第三百四十一話【少子化対策の『天の時』】

 仏暁は続ける。

「——私は大所高所から〝ご高説〟を述べるつもりは無いが、どうしても必然的に大所高所からの視点でモノを言う事になるテーマというものがある。何しろこれより日本という国の人口の問題、表現を変えると『』について語ろうというのだからな。しかし私は思うのだが『民族感情』が希薄な人間集団がこの難題を克服できるものだろうか? 私は今の日本について言っている」


「——もはやかくの如き時代となっては、ただカネを集中投資しさえすれば事は成就するとはとてもいかない。この際だからハッキリと言っておく。政府が主導する『異次元の少子化対策』、。カネでなんとかなると考えているだけだからだ。『お金をあげるから子どもを産んで育ててくれ』、これだけで上手くいくわけがない」


「——確かに政策を実行するに当たりカネは必要だろう。だが今や必要なのはカネだけではない、民族感情なのだ。これを欠く少子化対策など、国民の中に不満と憤懣ふんまんを高める不公平感しかもたらさない。この政府のやり口では大衆の負担のみが増大し新生児の数は増えず、特定の年齢層に属する世代のみが受益者となる。結果的にこの政策は日本国民の中に対立と分断と憎悪とを生み出すオチとなるだろう。もはや時代に合った政策ではないのだ」


「——個人的成功が成就するために必要なものは人間個々人の努力と研鑽けんさんであり自己の決心次第だが、これとまったく対照的なのが集団的成功の成就である。少子化問題の克服が正にこれに当たる。これを〝成就させる〟となるとそうそう一筋縄ではいかない。『子育て世代を社会のみんなで支えましょう』などという美しくも空々しいことばでは無関係世代の大衆の神経を逆なでするだけなのである」


「——なぜ『失敗する』と簡単に断定できるのか? それは『天の時、地の利、人の和』という集団的成功を得るための三条件のうち、条件を満たしていないものがうち二つもあるからだ。これは少々極右らしからぬ出典だが、このことばは『孟子もうし』からだ。現代風に言い換えると『時期・地勢条件・結束力』が集団的成功の三条件となるだろうか」


「——ただ『孟子』は〝性善説〟に基づく道徳論・修養論を展開しているため個人的には肌に合わない。さっき触れたばかりの『天の時、地の利、人の和』にしても、それらの重要度に差異をつけており、『人の和』を最上の価値とし、次いで『地の利』、一番格下にされてしまっているのが『天の時』である。だが私の考えは少し違っていて、この三条件の価値は等価であると考えている」


「——そこで『異次元の少子化対策』に『天の時、地の利、人の和』の三条件を照らし合わせ、この政策の成功の可能性がを考察していこうと思う」


「——まず『天の時』は完全にその時機を逸している。少子化問題という視点から見た日本の『天の時』は今から四半世紀ほども前の頃である。西暦で言うと2000年から2005年の頃だ。もしこの時期に『異次元の少子化対策』という政策を実施していたなら、あるいは『民族感情』抜きにカネだけでどうにかなったのかもしれない」


「——その理屈は実に簡単だ。『第二次ベビーブーム世代』、またの名を『団塊ジュニア世代』が二十代後半から三十代前半だったのがこの頃なのだ。あれは2023年だったか、『異次元の少子化対策』とやらで首相が国民を説得するべく記者会見を開きいろいろ喋っていたが、奇しくもあの折首相自ら認めていたではないか。この時点での出生数は『第二次ベビーブーム世代の4割ほどしかない』のだと。人口問題を考える時問題なのは『出生』ではなく『出生』なのだという事を政治家は今ごろになって気づいたようだが、もう少子化問題克服の最後のチャンスなど四半世紀も前に過ぎ去った後なのだとは気づきたくないらしい」


「——出産適齢期の女性の絶対数が四半世紀前に比べ格段に減っているというのに、今さらの対策がいったいどれほど役に立つというのか? 2000年から2005年の頃政治やマスコミは『規制緩和・構造改革・自由化』と、『改革』を絶叫し、ネオ・リベラルこそが正義であるという空気を造り出した。そして当時〝結婚出産適齢期〟を迎えていた『第二次ベビーブーム世代・団塊ジュニア世代』を大量に非正規雇用という奈落の底に投げ込んだのである。ろくな収入も得られずしかも安定とはほど遠い生活にだ! これで結婚できると思う方がどうにかしている。これ全て与党政治家の無為無策とそうした歪んだ『改革』を非難しなかったメディアに原因がある。むしろメディアは改革原理主義勢力であった。あの無能集団どもが未だに権力の座に居座っているかと思うとまったく反吐が出る!」

 仏暁が言い切ると場内から一斉に拍手が涌いた。


「——この2000年から2005年というに日本のためにやるべきだったのはアメリカから要求されたくだらない『改革』などではなく『異次元の少子化対策』だったのだ! まったくこれは数学的に自明の理であった」


「——また2000年から2005年という時間こそが『天の時』だったという事は数学的思考に拠らずとも明らかであった。子どもというのは当然親から多大な影響を受けるもので、いわゆる『団塊ジュニア世代』と呼ばれる世代はその名が示す通り彼らの親世代である『団塊の世代』の影響をかなり強く受けている。即ち〝〟という価値観がまだまだ幅をきかせていた世代が結婚出産の適齢期だったのだ。この時代だったなら『異次元の少子化対策』が成功する確率がこの現在地より格段に高かったのは間違いない。この頃はまだ『子育て罰』とかいうイカれた造語も無かったしな」


「——この後2008年には『リーマンショック』が起こり、『非正規雇用を広く認め緩和するという政策』は完全に裏目と出た。平時でさえ不安定な非正規雇用の者達は次々雇い止められ路頭に迷った。『自己責任』の名の下に!」


「——今となってはの後知恵だが2008年の『リーマンショック』を知っている身では、こそが『天の時』だったという思いを益々強くする。2005年には1970年生まれは35歳、1975年生まれは30歳、これくらいならまだ望みはあったろう。そこから三年後には38歳から33歳、ここいらでそろそろ上の方が限界か。しかし非正規雇用者を増やし続けた後の経済危機によってその最後の望みも断たれたのである。『天の時』はもう終わっているのだ」

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