第三百五十六話【『リベラル』VS『リベルタン』】

 仏暁と『太宰治』というあり得ない組み合わせに意外性を感じつつも、聞いていて目から鱗的な感覚に陥ってもいるかたな(刀)だった。


(〝天皇のために死ぬ〟という死生観も『政治思想』だったんだ、)と。


(言われてみればこの価値観、昔々国を治めていた人間達が言っていたわけで、国を治めている以上彼らは政治家で、その政治家の思想だから『政治思想』というわけか、)


 今までのかたな(刀)の感覚ではこれは専ら『教育』の問題で、これ自体が『思想』だとは思いもよらなかった。しかし仏暁の朗読、太宰治作『パンドラのはこ』の朗読にはここで終わる気配が無い。未だ朗々と朗読を続ける仏暁。

 その行動は〝〟と思わせるに充分であった。



「——『>自由主義者ってのは、あれは、いったい何ですかね?」と、かっぽれは如何なる理由からか、ひどく声をひそめて尋ねる。「フランスでは、」と固パンは英語のほうでこりたからであろうか、こんどはフランスの方面の知識を披露する。「リベルタンってやつがあって、これがまあ自由思想を謳歌してずいぶんあばれ廻ったものです。十七世紀と言いますから、いまから三百年ほど前の事ですがね。」と、眉をはね上げてもったいぶる。「こいつらは主として宗教の自由を叫んで、あばれていたらしいです。」』



(こんなところにまで『フランス』が、)と思ってしまうかたな(刀)。この間も朗読は続いていく。



「——『>「なんだ、あばれんぼうか。」とかっぽれは案外だというような顔で言う。「ええ、まあ、そんなものです。たいていは、無頼漢みたいな生活をしていたのです。芝居なんかで有名な、あの、鼻の大きいシラノ、ね、あの人なんかも当時のリベルタンのひとりだと言えるでしょう。時の権力に反抗して、弱きを助ける。当時のフランスの詩人なんてのも、たいていもうそんなものだったのでしょう。日本の江戸時代の男伊達とかいうものに、ちょっと似ているところがあったようです。」「なんて事だい、」とかっぽれは噴き出して、「それじゃあ、幡随院ばんずいいんの長兵衛なんかも自由主義者だったわけですかねえ。』」



 仏曉は再び朗読を切った。



「さて諸君、『おや?』とは思わなかったかな? 『この小説のが、いったいいつなのか?』という疑問を持ってくれただろうか?」


「——登場人物達は『自由思想』『自由主義者』などと言って話しをしている。しかも『時の権力に反抗して、弱きを助ける』とまで言わせている」


「——しかし戦時中なら、自由に思想するなど問題行動そのもので、まして『時の権力に反抗』なんて喋っているのは御法度じゃないかね。そんな事を言ってると〝危険分子〟と断定されるのが通常だ。ここまで堂々と明朗にみんなでワイワイ『自由思想』『自由主義者』などについて論じていたら、じきにどこからか情報が漏れ、もれなく憲兵隊か特別高等警察の皆さんが後を着いてきてくれる流れになる」


「——ところが、こういう事をみんなで話せるこの状況から、この小説のは終戦後、作中に『進駐軍』という実に解りやすい語彙も登場しているところから、終戦直後である、と断定できる。これについてはまったく疑いの余地が入らない」




「——今しがた読み上げた部分は実に示唆に富んでいる。この現代にも繋がってくる話しだ。ここにフランス発の『リベルタン』なることばが出てきた。語調からしてこれは『リベラル』と同義である。現に『リベルタン』の元々の意味は宗教的権威から自由たらんとする〝自由主義者〟を指すと紹介されていた。正に〝リベラルの〟そのものだ。リベラルの奴らは『自由化! 自由化!』と連呼していたわけだからな」


「——ところがこの『リベルタン』を宗教的権威の側から見ると〝不信仰者と放蕩者〟つまり『無頼漢』にしか見えないのだ。『無頼』には〝素行が悪い〟とか〝ならず者〟といった意味が含まれる」


 〝にたり〟とかたな(刀)には仏暁の口元が笑ったように見えた。


「『極右』こそが『リベルタン』だとは思わないかね? 諸君!」


 さあ、かたな(刀)には何が何だかいよいよ混沌としてきた。

(『極右』が自由主義者ですって⁈)


「——さてさて、そうなるとこの現代の『リベラル勢力』を自称する者どもは『自由主義者』ではないと言える。なぜなら『リベラル勢力』は我々に〝特定の価値観〟を押しつける。その動かぬ証拠が〝特定の価値観〟を守るための『規制法』造りの推進だ。法とは権力そのものだ。現にそれが結実した例もある。権力化をもって我々をそうした価値観に服従させようとするのだ。『リベラル勢力』は彼ら自身の思想的価値を絶対神聖視し〝他者の思想的自由〟を認めない」


「——では『リベラル勢力』どもの言う〝自由〟とは何か? なんの自由を求めているのかといえば、〝カネ儲け行為についての自由〟なのだ。『リベラル勢力』どもはで、なのだ。そして奴らは奴ら自身の思想的価値観に合致しない者達を〝素行の悪い者・ならず者〟と決めつける」


「——これはなにかに似ていると思わないかね? 昔々欧州に君臨していた『宗教的権威』そのものだ。他者の上にと思ったら『信仰』だけでは不十分、『財力』は必須項目で、その財力という力を得るためには、彼らに〝カネ儲け行為についての自由〟が無ければそんな力など持てない。むろんカネ儲け行為は必ずしも〝真っ当な商売〟を意味しない。他者から理不尽にむしり取る行為も〝カネ儲け行為〟の範疇に入る。そしてその力をもって自らの価値基準の下、他者の思想を支配しようとする。経済を支配し思想を支配する。この現代の『リベラル勢力』こそ宗教的権威の立ち位置にいるのだ」


「——かくして今や『リベラル』と『リベルタン』は全く対立する存在となった。『リベラル』は自由主義者ではなく、『リベルタン』こそが自由主義者だ。自由主義者はカネの話しなどしない。していたのだからな。正に我々、『極右』こそが『リベルタン』ではないかね。正に我々、『極右』こそが自由主義者ではないかね。我々は人間同士の戦争に『神と悪魔』の二項対立を持ち込んだ『第二次大戦』、またの名を『日本悪玉史観』ともいうカルト宗教を権威とするリベラル野郎どもと対決する『リベルタン』になろうじゃないか! それがこの日本の『極右』というものだ!」


(これは……、まさに〝フランス野郎〟としか言いようがない、しかし『われわれこそが自由主義者だ!』なら、誰にも抵抗感無くスッと他者に主張できるのかもしれない)

(この人は『左翼・左派・リベラル勢力』を散々にこき下ろしながら、『奴らを法律で規制しろ』とはひと言も言ってない。むしろ自由に喋らせておく方が却って〝彼らの社会的信頼〟を失わせる事ができると、そう思ってる節がある……)


(これが本物の自由主義者……。そしてそれが『極右』……)

 仏曉の一見バカっぽいフランスかぶれに、ようやくかたな(刀)であった。

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