第三百四十話【『民族』と『人種』の違い】

「『日本民族』などと言うと、確実に以下のような〝反論〟が戻ってくる事であろう——」


「——即ち『日本人とは縄文人・弥生人・渡来人の混血種で、日本民族などという民族はいない』、と」


(でもそれが解ってて『日本民族』なんて言ったのよね?)とかたな(刀)。


「——しかしそうした言い草は所詮は中途半端な理系教養に過ぎない。ま、私は教育学部出身であるが、」そう仏暁が口にすると場内から苦笑いが漏れる。


「——『日本人とは縄文人・弥生人・渡来人の混血種』というのは、間違いなくDNAをベースとした主張である。さっそく結論から言おう。〝遺伝子レベル〟で考えるのならそれは『人種』について語っているという事に他ならない。しかし私は『日本』と言っている。『民族』について語っているのだ」


「——『人種』は〝遺伝子〟でできている。この地球上の人間は三種類の人種に大別される、とされている。それは黄色人種・白色人種・黒色人種である。しかし私はこれらに加えもう一種類の人種がいると考えている。顔の造りは白色人種のように彫りが深く肌の色は黄色と黒色の中間で。具体的にはインド系ないし中東系といった人々だ。だから個人的にはこの地球上には大まかに言って四種類の人種がいるという事になる。各々の遺伝的特性がハッキリと外見に影響を与えているのだ」


「——これと比べると『民族』の方の数は格段に多くなる。つまり外見上酷似こくじしているのに〝別種の民族〟という事が起こるのだ。では『民族』は何からできているのか? それは〝共同体の集団記憶〟である」


「——具体例で考えると解りやすい。『ユダヤ人』と呼ばれる民族がいる。ユダヤ人の定義は〝ユダヤ教を信仰する人々〟とするのが模範解答である。しかしこの宗教は、例えばキリスト教に代表されるような〝もっと世に教義を広めよう〟といった布教活動はしない。代々当該一族内でその教えを受け継ぎ、信仰を続けるのみである」


「——というのもユダヤ教は『ユダヤ人自身を〝神の選民〟と自覚する』、という教義であるからこれを際限なく布教し広めると〝選ばれし人間の筈なのにそれが際限なく増えていく〟というおかしな事態になるのだ。よって教義を広める理屈が最初から無い。そういう意味で『ユダヤ教』とはこの現代における一般認識としての〝宗教〟とは趣を異にする。〝一族の信仰〟という意味があるのだ」


「——したがって仮に、この現代における一般認識としての〝宗教〟を前提として『ユダヤ人などという民族は存在しない』と公に言ったなら、どこからか抗議が来ることになるだろう」


「——では『ユダヤ人』という民族はどのようにして誕生したのか?」

 そう言ったところで仏暁は手元に視線を落としファイルを繰る。

「——古の昔、『イスラエル王国』という国家があった。この国が南北に分裂しそれぞれが攻め滅ぼされた後、いわゆる『バビロンの捕囚』を解かれ故地へと帰ったイスラエル王国の流れを汲む人々がエルサレムに神殿を再建した。が、後にローマ帝国により滅ぼされてしまった。以来世界各地にこれらの人々が離散し〝流浪の民〟となった」


「——流浪の期間は長かった。普通ならこの長きに渡る流浪の期間に、各地に散った人々も固有の民族性を失い〝いつの間にか消えた民族〟となるのが定番だが『ユダヤ人』という民族には『ユダヤ教』という宗教があった。この彼らの土着の宗教が接着剤の役割を果たし、居住地域が各々バラバラになってもその民族性が維持できたのだ。したがって『ユダヤ人』にとっての『ユダヤ教』というのは宗教の体をしていながら宗教以上の存在なのである。かくして2000年ほども迫害をされながら流浪し続けた後、1948年にイスラエル国という国家を建国し〝流浪の民〟状態に終止符が打たれた。これが『ユダヤ人』という民族の辿ってきた道である」

 ここで仏暁は顔を上げる。

「——私がなぜ余所の民族の歴史になど言及したのか? 『これのどこに遺伝子的要素やDNA的要素がある? ここにあるのは〝共同体の集団記憶〟のみである』、と言うためだ」


「——だが『〝ユダヤ人〟と呼ばれる民族には何かしらの遺伝子的特徴があるに違いない』、と考えた者たちがいた。それがナチスドイツの連中だ」


(ここで『ナチス』が来るのか、)とかたな(刀)。


「——連中は『ドイツ民族』と『ユダヤ民族』の違いを科学的に証明しようと試み、その持てる科学力の全てを注ぎ込んだ。その過程において決して少なくない数のユダヤ人が犠牲になったとの事だが、そんな〝科学的証明〟は遂に成立しなかったというオチがついた」


「——そりゃそうだ。我々から見たらドイツ系ユダヤ人と一般的なドイツ人が並んでいても、。同じようにヨーロッパの連中から見たら日本人と中国人と朝鮮人が並んで立っていても黄色人種にしか見えず区別がつかないのと同じである」


「——『民族』を遺伝子で語ろうとする者達は思考がナチス的になっているという自覚を持った方がいい。だから『日本人とは縄文人・弥生人・渡来人の混血種で、日本民族などという民族はいない』という言い方は間違いである。『日本人とは縄文人、弥生人、渡来人の混血種でなどというはいない』ならば正確な表現となる」


「——だが『民族』と『人種』の違いがろくについていないと思われる者は割と多い。『故意に混同しているのでは?』と疑念を抱くほどだ。例えば『沖縄〝先住民族〟に関する国連勧告』なるものがある。その中身は『沖縄の人々を〝先住民族〟と認め、権利や伝統文化、言語を保障するよう求める』という勧告だ。最近はどうなっているのか、ともかく2008年から2018年にかけ、国連の『自由権規約委員会』と『人種差別撤廃委員会』がこの間5回に渡り日本向けにこんなものを出していたという事実がある。これに対し日本政府は『日本にはアイヌ民族以外に少数民族はおらず、沖縄の人々は日本民族で人種差別撤廃条約の適用対象にならない』と否定している」


「——『沖縄〝先住民族〟に関する国連勧告』については若干腹立たしいものの、この勧告自体には興味深い点がいくつかある。『沖縄の人々は先住民族』だとしながら遺伝子的説明が一切無く、一般的日本人との差異の根拠は『言語・伝統文化』にしかないのだ。これは『アイヌ民族』についても言える事で、やはり一般的日本人とどう違うのか遺伝子的説明が無いのである。つまり『民族』の方は何からできているのかといえばそれはやはり〝共同体の集団記憶〟なのだ」


「——そして私は堂々『日本民族』、と言い切ったわけだが、これは私が思いついたオリジナルの概念などではなく日本政府も言及しているなのである。しかしこれは当たり前と言えば当たり前で、日本人に『民族差別をするな』と要求しながら日本人だけがどの民族でもない、などという事は起こり得ない」


「——またさらには、国連の『人種差別撤廃委員会』は〝人種〟と〝民族〟の区別もつかない愚か者集団だという事である。『先住民族の権利を認めろ』と要求したければ委員会の名前自体を『差別撤廃委員会』と改めるべきである。あるいはどうしても『人種』ということばを委員会の名前から外せないと言うのなら主張内容を『の権利を認めろ』と変えるべきである。しかしその際、差別側・被差別側とする両者の顔色と顔の造りに違いが無かったら阿呆に見えるだけだろうがな!」

 そこまで言うと改めて仏暁は場内を見回した。


「——さて、ここからはなぜ私が『民族』などというある種アナクロニズムのような価値観を今さらながらにこの現代日本に引っ張り出してきたのか、それについて述べようと思う。むろんその答えが『極右と名乗るから』だけであるわけがない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る