第三百六十一話【『韓国に甘い』、と怒れる男】

 『韓国に甘かないですか?』。後方より聞こえてきた男の声に、不穏なものを感じたかたな(刀)。場内もざわめき始めている。

(いままでの話しを聞いてなかったの?)と思った。


(韓国だけを叩くと『左』側の人間たちが『右』側の人間たちをもれなく差別主義者に仕立て上げる——、だから〝韓国に的を絞っているように見せない〟、そんなことを言ってたはずだけど、)


(とは言えそこにふつう『ユダヤ人』や『黒人』や『アメリカ』を持ち出さないものだけど、)とかたな(刀)は思うが、『先人たちが失敗した轍は踏まない』という理屈だけは筋が通っていると思っていた。

(そこを『韓国に甘い』とか言い出すなんて、話しを聞いていたの?)

 学生時代の授業態度は優等生の方だった者の感想だった。そのため疑念の方が頭をもたげ始める。

(これはもしかして何かの罠じゃ?)、直感的にそう思い目の前の仏曉の顔を見上げる。

 明らかに仏暁は、この男にしては珍しい表情を見せていた。率直に驚いていたのであった。


「はて、韓国に甘い事を言ったつもりも、韓国についてなんら言及しなかった覚えもありませんが」仏暁の口調は明らかに〝演説調〟から〝ですます調〟の普段モードへと戻っている。


(間違いなく〝もう終わっているのに〟って顔だ)かたな(刀)は確信を得た。


「失礼、私、『雨土あめつち』といいます」と男は自ら名を名乗った。(名を名乗るのか、)とかたな(刀)が驚き声の方向へ振り向くと、男は60過ぎくらいの白髪まじりの短髪である。声だけはまだまだ若々しそうに聞こえたので不可思議なアンバランス感を覚えた。


「雨土さん、具体的にどの辺りが甘く感じたのか、そこを指摘していただけますか?」仏曉が訊いた。


「仏暁さん、確かにあなたは韓国を非難してはいる。しかし韓国に言及する際、常に他の国を持ち出しつつ非難しているのはどういうことです? あなたは『左翼・左派・リベラル勢力』による攻撃を心配しているようですが、そこいら辺りがどうにも〝弱く見える〟」


「私はアメリカ合衆国、〝その価値観〟をも攻撃しているのですが、それでも〝甘い〟と感じますか?」


「率直に言って感じます」


(ちょっとちょっと、『アメリカ』をここまで叩けないでしょふつう、)とかたな(刀)。

 仏曉が口を開く。

「私はこの場にいる皆さんに〝私と同じ事をして欲しい〟とお願いしています。皆さんの口から、私がしているように〝こうした価値観〟をできる限り世に広めて欲しいというわけです」


「それは承知しています」雨土は肯いた。


「韓国だけを特に一国指名して非難すると、途端に『ヘイトスピーチ』にされるのがこの日本社会です。つまり差別主義者にされるという事です。私は皆さんを、先人が挑戦し挫折した道・明らかに失敗するであろう道を、進ませるつもりなどありません」


「それは結局、あなたの言うところの『左翼・左派・リベラル勢力』に負けたという事になるのではないですか?」


「雨土さん、あなたは私の戦術に何か誤解があるようだ」


「と、言いますと?」


「我々の目的は大衆の支持を得ることで、『左翼・左派・リベラル勢力』の殲滅ではありません。仮に百歩譲って大衆が広く『左翼・左派・リベラル勢力』を支持しているのならともかく、現代日本社会における連中の不人気ぶりは決定的でしょう。を殲滅する意味などありません。むしろそれはイジメというものです。ただ、彼らは死んでいるわけではない。そんな彼らが採れる戦術はこちらの陣営に『差別主義者』のレッテルを貼り付ける以外無いのです。ただ、その術中にまってしまえば大衆は我々を支持しにくくなる。わざわざ奴らの狙いの通りに引っかかってやる必要もないでしょう」


「しかし韓国を非難するために必ず他の国や民族を墜とさなくてはならないとなれば、私には畢竟ひっきょう韓国を庇っているようにしか見えんのですよ。つまりあなたの言うのは〝どっちもどっち論〟です」


「雨土さん、大衆目線で物事を考えて下さい。今、日本を取り巻く現下の国際情勢の中で、いつの間にか〝軍事力〟について公然と議論ができる風土ができてしまった。具体的には〝軍備拡張〟です。これはもはやタブーではない。『どの程度の破壊力の武器なら自衛隊が装備品として持てるか』、議論はもうこの地点に達している。だからこその〝敵基地攻撃能力〟いや、〝反撃能力〟でしょう」

 仏曉の話しは続いていく。

「——かくの如き情勢下でを名指しして叩くと、大衆にとっては『おかしな事を言っている』と受け取られる。有り体に言って『どうして中国や北朝鮮を非難しないで韓国なのだ?』と、極めてありがちで真っ当そうに聞こえる非難を浴びますよ。何しろ中国や北朝鮮は核ミサイルを保有し、そのうち何発かは確実にこの日本に向け照準を合わせているわけです。一方で韓国は核兵器を保有してないわけですから」


「そういう事でしたら仏暁さん、私の側に〝面白い反論〟がありますよ」雨土は自信ありげに言った。


「『面白い反論』とはそれこそ面白い言い方ですね、たいていの人は反論されると面白くない筈ですが」と応ずる仏曉。


「けんか腰に見えるでしょうが、これでも私はあなたを買っているつもりです。私の見立てに間違いが無ければ〝あなたは面白がる筈だ〟、と申し上げているのです」


「ほう、」


「ではもし面白がってくれたなら、他国や他民族を敢えて持ち出さず『韓国』に限定した非難をして下さいますか?」


「演説の延長戦をご希望という事ですか?」


「その通りです。返答はいかに?」


「皆さんはお疲れではありませんか?」仏曉は場内に問うた。〝大丈夫だ〟といった意志を示すように拍手が鳴り、中に同意の声も飛んだ。

 仏曉は最前列に座る遠山公羽に視線を送る。この場に仏曉を呼び寄せた張本人。無言で肯き返す遠山公羽。


「いいでしょう、受けましょう」仏曉は言った。


「ではさっそく始めさせていただきます。中国や北朝鮮など既に死んでいる。奴らは自ら死んだ。しかし韓国だけはまだ生き残っているのです」


(どういうこと、これ?)とかたな(刀)。雨土が語り出した〝ことば〟の意味がさっぱり見えてこない。

 それに加えてかたな(刀)は、彼女の伯父遠山公羽が集めたのは『ただ話しを聞いているだけでいいから、』とか言って連れ出して来たその辺のヒマな高齢者なんだろうと、そう頭から思い込んでいた。

 だからこんな積極的な論戦めいたものが始まるなど、想定外もいいところであった。

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