第三百六十話【編集者の凄み】

 〝そこで終わればいいものを〟とかたな(刀)に思われていても仏暁の話しにはまだ続きがあった。よってただ今も続いている。

「——私は太宰治を激賞した。しかし、ただ太宰治だけを一人賞賛するのも、これでは盲目的崇拝者となってしまう。要は片手落ちとなる。この壮挙は太宰一人では到底為し得ないものだ。名は残ってはいないが、本作『パンドラのはこ』発表に当たり、太宰の後ろ盾となり、支援した気骨あるおとこ達についても触れておかねばならない」


「——むろん私個人が太宰治についての秘話的な〝知られざるエピソード〟を知っているというわけではない。しかし理屈の上でそうした人間達がいる筈なのである」


「——掲載されたのが新聞である以上は『記者』というのか、あるいは学芸部だろうから『編集者』というのか、ともかく〝小説家個人の意志〟のみで小説を発表するのはこの時代、不可能だということだ。編集サイドがGoサインを出して初めて小説は世に発表できる」


「——そこでまずは〝当時〟という時代背景について考えよう。考えてもみ給え諸君、この『パンドラの厘』という小説が発表されたのは戦争が終わってからの占領下の日本だぞ。〝〟なら編集者が『センセイ、この表現はちょっと、』と作家に自主規制させていたとは思わないかね? 外国から来る〝抗議〟は怖いからな」明らかに皮肉を含む笑みを見せながら仏曉は言った。


「——現に『パンドラの厘』の連載と同時期、昭和20年12月9日より占領軍であるGHQは『眞相はうだ』というラジオ番組を日本放送協会、即ちNHKに放送させている。いわゆる『ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム』のはしりだ」


「——その中身は諸君の想像通り。目的が『日本人の精神構造から軍国主義的な精神を排除しコントロールする事』だったため、『真珠湾攻撃・原爆投下』なども全部日本の罪とした。しかもねつ造まで紛れ込ませた。『連合国は原子爆弾を広島の軍事施設に投下しました』というのがそれだ。さらに卑劣な事にGHQは『これを造ったのは我々だ』という真実すら隠した。そのため矢面に立たされてしまったのが日本放送協会ことNHK。ために当時の日本国民の〝あらゆるリアクション〟の行き先は、気の毒な事にNHKになってしまった」


「——そこで現代の我々が関心を持つしかないのがそうした〝あらゆるリアクション〟の内訳だ。『軍部の罪悪をもっと徹底的に叩いてくれ』という意見が早くも現れた一方で、などの批判的な内容が大半だったと云われている」


「——つまりだ、太宰治作『パンドラの厘』を〝現代感覚〟を持ったまま読むと、『戦争が終わった後の話しの筈なのに登場人物たちの会話には違和感を覚える』といった感想を持つことになるのだ。しかしこれはの日本社会の真実を描写しているに過ぎない」


「——『戦争に敗けただけでどうして悪党にされるんだ⁉』、この感覚こそが真っ当というものだ」


「——しかしGHQことアメリカ合衆国は諦めなかった。この『眞相はかうだ』の失敗にめげず、翌昭和21年早々、2月には〝次の番組〟『眞相箱』を開始。その後も『質問箱』などと名を変え同種のプロパガンダ番組は昭和23年1月まで続いていく。この間、昭和21年5月には『東京裁判』が始まり、戦後半年以内の、初期の自由思想な意見は徐々に日本社会には見られなくなっていき、そしてこの現代に至る」


「——しかし、戦後半年以内の編集者は違っていたのだ」


「——『パンドラの厘』という作品のストーリー的には、別に登場人物達に『自由思想』を巡っての政治思想談義などさせなくても、別に他の話題でワイワイさせても、話しとしては成立したんじゃないか? 書かなくても物語は進められる事ををわざわざ書き、それら作中で語られた思想について主人公に——」

 とまで言って仏曉はファイルに目を落とす。

「——『>固パンは眼鏡をはずした。泣いているのだ。僕はこの嵐の一夜で、すっかり固パンを好きになってしまった。』とまで言わせ、肯定させているというのは、まさに戦後半年以内という時代の空気をこの現代にまで冷凍保存しているようなものだ。だからこそ、この小説のタイトルが、今にして思えば『パンドラの厘』というのは似合っている。まるで太宰が〝未来の日本に自由思想が存在できなくなる事〟を見透かして決めたようなタイトルだ。『これを書かずにはおれない』という作家の強い意志と同時に『これを世に出しておかねばならない』という編集者の強い意志を感じる」


「——現にこれは〝未発表原稿〟などではなく、当時から作品として新聞紙上で発表されていた。間違いなく功績は編集者にもあるのだ。政治思想など書かなくても話しが成立する物語なのに敢えてそれを書くことを妨害しなかった」


「——私は同職でもこの現代の編集者達とは敢えて比べたくもない。ひとたび比べ始めるとキリがなくなるからだ。が、最低限一つだけ言わせてもらおう。昨今『海外に売れるコンテンツを』という価値観が大手を振って歩いている。しかし〝外国人の価値観〟に配慮して作られる作品など使い捨ての大量消費財に過ぎない。〝アメリカ人の価値観〟などに迎合していたら『はだしのゲン』という漫画は存在しなかった事だろう。これは〝同人漫画〟ではないぞ。バリバリの商業誌、『週刊少年ジャンプ』での連載にGoサインを出した編集者がいたのだ」


(『極右』な人からこんなタイトルまで出てくるとは、)とかたな(刀)は思った。


「——私は現代の『今は時代が違う』という言い訳など聞きたくもない。『今はくだらない時代だから』という意味に聞こえてしまうからだ」




「——以上、太宰治を支えた者達に触れずに太宰治だけを神格化し持ち上げる真似をしたくがないために、敢えて蛇足と思えても付け加えた次第だ。話しを太宰に戻そう。太宰治はあれほど切望した『芥川賞』も結局獲ることも無かった。もしかして『文壇』とかいう世界での政治力が足りなかったのかもしれない。しかし私にとって残念なのはそんな事ではない。彼の死が寿命ではなかった事だ。もっと生きて小説を書き続け『自由思想の何たるか』を世に示し続ける義務が彼にはあったというのに」


「——広く知られている通り、太宰治は昭和23年、即ち1948年に〝玉川上水で入水死〟という事でこの世を去っている。が、この当時『下山事件』『三鷹事件』『松川事件』と次々怪事件が起こっていた。どうして彼の死についての『陰謀論』を聞かないのだろうか? GHQの占領政策、即ち『特定の価値観の強要』に公然と異を唱えた有名作家が病死でも自然死でもなく占領下の日本において〝自殺として〟亡くなっているのだが。では諸君、今日はご静聴に感謝する。ありがとう」


 どうやら今度こそ〝〟のようだった。あれほどの大演説の最後の最後がこうした〝奇妙な終わり方とは〟と、皆狐につままれたような様子であった。かたな(刀)もその中の一人。演説とは大拍手大喝采で幕を閉じるものだと頭からそのように思っていたから。ただ、『陰謀論』で話しを終える辺り、いかにも『極右』らしいと、言えば言えた。


 そんな中、一人の男の手が、とは言っても女はかたな(刀)だけであったが、挙がった。男は指名もされていないのに立ち上がり、

「韓国に甘かないですか?」と、そう唐突に仏曉に言ってのけた。

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