掛ける。
どうやらかたな(刀)の感じていた事は仏暁も感じていたようであった。僅かに
「皆さん、奇妙な事をお尋ねになると思うことでしょうが、『北朝鮮・中国』と我々の国『日本』とを比べた場合、どちらが道徳上上位にあったかお解りでしょうか? それは間違いなく『北朝鮮・中国』の方でありました」
(なんでこんな中に〝左翼な人〟が紛れ込んでいるの?)と思ってしまったかたな(刀)。だがむしろ驚いたのは周囲の反応。途端に怒号と罵声が飛び交い出した。皆高齢者の筈なのにどこからそんな元気な声が? といった大音響であった。
(ここってば〝そーゆー人たち〟の集まりだったわけ?)
(もはやこれは近所の暇な高齢者を引っ張っるように連れて来て開いているという集会ではない)、という確信しかなかった。ここにいるのはいわゆる〝ガチ勢〟としか思えなくなっていた。
「待て待て皆の衆っ、雨土君が〝そういう思想〟であるわけなかろうが」たまらず遠山公羽が席から立ち上がり声を張り上げ場の沈静化に動く。
「なるほど、もう面白い」仏暁が呟くように口にした。
「どこがです?」と思わず尋ねてしまったかたな(刀)。
「『反韓 親北朝鮮・親中』、戦後昭和の時代にはそういう思想的立ち位置があったとか。そう聞こえるところがですよ、」と仏暁は軽やかに且つ小声で応じた。
「昔は『韓国』を嫌ってもだいじょうぶだったんですか?」思わず訊いてしまうかたな(刀)。
「私も〝聞いているだけ〟ですがね」と応じる仏暁。
仏暁の言った中身を少し詳しく説明するとこうなる。『反韓 親北朝鮮・親中』、それはかつて戦後昭和の頃の『左翼』、またあるいは『進歩的知識人』といった者達の思想的立ち位置で、現代の価値観からすれば実に奇怪極まりない異常価値観にしか見えない。
当時軍事政権による軍部独裁だった韓国に『反』するのは合理的説明がつくとしても、形を変えただけの結局独裁政権である北朝鮮・中国に『親』するというのは、全く合理性を欠くと言うしかない。
遠山公羽懸命の説得に場が鎮まり始めるとひとつ咳払いをし雨土は続きを語り出した。
「えー、なぜ『北朝鮮・中国』といった独裁制を採っている国の方が、民主制を採っているこの日本より道徳上上位にあったかといえば、彼らは侵略を非難するという立ち位置にいたわけでして、一方でそれに相対するこの日本は侵略者という立ち位置に固定されていたからであります。ここから〝固有名詞〟をさっ引けば、『侵略を受けた者が侵略をした者の責任を追及する』という骨組みが残るわけですから、彼らは道徳上上位に、我々は道徳上劣位に甘んじるほかなかったわけであります」
「——皆さんが私のこの言い様に不快感を催すのは百も承知。言いたいことがあるのも容易に想像がつきます。朝鮮半島については『併合したが侵略とは違う。その証拠に併合時に戦闘も全土的抵抗運動も起きなかったではないか』であるとか、満州国については『満州は満州で〝中国東北部〟などという呼び方は後からつけた名だ。満州民族の故地に満州民族の皇帝を立て国家を建国する行為がなぜ中国侵略になるのか』であるとか、『しかしながら中華民国はそのような満州を漢民族の土地とし満州国という国家を認めず、あくまで自国の領土だと主張し続け、軍事的緊張を高め続けた。その結果、戦闘から戦争状態に突入していったのがいわゆる日中戦争で、軍事的挑発を仕掛けてくる割に中華民国が弱すぎ、最終的に首都南京が落とされる結果となったため、結果論で〝ただの戦争ではなく侵略戦争に見えた〟だけ』、と私程度でもこれくらいは言える」
「——しかし、日本人の視点・日本人の立場で何を言おうと『日本は侵略した』と、文字にして僅か七文字で片付けられてしまうのが『現実』というもの。『侵略は悪! 侵略を糾弾する者は善!』この絶対論理の前では政治体制が独裁制だとか民主制だとかは吹っ飛ぶもので、『北朝鮮・中国』はこの日本に対し絶対的と言えるくらい道徳上上位に立っていた」
雨土はここで話しを区切った。
「今から繰り返しますので私の表現を、今一度注意深く聞いてみて下さい」
奇妙な事を喋り出す雨土。目をつむり、なにか経文を口の中で反芻しているように何やらつぶやき続けている。雨土、やおら目を開く。
「——『『北朝鮮・中国』はこの日本に対し絶対的と言えるくらい道徳上上位に立っていた』と言ったのです。過去形で言いました。一貫して過去形で表現するよう注意を払いました。他も私は過去形で言っている筈です」
ここで雨土はすっと息を吸い込む。
「——これが何を意味するか? 皆さんにはお解りでしょう。今の『北朝鮮・中国』はかつて持っていた道徳的優位を自分で捨ててしまったんです。『中国や北朝鮮など既に死んでいる』とはこの事です。もう彼らの言う『侵略』云々に神通力は無いのであります」
「——『特定アジア』というネット発祥の表現があります。『韓国・北朝鮮・中国』を指しているという事です。これは個人的推察ですが今なお反日教育を国策として続けている国々の事を『特定アジア』というのだと私は思っています。これら3カ国のうち『北朝鮮・中国』は勝手にしくじって自滅しました。彼らは兵器開発にのめり込み軍備拡張に執心し、アメリカに軍事で対抗する事に熱中するあまりあろう事かロシアの味方などしている。軍事的合理性に基づいたつもりなんでしょう、きっと。しかしながらそうした行動は彼ら自身を『したたかな悪党』から単なる『悪党』へと格下げした。連中が持っていた道徳的優位さえ無くなってしまえば我々日本人には真の自由が残るだけです」
「——確かに『北朝鮮・中国』の核戦力の増強は脅威ですが、それと引き替えに彼らが失ったものも大きいというわけです。連中は〝道徳的優位〟という決してカネで買い戻せないものを失っている。だが同じ反日国家でも唯一『韓国』だけがしくじらなかった。よって最後に残ったこの反日国にどうとどめを刺すか、この課題だけが残ってしまったというわけです」
雨土は〝ふうっ〟と息を吐いた。
「〝引き〟としてはなかなかですね、」と誰に言うともなく仏暁が小声でつぶやいた。
仏暁には雨土が言わんとしている事が理解できたようであった。しかしかたな(刀)にも、場内のほぼ全員も、雨土が何を言っているか理解しかねているようだった。
しかし雨土は続きを喋ろうとしないし、おためごかしの拍手すら場内に鳴り響かない。
その様子に気づいた仏暁。
「雨土さん、北朝鮮と中国がやらかした〝道徳的優位の放棄〟という失策を具体的に指摘しておかないと。自分でだけ解っていても他の人が置いてけぼりです」と演台に向け語った。
「え?」と驚いたような表情を見せた雨土。彼の中では演説は〝終わっていた〟らしかった。
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