第三百五十五話【太宰治。『政治思想』を小説に書く男】

「とは言え事実上〝私の演説〟は既に終わっているようなものだが、『まあまあ面白い話しが聞けた』で終わってもらっては私が困る。この話しを〝他の人々に広める役割〟を諸君らには担って欲しいのだ」仏暁はそう聴衆に要望した。「——ただ、〝その手段〟については注文がある。あくまで〝対面で〟、という事だ。だからこれはひたすら地道な作業となる」


「——したがってもちろん私はSNSなど勧めない。なにせ私がやっていないのだからな。それに将来の方針は変わるかもしれないにしても現在SNSは事実上〝クローズド・サークル〟化している。所詮閉じられた世界だ。具体的話しをすると新聞社のサイト。記事毎にSNS運営会社のマークがついているだろう。ここをクリックする事で当該記事にどういう反応が寄せられているかを見ることができた。あくまで〝〟、だ。過去形だ」


「——ところが現在、そのSNS運営会社のマークの部分をクリックしても『会員登録』のための画面が表示されてしまう。会員登録など考えてもいないのに半ば強制的な誘導を受ける。記事に対する反応を知りたくても、SNS会員登録しないと記事に寄せられた一連の投稿の中身が見られないのだ。これではもはや唯一の取り柄である〝拡散能力〟すら怪しいものだ」


(でも直接を他人に喋れって、それこそ誰彼問わずドン引かれるのでは……それをにやらせるのはあまりにハードルが……)と率直に思うしかないかたな(刀)。

 しかし仏曉、

「——なに、悪びれる必要など微塵も無い。我々は、『〝誤った改革〟を煽り大量の未婚世代を生み出した政治家やマスコミや知識人ども』の失敗の穴埋めのために民族主義を煽るに過ぎないのだ」と、とんでもない事を言っている自覚も無さそうだった。


「——とは言え私と同じ事をやってくれ、と言われてやれる人間もなかなかいない事だろう。要は〝そんな事を言って他人からなんと思われるか〟と心が萎縮してしまうのだ。いわゆる他人の顔色をうかがいやすい性質。同調圧力に弱い性質。いかにも典型的日本人な性質が〝行動の阻害要因〟となる。そこで最後の最後に行動するに当たっての〝心持ち〟の話しをしようと考えた。現代日本人がいかなる心持ちになればいいか、それは『社会の空気など読むな』、これに尽きる」


(そんなの日本人には無理に決まってる)とかたな(刀)。いかにも日本人的と言えた。


「——あるいは『日本人にできるわけがない』と思う者がいるのかもしれない」


 ぎくっ、とするかたな(刀)。思った通りを言い当てられた状態、思い切り図星であった。


「——しかしそれができた日本人がいた。しかもその男は一般論で〝立派な男〟とは思われていない。人間、『立派になれ』と求められるのはしんどいだろうが『立派でなくていい』のなら簡単そうだろう?」


(だれそれ?)


「——その男の名は『』。有名すぎて皆々とっくの昔に知ってることだろう」


 まったく仏暁の話しが唐突すぎて意味も解らずざわめくだけの場内。


「——私は『三島由紀夫』の檄文を読み上げるようムッシュ遠山から依頼され、そして読み上げた。三島というのは右派だとか保守を自称する者達が触れずにはいられない、正に『将来の日本を憂える愛国者』、そういう作家だ。右派だとか保守を自称する者達は総じて『三島由紀夫』が好きなものだ」


「——では私も〝三島の心酔者〟かと言えばそうでもない。〝心酔〟レベルでいくと『太宰治』となる」


 まったく『極右』には似つかわしくないに、聴衆も反応に困ってるかのようだった。もちろんかたな(刀)もその一人。


(極右団体を造るとか言っている人は、そりゃ確かに別の意味で『人間失格』かもしれないけど……)と思うが、そんな事もちろん口になどできない。


 そんな奇妙な空気が支配する中でも仏暁は一切マイペースを崩さない。

「改めて。『太宰治』、本名・津島修治。青森県生まれ、職業、小説家。この『太宰治』が書いた最高傑作が『パンドラのはこ』。ただ、私以外のほぼ誰も〝最高傑作〟とは言わないだろう。が、とにかくこれが凄い。奈辺が凄いのかと問われたなら、『政治思想を小説にするとは、』と私は答える」


(ウソ、『人間失格』で名が知れてる人なのに。私小説作家でしょその人は、)かたな(刀)はそう思うしかない)


「——『政治思想』は小説になる。その証明がこの『パンドラのはこ』なのだ。むろんそう理解しない者もいるだろう。これは〝恋の物語〟だと。しかし私にはそれは表層を飾るだけの〝仕掛け〟にしか見えないのだ。そんな〝仕掛け〟でも無かったなら『政治思想』を小説になどできないものだ。本作が発表されたのは昭和20年10月22日、河北新報という新聞紙上において。〝新聞〟という事は当然連載小説で、翌年昭和21年1月7日まで掲載された。太宰治と言えば当然のように『私小説作家』のイメージだが、私にとっては実際はそれほど私小説作家でもない」


「——しかし私の推すこの作品は『人間失格』でもなく『走れメロス』でもないので、当然その中身など知る者はまれだろう。よって私は本作の一部を今より諸君に読み上げようと考えている。聞けばこの凄さが誰にでも解る事だろう」そう言って仏暁は別冊のファイルを繰り始めた。所定の位置が開かれたようだった。


「——まずその作中の舞台を簡潔に説明しよう。私が説明せずとも〝作者の言葉〟でそれは可能だ」と前置きし、仏暁が朗読を開始する。



「——『>この小説は、「健康道場」と称する或る療養所で病いと闘っている二十歳の男の子から、その親友に宛てた手紙の形式になっている。手紙の形式の小説は、これまでの新聞小説には前例が少かったのではなかろうかと思われる。だから、読者も、はじめの四、五回は少し勝手が違ってまごつくかも知れないが、しかし、手紙の形式はまた、現実感が濃いので、昔から外国に於いても、日本に於いても多くの作者に依って試みられて来たものである』、から始まっている」



「——次にだが、作中の登場人物はこんな事を言っている。『>僕たちは結核患者だ。今夜にも急に喀血して、鳴沢さんのようになるかも知れない人たちばかりなのだ』、と。即ち作中の舞台は結核の療養所だという事だ。しばらく本作の一部の朗読を続けよう、」そう言うと仏曉は件のクリアファイルを手に取ったまま、ことば通り朗読劇を続ける。



「——『>僕は、「死はよいものだ」などという、ちょっと誤解を招き易いようなあぶない言葉を書き送ったが、それに対して君は、いちぶも思い違いするところなく、正確に僕の感じを受取ってくれた様子で、実にうれしく思った。やっぱり、時代、という事を考えずには居られない。あの、死に対する平静の気持は、一時代まえの人たちには、どうしても理解できないのではあるまいか。「いまの青年は誰でも死と隣り合せの生活をして来ました。敢えて、結核患者に限りませぬ。もう僕たちの命は、にささげてしまっていたのです。僕たちのものではありませぬ。それゆえ、僕たちは、その所謂天意の船に、何の躊躇も無く気軽に身をゆだねる事が出来るのです。これは新しい世紀の新しい勇気の形式です。船は、板一まい下は地獄と昔からきまっていますが、しかし、僕たちには不思議にそれが気にならない。」という君のお手紙の言葉には、かえってこっちが一本やられた形です。君からいただいた最初のお手紙に対して、「古い」なんて乱暴な感想を吐いた事に就いては、まじめにおわびを申し上げなければならぬ。』」


 ここまで読み上げ、仏暁、朗読をめる。



「——作者、即ち太宰治が最初になんと断りを入れたか、今一度思い出して欲しい。『>手紙の形式はまた、現実感が濃いので、』と書いていた。つまり太宰は〝現実を書きたかった〟のだ。加えて思い出して欲しいのが、昭和20年という時代に二十歳の青年をやっていた人物を主人公とした、という点である」


「——そしてその主人公に『あの、死に対する平静の気持は、一時代まえの人たちには、どうしても理解できないのではあるまいか。』、とまで言わせている」


「——興味深いのは〝一時代まえの人たちには、どうしても理解できない〟のくだりだ。普通、『死に対する平静の気持』などというものは一見老境に入った者の方が持ちそうなものだが、逆になっている。『死に対する平静の気持』は〝青年には理解できるが中高年層には理解できない〟とまで言わせているのだ」


「——昭和20年に発表された、現実感を濃くしたいという意図で書かれた小説。そしてその中身から、『>もう僕たちの命は、にささげてしまっていたのです。』の〝或るお方〟とは間違いなく『昭和天皇』だと言い切れる」


「——とは言えここの部分だけでは『〝後で落とす〟ためにわざとこんな事を書いているのだ』という事にされかねない事だろう。そこいら辺りを踏まえ、作中で触れていこうと思う」そう言って仏曉は朗読を再開する——

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