第三百五十九話【太宰治の凄み】

 仏曉による太宰治作『パンドラのはこ』の朗読が再開されている。



「——『>真の自由思想家なら、いまこそ何を置いても叫ばなければならぬ事がある。」「な、なんですか? 何を叫んだらいいのです。」かっぽれは、あわてふためいて質問した。「わかっているじゃないか。」と言って、越後獅子はきちんと正坐し、「 。昨日までは古かった。しかし、今日に於いては。十年前の自由と、今日の自由とその内容が違うとはこの事だ。それはもはや、神秘主義ではない。人間の本然の愛だ。今日の真の自由思想家は、この叫びのもとに死すべきだ。アメリカは自由の国だと聞いている。必ずや、日本のこの自由の叫びを認めてくれるに違いない。わしがいま病気で無かったらなあ、いまこそ二重橋の前に立って、天皇陛下万歳! を叫びたい。」固パンは眼鏡をはずした。泣いているのだ。僕はこの嵐の一夜で、すっかり固パンを好きになってしまった。』」



 仏曉の朗読の手が止まった。


「——太宰治は登場人物に『アメリカは自由の国だと聞いている』と言わせているわけだが、正に〝聞いている〟だけ。この部分は使用している語彙の選び方からしてかなりのになっているが、まさしく『自由の国だと聞いているだけ』という解釈が正しかったという事が、この小説を書いたことで証明されてしまった」


「——というのもこの部分、占領軍であるアメリカ軍、即ちGHQは〝こんな小説〟の存在は許さなかったからだ。その圧力によって私が今読み上げた部分は改変されてしまった。それを今から読み上げてみる事とする」そう仏暁は言うと手元に視線を落としファイルを一枚繰った。



「——『日本は完全に敗北した。さうして既に昨日の日本ではない。實に、全く、新しい國が、いま興りつつある。日本の歴史をたづねても、何一つ先例の無かつた現實が、いま眼前に展開してゐる。いままでの、古い思想では、とても、とても』」



 仏暁は顔を上げた。「——以上が書き換えられた後の作品という事になる。元々『天皇陛下万歳! この叫びだ。昨日までは古かった。しかし、今日に於いては最も新しい自由思想だ』だったものが、『いままでの、古い思想では、とても、とても』となってしまっては意味が百八十度違ってしまう。『天皇陛下万歳』というのが『戦前の古い思想』とされ、『このままでは、とても、とても』という意味にしかなっていないからだ」


「——しかし、作中の登場人物は同じ『天皇陛下万歳!』という叫びでも、言わされて言っているのと、自発的に言っているのとでは違うのだと、そう説いているのだ。だから自発的に口にする分に於いてはこれぞ自由思想という事になる」


「——だがしかししかし、占領国であるアメリカ合衆国にとっては、『天皇陛下万歳!』を〝新しい思想〟にされては甚だ困るらしい」


「——『しかし』がまだ続くが、実はこの点太宰治は己の主義主張と言うよりはなのだ。しかも文学者的直感で大衆の心を間違いなく正確に筆致し表現してみせた。というのも当該小説『パンドラのはこ』は昭和21年1月7日に連載が終了しているわけだが、同年2月から日本史上決して無視できない歴史的事件ともいうべき出来事が始まっている。それがいわゆる『昭和天皇の戦後巡幸』というものだ」


「——昭和21年の2月であるから当然第二次世界大戦の終結後、昭和天皇自身の発案で昭和29年の8月まで、8年半もの時間をかけて当時アメリカ合衆国に占領統治されていた沖縄県を除く全県を行幸したのだ」


「——アメリカ人達には戦争に敗けた国の国家元首である昭和天皇が日本の大衆から罵声を浴びる姿を期待していた節があるが、それこそ太宰の預言通り、日本各地で日本国民による大衆の自発的な『天皇陛下万歳!』が湧き起こった。しかもアメリカ合衆国に占領されている状態での『天皇陛下万歳!』だ。アメリカ人どもの内心を察するに、お気の毒様と言うか」


「——正に『「>天皇陛下万歳! この叫びだ。昨日までは古かった。しかし、今日に於いては最も新しい自由思想だ』は現実であった」


「——当時の日本政府は占領軍であるGHQの意向のままに動かされている傀儡状態、新聞も同じくGHQの意向のままに検閲される。だが日本各地で大衆から〝同じ叫び声〟が上がった。SNSも無いこんな時代にだ。正にこの頃の大衆はまだまだ自由思想を持っていたのだ」


「——だがこれが真実であろうと〝表現する〟となると事情は変わってくる。検閲が入るという事は必然それは〝権力〟と対峙するという意味になる。必然リスクも背負う。しかし、太宰治の勇気ある挑戦のおかげでここに我々はひとつの事実の記録を見いだす事ができている」


「——よく『戦前は自由にものの言えない時代だったが、戦後になって自由にものが言える時代になった』と言われる。しかしこれはフィクションが混じっている言説だという事が証明されたのだ。確かに戦前は『日本の価値観』を批判する自由は無かった。戦後になってその手の自由が存在できるようになった。だが戦後は『アメリカの価値観』を批判する自由は失われた。それを身をもって証明したところに〝太宰治という小説家の凄み〟がある。これぞ真の表現者だ!」


「—— 一方『左翼・左派・リベラル勢力』だが、彼らは戦後、『共産主義』という外国の価値観に拠って『アメリカの価値観』を非難しはしたが、誰も『共産主義』に美しい夢を見なくなったこの現代社会に於いては遂に丸ごと『アメリカの価値観』を受け入れ服従する輩にまで成り下がった」


 仏暁は一旦話しを区切ると場内を見廻した。

「——結局、結論は出てしまった。戦後の自由も『自由の等価交換みたいなものであった』という結論に行き着くしかない。戦前の自由と戦後の自由の程度は同じようなものだし、戦前の不自由と戦後の不自由の程度も同じようなものだった」


「——さて、この現代だ。自由思想家は生き残れているだろうか? アメリカの価値観を否定する自由をどれだけの日本人が持っているだろうか? せいぜい『銃社会を否定する』程度ではないか。さすがにアメリカも『日本で銃器が自由に持てるよう改革しろ』という要求はして来ないから、ここだけは〝強気〟でいられる。だが他の〝アメリカから要求された価値観〟についてはどうだ? 未だに『外国様が日本に怒っておられる! 日本が孤立する!』という奴隷根性の持ち主ばかりで批判精神など見いだせないではないか!」


「——〝戦後になってから自由がアメリカによってもたらされた〟というのは明らかな嘘である。太宰治は身をもってこうした事実を示してくれたのだ」


 たちまちのうちに場内は驚嘆の声と共に拍手喝采となった。もうこの時分にはかたな(刀)の中の太宰治像はすっかりと崩れ去っていた。

(もっと情けなくて、浮き世から離れられないというか、悪い意味で人間味のある人かと思ってたのに……)といった〝感想〟しか持ち得ない。早い話し〝こんな気骨があったの?〟であった。


 しかし仏暁の話しはまだ続きがあるようだった。


「——では昭和20年8月15日以前に発表された太宰の小説はどんなものだったのだろうか? 戦前からこんな調子だったかどうかで評価にブレが起こり得る。なにしろこれを言っておかないと『太宰治は実は〝狂信的愛国主義者〟だった』とレッテル貼って終わらせようとする者が必ずや出てくる」預言者のように仏曉は言い切った。


「—— 一般的な太宰治の作品評は『人間の偽善を告発する』 というもの。実際占領軍の偽善すら告発してみせた。では戦前は? というと戦前は昭和18年に『右大臣実朝』という歴史小説を発表している。鎌倉幕府・第三代将軍『源実朝』が主人公だ。源実朝と言えば百人一首の中に詠んだ歌が選ばれている程の名手で、『金槐和歌集』でも知られている。政治を顧みないというか、関わらせてもらえず、結果〝文人将軍〟として知られている人物だ」


「——しかし昭和18年なら時代は『楠木正成』ではないか? 天皇のために戦いそして討ち死にする武将だ。『忠君愛国』、そして何事も〝勇ましきもの〟が是とされた戦前にどこか時代からズレた小説を書いていたのも太宰治。今で言うところの〝逆張り〟という事になってしまうのか。しかし一人の表現者として太宰治は戦前さえも自由思想の持ち主だったと言えるのではないか」


「——さて、これで私の朗読劇は最後の最後になるが、〝締め〟はここになる、」



「——『>君の御意見に依よれば、越後獅子こそ、当代まれに見る大政治家で、或あるいは有名な偉い先生なのかも知れないという事であるが、しかし、僕にはそのようには思われない。いまはかえって、このような巷間無名の民衆たちが、正論を吐いている時代である。指導者たちは、ただ泡を食って右往左往しているばかりだ。いつまでもこんな具合では、いまに民衆たちから置き去りにされるのは明かだ。総選挙も近く行われるらしいが、へんな演説ばかりしていると、民衆はいよいよ代議士というものを馬鹿にするだけの結果になるだろう。』」



「——以上で朗読は終わりだ。私の言わんとしている事そのものがここにはある。『いまはかえって、このような巷間無名の民衆たちが、正論を吐いている時代である』、そういう事だ。指導者どもが『いまに民衆たちから置き去りにされるのは明かだ』もその通り。少しだけ物騒な事を言わせてもらえば、かの吉田松陰の言った『草莽崛起そうもうくっき』もまた意味はほぼ同じだろう」


 またも拍手が鳴り響く。

 改めて仏曉、場内を見廻す。

「しかしまだひとつだけ触れていない事がある。『パンドラの厘』に触れ、これに触れないで終わっては片手落ちとなる。言うなればこの頃の小説は『Web小説』ではないからな」


 一転、場内の空気、ボルテージが下がっていく。また仏曉が訳の分からない事を言い始めたからである。

(どうして盛り上げたところで切り上げないかな——)とかたな(刀)でも思ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る