第三百四十五話【『子育て罰』論】

(わたしのところにはたぶん、『異次元の少子化対策』の恩恵なんてもんは来ないだろう……)かたな(刀)は思った。思うしかなかった。(——わたしには人を楽しくさせるコミュ力が無いから……)と。


 しかしかたな(刀)の〝そんな思い〟とは無関係に仏暁の話しはどんどんと進んでいく。

「『異次元の少子化対策』、この政策の欠陥は〝幸福な人をみんなの力でさらに幸福にしてあげよう〟という趣旨そのものにある」


「—— 一般論として若夫婦は幸せそうに見えないかね? 『自分達の時代にはそんなお金をみんなからは受け取ってなどいない。なんの支援も無かった。なのに今幸福な人たちだけにはお金をあげるのか』という他世代が抱くであろう〝被害者意識〟を欠片ほども想定せず無い事にし、全ての日本人にこれを受忍する聖人君子性を求めている。そういう意味でこの政策はとしか言いようがない」


(なんて皮肉、)とかたな(刀)。


「——もちろん、『日本人の中に自分とは直接関係ない他者の幸せを心から願える聖人君子が一人もいない』、とは言わない。しかしそうした人格を〝全ての日本人〟に求めるものかね? 率直に言ってこの人間社会が聖人君子ばかりで構成されていると、どうして思えるものか。ならばイジメ問題などとっくに無くなっている筈じゃないのかね? いったいどこまで日本を美化できるのか」


「——試しに現代日本人の人格程度を量るため、個人がアカウント主と思われるSNSを、その〝つぶやき〟を数週間分でいいからざっと眺めてみたらいい。主が非公開状態にしていなければ部外者も普通に見られる。そのテーマはなんでもいい。『政治』限らず『趣味的』テーマでも同じ事だ。つぶやいている人間のがそこからは必然透けて見えるわけだが、他者に対する〝攻撃性〟を隠そうともせず露わにしているケースは別に珍しくもない。そこから見えるものは『我こそは絶対正義だ』という価値観と、己と異なる意見・主張に対する非寛容、即ち攻撃性である」


「——私などがSNSを始めると、そのあまたある中の一人としてそういった列に加わるという醜悪な事になるから、私はSNSなどやらん事にしている」と仏曉はおどけたようなポーズをとってみせた。場内から苦笑が漏れる。

(これはどんな自虐ギャグ?)とかたな(刀)も思う。


「——『SNS』というシステムのは人間の本性を他の人間達に対し〝可視化して見せている〟という所にある。ここがミソだ。人間集団に聖人性がある事を前提とした政策など成り立たない事は『SNS』によってとっくに証明されているのだ」


「——さっき『若夫婦』の話しをした。これで思考シミュレーションをしてみよう。想像してみ給え。ここに若夫婦がいる。その間に小さな子ども。子どもの姿は無くとも若い妻のお腹はふくらんでいる。実に微笑ましい。正に絵に描いたような幸福そのものだ」


「——こうした幸福な人々を妬み嫉み恨めしく思うどす黒い感情というものは人間の中には厳然として存在するのだ。だがその一方でSNS上ではない実社会という場では〝一般常識〟も働き、そうした感情を露わにして表現するという人間の方が少数である。しかし少数であろうとこの現代、〝〟という事態は認識しておかねばならない。現に多少混み合った場所へとベビーカーを押していけば舌打ちされるといったパターンが起きているんじゃあなかったかな? その手の〝報道〟を何度も見た記憶があるぞ」


「——当然SNS時代ゆえ、こうした〝情報〟発信される。〝被害者意識〟は発信するという行為の動機である。こうした発信がアカウント主のストレス解消にもなるのだろうが、それが必要以上に拡大広報されるのもSNSだ。発信者もそれを理解し、ある意味期待して発信しているのは間違いない。発信者からしたら『ベビーカーに舌打ちした悪魔のような人間に社会的制裁を!』という思いなのだろう。しかしだ、それを行っても賛意と同時に反意も必要以上に広まっていくのだ」


「——反意を持つ者からしたら〝幸福なくせに!〟といったところになるだろうか。〝幸福な者に配慮するのが当然だ〟と理不尽な事を言われたような気がしてしまうのだ。つまりこちらの方も〝被害者意識〟である。かくしてベビーカー程度の話題でさえ〝対立〟を造りだしてしまい、益々世の中の空気は陰惨なものとなっている」


「——すると今度は『ベビーカーに舌打ちした悪魔のような人間に社会的制裁を!』に賛意を示した者達がまた新たな〝別種の被害者意識〟を持つ事になる。こうした風潮を指して『子育て罰』なる造語が一定層の中で市民権を得ているようだ。しかし私は先ほど『子育て罰』なる造語を〝〟と言い切った。というのもこの語彙を使い、被害者ポジションに立とうとする方もまた人間性が壊れているからだ。もはやこの日本にはもはやマトモな人間がいないかのようである。まして聖人君子をや、だ」


「——政府は『異次元の少子化対策』を実行するに当たり、カネをどこからか捻出しなければならないのは当然の如く理解している。その下準備として行ったと考えられる財源確保の方法、この方法を攻撃するためにも『子育て罰』なる造語が使われた」


「——だが私は連中の言いっぷりに正直違和感を覚えた」


「——極めて〝おおやけ〟の視点に立とう。真に『少子化問題』を解決しようと思ったならば、誰であろうと実子を持ち、子育てしてくれなければこの問題は決して解決しない。『カネが無いから』、『子育てにはカネがかかるから』と、昭和二十年代に誰も彼もが子どもを産み育てようとせずベビーブームが無かったとしたら、明らかに昭和四十年代にはマンパワー不足となり『高度経済成長』なるものは僅か数年程度続いただけだったろう。『世界第二位の経済大国日本』は極短期の栄光で終わり、結果的に『中度経済成長』レベルでしかなかったという認識が常識となった事だろう。この程度の分析くらいはまともな教養と論理構成力を持ち合わせていれば誰にでもできる筈だ」


「——つまり収入の低い者達にこそ生んで育ててもらわねば少子化問題など解決しないのだ。その収入の低い者達が出産育児を『無理だ』と考える原因が格差問題にあるのは間違いない。この格差を少しでも緩和しなければ日本は人口増へは向かわないのは明白だ。すると『年収の多い者にはそれなりに負担をしてもらわなければ』、というのは当然出てくる発想ではないかね? 私は政府の人間ではないから実情は解らないが政府は2022年10月に児童手当のを強化した。この政策には合理性があると言えた」


「——だがこの時からは『子育て罰だ』との声が挙がったのである」


「——問題なのは政府与党がこの〝〟に怯えたのか、急な方針転換を画策し始めた事である。『児童手当のするべきと考える』と与党幹事長が突然言い出した。正に朝令暮改だ」


「——そこでまず『児童手当』という、該当世帯以外にはあまりなじみの無い制度の中身について触れておく必要がある。ただし、制度だが」仏曉はそう言うと例によってファイルを繰っていく。


「——『児童手当』とは子育てをする世帯に現金給付をする社会保障制度である。中学生以下の子を育てている世帯が対象となり、0歳から2歳は一律月に1万5千円。3歳から中学生は同様に月に1万円を給付する。ただし、第3子以降については3歳から小学生の間に限り月に1万5000円に増えるとの事だ」


「——ただし所得制限というものがあった。扶養家族3人のケースでは年収およそ960万円以上は『特例給付』となり、子ども1人につき一律に5000円となる。先ほど触れたばかりの『2022年10月に児童手当の所得制限の強化』方針では年収およそ1200万円以上はその特例給付を対象外とした。年収1200万円以上だぞ! 給付など切られて当然とは思わないかね⁉ 私は断言してやるが、これに文句を言う奴への大衆の反応は『てやんでぇ、なに言ってやがる!』になるしかない」


 ここで場内一斉の大拍手。


「——ところがだ、この措置に対し『給付が切られる子が、中学生以下の子全体の約4%にあたる』などと抜かし、明らかな反意を示す者どもが現にいるのだ。与党幹事長はこのの利害関係者に配慮を示したのである」


「——こうした〝反意勢力〟に迎合する政治家は何も国政レベルだけではない。地方自治体にも現れている。例えば東京都は『18歳以下の子どもへの月額5000円給付』を〝所得制限無し〟で行うそうだが、都知事の言うことが社会を舐めているじゃないか。『一生懸命働いて税金を納めて、そういう方々が給付の対象にはならないとあたかも何か罰を受けてるような』などと『子育て罰』論を堂々開陳して見せたのである。あたかも収入の低い者達が一生懸命に働いていないような言いっぷりじゃないか。どうだ、人間の心を壊す邪悪な『改革』の結果、現代日本人は酷薄になったと言った私の言は当たっているだろう!」仏曉、吠える! 再び拍手が鳴り響く。


「——さて諸君、諸君は〝新聞記者〟についてどういうイメージを持っているだろうか? 『権力を監視する弱者の味方』、こういうイメージを持っているとしたら大間違いだ。『自分達に記事を書いている』と言っても過言ではない。これは『新聞を売って利益をあげないと新聞記者だって生活できない』という生活者的意味で言っているのではない。自分達へのに記事を書いているようにしか見えないのだ」


「——私はこうして演説などぶっているが、当然私が現地調査を実施しネタを集めた筈もなく、かなりの情報は『報道』からだ。だが受ける側の解釈が、発信した側の解釈とは違ってくる事は珍しくない。今の話しもそうだ。『年収1200万円以上の世帯の児童手当を切るとは許せない!』という主張の存在、その元ネタはとある全国紙の新聞記事からで、記事を書いた者は肩書きから察するに新聞社の中でも上級職の方の者だろう。私はこう思ったぞ。『なんだ、年収1200万円以上の世帯とはお前自身の事ではないか』、と率直にな。その新聞が堂々と何と書いたと思う? 『「子育て罰」をなくすには〝所得制限撤廃〟も』と小見出しを掲げていたのだ。大衆はこういう奴に対しどう思う事であろうな?」


「——これが母子家庭だとかいう話しなら、手厚くしても一種の〝同情票〟で社会の理解は拡がり易いだろう。だがさてさて、年収が1200万円以上あると思われる新聞記者サンが言うのはそうではないのだ。『年収1200万円以上でも同じように給付しろ』なのだ。いったいどこまで大衆感覚があるのだろうな?」


「——しかし政治家はこの厚かましい要求に応えてみせたのである。こうやって新聞記者が堂々とカネの話しをし、現実に利益を手にしているとなると私も平然とカネの話しをしてもいいような気になってくる」


「——私はこの政策が〝何の受益も無かった世代〟との世代間分断を招く可能性が極めて濃厚である旨指摘したのであるが、本来受益世代と考えられる世代の中においてさえこの政策によって新たな分断を招く、と考えている。とそういう流れに自然となっていくのだ」


「——そもそも〝子どもがいる〟という事はその大前提として。結婚が最低限のスタート地点なのだ。しかしだ、この現代、ほとんど全員が結婚できたような昭和時代とはとっくに時代状況が違っているのだぞ。収入の低いはそもそもスタートラインに立つ事が困難だ」


「——私は断言する。『異次元の少子化対策』、即ちこの現代日本で子どもを持つ世帯のみを優遇するこの政策は100%失敗する!」仏曉は微塵の躊躇ちゅうちょも無さそうに断言してみせた。

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