第三百五十一話【普遍的な〝民族感情の煽り方〟】

 仏暁が語り出す。

「——〝民族主義の煽り方〟、そのパターンは昔から決まっている。『』、これを大衆に向かって大声で叫ぶ。叫び続ける事だ」


「——こうして加害者に対する憎悪を煽っていけば砂粒の如きバラバラの個人だったものが徐々に集団的結束力を持つようになっていく。この方法は人間なら誰でも持っている『被害者意識』という普遍的感情を使う方法だ」


「——言っておくが『私は被害者意識など持たない』などと曰う人間がいたらそいつは希代の嘘つきか自己分析もろくにできない愚か者かのどちらかだ。私は先に年収が1200万ありながら、年収1200万を理由に児童手当てが貰えないことに腹を立て記事を書いてしまった大手新聞の新聞記者の実例を挙げておいたぞ。ほうらいただろう!」仏暁は人差し指を立て天高く突き上げてみせた。


「——ちなみにその新聞社は〝左派・リベラル系〟と社会から目されているわけだが、こうした実例から読み取れるのは『お金を貰えない者は貰える者に理不尽を感じる』という動かしがたい人間の感情の存在だ。つまりは『被害者意識』。こうした感情を『怒り』とも、あるいは『憎しみ』ともいう」


「——このまま『結婚出産適齢期世代』且つ『結婚できた世帯』限定で金銭をバラ撒けば、無関係な大衆はどのような感情を持つであろうか? この世代に対する怒りや憎しみの矛先が向くのは確実である。そこで肝要になってくるのが『被害者意識』をどうコントロールするかについてだ」


「——しかしコントロールすると言ってもそれは『怒るな』『憎むな』と人に説教する事ではない。そんなものは無駄である。上から目線の説教に従いたがる人間などいない。何しろ年収が1200万円を超える左派・リベラル系の新聞記者さんが怒り、憎悪をペンに込め、もう感情を抑え切れなくなっているのだからな。受益者世代から外れた世代、あるいは同世代でも受益者になれそうもない者達が受益者達にを抱く事案は確実に起こる。これはもはや確定事項と言って差し支えない」


「——私の言う『被害者意識のコントロール』とは、『異次元の少子化対策の受益者達』に向くであろう怒りや憎しみをだ。それができれば彼らに大衆の怒りや憎しみが一極集中する事は無い。要は怒りと憎しみのである。またはリスク・ヘッジとでも言おうか。こうした事は『極右』にしかできないものなのだ」


「——何しろやらんとする事が〝民族感情を煽る〟という行為なのだからな、『左翼・左派・リベラル勢力』には間違ってもできない行為だ」


「——しかし『なぜ民族感情が出てくるのか? カネを特定世帯にバラまく事を決めたのは政府ではないか』、といったような事を『左翼・左派・リベラル勢力』は言い出すに違いない。つまり『政府の方へ怒りと憎しみをぶつけるべきではないか』というわけだ。しかしいくら日本政府が天の時を逸した無能集団と言えど、『このまま日本人が減り続けるのはマズイ』と考え始めた者達ではある。この一点だけは動かし難い。それを悪魔化してどうするか! というのが『左』の奴らに贈ってやる言葉だ。どうせアイツらは文句を言うだけで打開策や改善策すら世に示せない〝より無能集団〟なのだ。〝より無能〟の言う事に従う者があるか!」


「——ではどうやったら民族感情を煽る〟事ができるのか、そのやり方についてだが、これについては日本人の中に少なからず勘違いしている者がいるようだ。あらかじめハッキリと言っておいてやるが『我々は優秀民族である。奴らは劣等民族である』では民族感情など煽れないぞ。これはオーソドックスな手法ではない。もし『これで煽れる』と考えている者がいたなら、その人間にはこう言ってあげよう。『あなたはを受けすぎていますね』と」


「——諸君っ、この現代日本社会を見給え! 生活に困窮する者がいる一方で裕福な者がいるではないか! 誰の目にも紛う事なき格差社会だっ! 裕福な者は結婚ができ子どもができ、そしてできるだけでは終わらない。子どもの教育にカネをかけることができる。かけた費用の分だけ有名大学へ入る確率も高かろう。だが困窮している者も、裕福な者も、民族的には同じ『日本民族』であったりするのだ」


「——さぁてそうなるといくら一生懸命に『民族』という言葉を持ち出そうとこの一集団に〝仲間意識〟など生まれようも無い。『優秀』などとということばでは大衆をまとめ上げることなど到底不可能だ。『あいつは金持ち、俺は貧乏』、こうした立ち位置にいる者が『我々は優秀民族だ』などと言われても〝見え透いた世辞〟を言われたようにしか思えない。要は白けるばかりなのだ。かつてこうした人間の感情にまんまとつけ込む事に成功したのが本物の左翼、いわゆるマルクス主義者であった」


「——それにだ、『奴らは劣等民族だ』などとということばで『反日・排日の異民族』を攻撃しても昨今は奴らの方が裕福だったりするからな、だから日本に観光旅行になど来る、しかも日本に住んで大衆的日本人以上に裕福な生活をしている『反日・排日の異民族』すら存在している。この状態で『我々は優秀民族である。奴らは劣等民族である』などと声高に叫んでも、真性左翼の方に勝利のお膳立てをしてやるようなものだ」


「——今のは『日本民族』でも生活に困窮する者の視点で言ったわけだが、では同じ『日本民族』でもそれと真逆の立場に立つ者、裕福な者が民族主義の信奉者になるか? といえばそうではない。そういう者はたいていの場合『』と曰う。民族主義とは〝集団の力〟であるが、裕福な者は成功を〝己個人の能力〝に求めるものなのだ。そうした人間は困窮する人間を見ても『おまえの能力が足りない』か、せいぜい『おまえの努力が足りない』くらいの事は平然と言い放つ。もちろんそんな上から目線の説教で人間が動く筈も無く、かくして反感と憎悪とが社会を支配するようになる。これが人間の本質なのだ」


「——資本主義を究極に追い求める利益第一主義の政策を採っていれば人間の立場は二極化する。二極化した社会の団結力などこうもなる。これでいかに『我々は優秀民族である。奴らは劣等民族である』という民族主義の煽り方に効果が無いかが解ったろう」


「——もちろん格差社会はこの日本のみならず世界中のあらゆる国々おいても同様のため、いかなる民族であろうと『我々は優秀民族である。奴らは劣等民族である』というやり方で大衆を結束させるのは不可能だ。つい今し方、私は『ユダヤ人』の話しをしたわけだが、こうした現代では『ユダヤ人』の団結力すら昔ほどにあるのかどうかは怪しいものだ」


「——『ユダヤ教』の説く『我々は神に選ばれた選民だ』というのは一見『我々は優秀民族である』という言い方に限りなく近く見える。しかしこういう言い方は〝皆が等しく苦難している時〟なら互いを励ますことばとなる。だがこの現代は既に『キリスト教』という価値観が社会を支配する中世世界とはほど遠く、したがってキリスト教徒たちが宗教を理由にかつてと同様の攻撃をユダヤ人たちに加える事はもはや無い。これはむろん〝進歩〟と言っていいわけだが、皮肉な事にこうした時代の進歩によって同じユダヤ人でも皆が等しく同じような苦難をしているわけではないという現実が出来上がった。上級ユダヤ人はきっと嫌な顔をするだろうが、苦難している者と苦難していない者に既に分断されている」


「——現に同じユダヤ人でもアメリカの裕福なユダヤ人と、イスラエルが入植要員としてロシアから勧誘し連れてきたユダヤ人とを比べて〝皆が等しく苦難している〟とはとてもとても言えない。下の方から見上げたら同じユダヤ人だろうと『仲間とも思えない』のではないか。少なくとも私のような外野から見れば同じ民族の中に富裕層と貧民がいるとしか見えない。そして富裕層と貧民は仲良く手など取り合わないもので、これは万国世界どの人民・どの民族についても当てはまる。いかにこれを〝不快〟に思う者がいようと現実は現実なのだ」


「——しかしここで『我々は被害民族だ』と言ったらどうなるだろうか? このような状況下でもたちどころにのだ。富裕していようと貧民だろうと〝ナチスを許すユダヤ人〟はいないだろう? そういう事だ」


「——また『我々は被害民族だ』という言い方には〝別の効果〟もある。それが他国に対する訴求力だ。仲間内で『我々は神に選ばれた選民だ』、と言ってみてもそれが通じるのは限られた仲間内だけだ。現実、こうした価値観では〝関係無い他者〟に対する訴求力は全く無い。こんな『理屈』で入植地を拡大してみてもユダヤ人以外のどの民族も共感などしない。そこで必然行き着く先は『我々は被害民族だ』になるしかないというわけだ。彼らユダヤ人は『ナチス』を事あるごとに持ち出しているのは、この現代社会に於いては『我々は被害民族だ』とアピールしておく方が『我々は神に選ばれた選民だ』よりも他民族に対する訴求力が高く、同時に民族的結束のために高い効果を生むからなのだ」


(ひええええっ、こう来るの⁈)と恐れおののくかたな(刀)。


「——現にアメリカのユダヤ人団体が実際そのような活動をしている。これは我々『日本民族』にはお馴染みじゃないかね? なにしろ我々はこの身で体験している体験者だ。体験者の証言は重いものだ。『ナチス=大日本帝国』という虚偽の価値観の下、再三再四、海の向こうのあの連中から攻撃されてきたのが我々だ。これに日本の上級国民どもが〝へえこら〟頭を下げ続けるので益々我々日本民族が『ナチスと全く同じ価値観を持っていた』事にされている」


「——我々『日本民族』としてはナチスドイツとで『ナチス=日本』という印象をアメリカ国籍のユダヤ人達によって世界中にバラ撒かれている。ユダヤ人を救った日本人がいるのに〝〟にされてしまい『日本の中にも良い日本人がいた』という扱いだ。我々があの連中から『ドイツは過去を謝って反省しているのに日本はしていない』などと何度言われ攻撃されてきたことか。その度に我々が一生懸命に上げた国家のイメージは地に落とされるのである。こういうものはイジメそのものでやられた方は永遠に覚えている。ユダヤ人を救っても日本人を集団的にナチス呼ばわりとはな。今さら散々やってきた事をとぼけて無いことにしようとしてもそうはいかない」



「————これが『我々日本民族は被害民族だ』という民族感情の煽り方だ」と一拍の間の後に仏暁は言った。


(これってってことなの?)とかたな(刀)。


「——ただこうして〝ユダヤ人についてだけ〟語っていると、またぞろのお馴染みの、『日本民族』に対する理不尽な攻撃がやって来る事だろう。私はアメリカ人などそういうものだと思い込んでいるからな。それに対するリカバリーは考えておく必要はあるのだ。しかし『我々は被害民族だ』と主張するやり方はなにもユダヤ人の専売特許ではなく、言わば普遍的な民族感情の煽り方なのだ」


「——実はナチス党の民族感情の煽り方も『我々は被害民族だ』である」


(え? そうなの?)とかたな(刀)は思う。


「——これが案外と知られておらず、ナチス連中は『我々は優秀民族である。奴らは劣等民族である』としか言っていないように思われている。だが初期は紛うこと無く『我々は被害民族だ』であったのだ」


「——ナチス版の『我々は被害民族だ』を『背後からの一撃』論という。『第一次大戦でドイツ帝国が敗けたのは国の中に裏切り者がいたからだ』、というのが『背後からの一撃』論の中身である。ドイツ国内のユダヤ人、即ち『ユダヤ系ドイツ人』という事になるが、彼らが国家を裏切った〝裏切り者〟として指定されてしまった」


「——これは明らかに『富裕層攻撃』であった。第一次大戦敗戦後、ドイツ中が貧しくなる中、ユダヤ人商人が大儲けしているという状態を、『最初からこの状態となる事を望み、計画し実行した者達がいた』事にした。『ユダヤ陰謀論』のドイツ版というわけだ。こうした発想自体はナチスのオリジナルとは言い難いがナチス党はこれを最大限喧伝し、そしてドイツ人の聴衆にバカ受けした。要するに『我々ドイツ民族は被害民族だ』というわけだ」


「——第一次大戦後のドイツに於いては敗戦という結果が隔絶した格差社会を造り出したわけであるが、戦争も無いのに積極的に〝政策をもって格差を造り出す事〟がいかに狂気の沙汰であるか、富裕層連中とそれに与同する者どもはどれほど理解しているのだろうか? 貧富の差が隔絶する格差社会においては富裕層はたとえ『真っ当な商売をしている』と自分で信じ込んでいようと大衆がそのように扱わなくなってくるのだ」


「——ただし当たり前と言えば当たり前だが当時ドイツ帝国の中にいたユダヤ人という民族の全てが富裕していたわけではないし、ナチス版の『我々は被害民族だ』には含まれている事は指摘しておかねばならないだろう」


「——『フリッツ・ハーバー』というユダヤ系ドイツ人がいた。空気中の窒素からアンモニアを合成し、人工肥料の大量生産を可能とする『ハーバー・ボッシュ法』の開発者の一人で1918年にはノーベル化学賞を受賞した事で名が残っている。が、第一次大戦時、彼の祖国ドイツ帝国を勝利に導くため毒ガス開発に積極的に携わり、事実画期的成果も上げてしまった事でも知られている。例えば『イペリット』だ。その結果『毒ガスの父』というあまりありがたくないニックネームも残ってしまった。つまり『背後からの一撃』論にユダヤ系ドイツ人は現実にいたのである」


「——これは『我々は被害民族だ』と主張するやり方が〝普遍的な民族感情の煽り方〟であるのと同時に、それに事の証明である」


「——第二次大戦の中の『日米戦争』に〝勧善懲悪〟という陳腐な価値観を持ち込んだのはアメリカ合衆国を中心とする連合国だが、これに『我々は被害民族だ』という伝統的価値観、即ち〝普遍的な民族感情の煽り方〟を接着させて使っている異民族が今なお存在している現実を直視しなければならない。韓国人がそうだ。北朝鮮人がそうだ。中国人がそうだ。近頃はロシア人までそうだ。アメリカ人の中にこうした偏執的民族運動に荷担する者もいる。こうしたハイブリット型の価値観に於いては、加害民族は『日本民族』とあらかじめ定義されてしまうのだ。しかもナチスの『背後からの一撃』論同様、明らかな虚偽さえこの異民族どもは捏造する」


「——現に『韓国人の少女20万人が日本軍によって誘拐され、誘拐された韓国人少女のほとんどは強制収容所で死亡した』と韓国人達が世界中に吹聴し、それをリベラル系の思想のアメリカ人が信じ込んでいる。アメリカ各地に建つ慰安婦像や慰安婦記念碑がその何よりの物的証拠である。我々『日本民族』は海外から理不尽な攻撃を今なお受け続けている。その中心地がなぜか『同盟国』になっている。『日本民族』を公然と民族差別する人間どもに処罰も加えない韓国やアメリカが同盟国とはふざけている。同盟国とは信頼できる国の事を言うのであって、信頼できない国を同盟国とは呼ばない。もちろんこうした同盟国の裏切りに対し日本国内の『左翼・左派・リベラル勢力』は何もせず、むしろ攻撃側の外国人どもに荷担し、〝日本民族イジメの側〟を『人権を何よりも重んずる人々』として賞賛し美化しているのだ。私は現実に起こっている事実を言っているだけだぞ」


「——この外国の異民族の奴らはどいつもこいつも『日本ほど極悪な戦争犯罪国家はない』と曰う。しかも各々の社会を支配し統率している者ほどこうした価値観を大事に大事に守ろうとし、僅かでも傷がつくことを許さない。そのための常套句が『歴史修正主義』なのだ」


「——連中の価値観は『日本人は永久に歴史で謝罪し反省し続けろ』で凝り固まっている。これまで奴らは国連、アメリカを舞台に種々の国際的排日キャンペーンを繰り返してきたし、今後も繰り返し続けるだろう。こうした『反日・排日の異民族』は『日本民族』が生きにくい社会の維持を心の底から切望しているのだ。『日本人が減れば奴らが喜ぶ。そんな奴らを喜ばせていいのか!』と我々が憎悪と怒りの矛先を当該外国人どもに向けたってそれは自然な流れじゃないかね? これで『異次元の少子化対策の受益者達』に向くであろう怒りや憎しみを減殺できるのならこれほど合理的な方策もない。『日本民族』を理不尽に攻撃し続けて来る外国人ども、コイツらならどう扱ったっていいじゃないか」


「——ところが肝心の為政者どもには『異次元の少子化対策の受益者達に大衆の憎悪が向く』という発想がまるで思い浮かばない阿呆である。阿呆故『これはお前たちの政策の援護射撃だ』という事も理解できず却って我々の方を弾圧にかかるのかもしれない」


「——我々の国の上級国民どもにはノブレス・オブリッジという資質に決定的に欠けていて、我々日本の大衆を守らない。過去の歴史を絡めた異民族の理不尽な要求を『正しい要求だ』という事にして『仰せごもっとも』と服従し、妥協点のみを模索し、理不尽な要求に際限なく譲歩し続けてきた。社会の支配階級である上級国民どもがそうした態度であるため我々のような下々の者も隠忍自重を強いられ、日本の過去について反省を謝罪とを喋るほかなかったのだ」


 ここで仏曉のニヤリ顔がでた。


「——しかしだ、この日本の中に、日本の過去について、が現れ始めている。言っておくがこれは私の事じゃないぞ」仏曉がそう言うと場内の誰もが狐につままれたような表情に。

「——つまりこれは〝思想的な話し〟ではない。即ち『右』的価値観に基づき言っているのではない。この日本国の中にいつの間にか二種類の日本人が住むようになっていたのだ」


(なにかこう、とっても〝不穏〟な臭いがする……)かたな(刀)は身体を強ばらせる。なにせ『』の話しを聞いてしまったすぐ後なのである————

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