第三百三十八話【解除条件付き『ヘイトスピーチ』】

 まだ演説の途上、かたな(刀)のひと言で中断せざるを得なくなったにも関わらず仏暁は落ち着いたもの。

「珍しいですねマドモアゼル遠山、あなたは温和しい女性だと聞いていましたが」と応じた。


 その言葉に僅かにたじろいだかたな(刀)だったが〝思わず出てしまった声〟にはそうしてしまった理由というものがある。ただでさえ『極右団体を造ろう』などという物騒な事を目の前の仏暁は言っているのである。


「ふ、仏暁さん、あなたは『先人の失敗を踏まえて』だとか、そんな話しをしてた筈です。それをヘイトスピーチをやってしまったら、失敗した先人をそのままなぞっているだけじゃないですか」


「ですね、」とあっさり同意する仏暁。


「なら同じ事の繰り返しで、結果がもう見えている事を今さらやる必要は無いんじゃないですか」


「マドモアゼル遠山、あなたに一つ訊きましょう。私は今、何をしていると思いますか?」


「それはもちろん演説でしょう?」


「ではなぜ演説などしていると思いますか?」


「……それは、そうしたいから?……」かたな(刀)は思い出す、自分のダメな〝面接〟を。こんな調子だから就活に失敗、落ち続けたのだと、過去がフラッシュバックする。


「その通りです」

 仏曉のことばがうつむき気味のかたな(刀)の耳に入ってきた。

「え?」

 てっきり、〝その程度の思考しかできませんか?〟的な反応で戻ってくると思っていたから。

 仏曉、そんなかたな(刀)の内心を知ってか知らずか、イレギュラーな話しの展開にも動じる様子も見せず答え始めた。

「そうしたいからやっている。つまり義務感からやっているわけです。『私は正しい』と考えていなければ到底こういう事はできません」


「でも、『私は正しい』と思っていても世間がどう見るか、」


「それはそうでしょう。しかしそのためのこうした演説活動なのですよ、マドモアゼル遠山。自己が正しいと考えた判断が普遍的な意味を持つためには『なぜ正しいのか』を皆に説明し、その判断に従って果たすべき行為〝純粋義務〟を自ら皆に実践して見せ、賛同してもらう過程が必要だということです」


「あれ、それってもしかして『ヘーゲル』……?」


「さすがは有名大卒の才媛ですね」


「いや、そんな事言われても……」

 〝その条件〟で就活に失敗しているためこういう言い方をされると精神にこたえるかたな(刀)である。


「しかし私は敵対勢力とアウフヘーベンするつもりは毛頭ありませんが。『左翼・左派・リベラル勢力』の決定的にダメなところは『自己が正しいと考えた判断』を他者に押しつけるだけで自ら実践して見せない点にある。だからその主張は必然説教臭くなり、特定の価値観の押しつけでしかなくなる。『慰安婦問題は女性の人権問題だ!』と言いながら米軍慰安婦問題でアメリカ合衆国を追求するという。だから『左翼・左派・リベラル勢力』の言う〝正しさ〟は普遍的な意味を持ち得ない。にも関わらず奴らは傲慢だ」


「……」立て板に水でまくし立てられると、どうしても押され気味に陥るかたな(刀)。それに気づいたか仏曉はこう訊いた。

「マドモアゼル遠山、或る発言がヘイトスピーチであるか否か、いったい誰が決めると思いますか?」


「それは……常識的に考えて、っていうか……」

 仏曉の言わんとする答えはだいたい想像はついていたが、『あいつらは敵だ』的な名指しはできないかたな(刀)である。しかしこの反応、とも言える。


「『常識』そのものは考えません。或る価値観を『常識』だとしているが考えて決めているんです。それを具体的に名指しすると『左翼・左派・リベラル勢力』です。我々は連中に何らの権限も与えていないのですが『ヘイトスピーチ』かどうか、奴らが決めてしまう」


「……」

(案の定か……)

 しかし〝そうですね〟とも言えなくなっているかたな(刀)。やはりここは振り切った人間と常識に囚われている人間の差というものが出る。


「というわけで私は個人的には『ヘイトスピーチ』と考えているのですが、どうもそこを強調しすぎると〝言い訳〟をしているように聞こえてしまう。それにどう言おうと『左翼・左派・リベラル勢力』の奴らが『ヘイトスピーチだ』と決めたならそうなってしまう以上、いっその事正面から立ち向かってやれ、と思った次第なのですよ」


「だけどいま『中国人は宦官かんがんだ』って……」


「ウィ、確かに言いました。『お前達はそれでも男か!』という意味を込めてね——」



 ちなみに『宦官』とは人工的手段をもって去勢された人間の男を指す。有り体に言って男性器の切除である。〝いったい何のためにそんな事を?〟というその目的は至ってシンプル。彼ら(?)の仕事場は〝いわゆる後宮〟だからである。

 あらかじめ物理的に女人と交われないようにしておけば、女人達の中に置き世話をやらせておいても安心できるという、皇帝や貴族階級の都合で造られた加工人間である。

 『宦官』と聞けば『中国』のイメージが非常に強い。春秋戦国時代に現れしばしば権力を握り、その後に建国された王朝、『後漢』『唐』『明』についても滅亡要因の一つとされている。とは言えそれが『中国』にしか存在しなかったのかといえばそうでもなく、『古代オリエント』『ギリシャ』『ローマ』『イスラム世界』にも存在はみられる。



「——この場合『お前達は女のような奴らだ』とか『お前達は女の腐ったような奴らだ』の方がジェンダー的にアウトでしょう」と堂々自論を展開していく仏暁。


(確かに〝その点〟についてだけは配慮しているようだけど——)

「でも『宦官』なんて言ったらそっちの方も完全にアウトじゃあ……」と言ったかたな(刀)には少しばかり心当たりがあった。



 さるネット小説大手投稿サイトで、とある投稿小説が書籍化された。その中身はいわゆる『中華ファンタジー』。中国ではないが中国風の王朝世界を舞台としたファンタジーものであった。

 だが投稿されたものがそのまま紙の本になったわけではない。〝投稿時〟と〝書籍化時〟とを比べると、明らかに違っている点があった。されていたのである。

 投稿時は『宦官と女官がコンビを組んで事件を解決する』というものが、書籍化時には『宮廷官僚(男)と女官がコンビを組んで事件を解決する』に変えられていたのである。



 かたな(刀)は思った。

(『宦官』ってフィクションな娯楽小説では登場させちゃだめな人なんだ)と。

 にも関わらず仏暁は『生身の中国人を宦官と言ってやれ』などと公然と口から吐いている。そして今も蕩々と喋り続けている。

「しかし私の場合は『ヘイトスピーチ』ですから、この点が先人達と決定的に違います」


「なんですそれ? 聞いたことがありません」


「当たり前です。私が考え出した概念なんですから」


「…………でも攻撃側からしたら同じような……」


「むろん私は『同じだ!』と攻撃を受けようと、私はそんなものは受け入れない。『どう違うか』を説明し逆ネジを食らわせるまでの事です」


「でも、」

「かたな、それくらいにせい」と遠山公羽。「——儂が


「……」


 かたな(刀)は返す言葉も失い黙り込み、遠山公羽は仏暁へと声を掛ける。

「あーすまんな、仏暁君、君の『ヘイトスピーチ論』をそのまま続けてくれ」

 仏暁は鷹揚にうなづき、「では先人のヘイトスピーチと私のヘイトスピーチの違いを説明しましょう」と口上を述べた。


「——先人のヘイトスピーチはこうです。例えば『朝鮮人はカエレ』です。朝鮮半島出身かゆかりがあるという属性は変えようがありません。つまりその意味はあくまで『全員帰れ』で、の想定は無しです。つまり〝解除条件が無い〟という事になります」


「——私のヘイトスピーチの場合は『中国人は宦官野郎だ——』の後にこう続ける。『〝違う〟と言うならよ』と」


(??? なぜに突然『ウラジオストク』?)とあっけにとられるだけのかたな(刀)、同様に場内一同。


「——『その点日本はロシア人どもに〝北方領土返せ〟と言ってるぞ』とダメ押しするのもアリです。もちろんここで言っているだけでは所詮内輪の憂さ晴らし。ネット上で言えてナンボです。ちなみに言っている本人がそれをやってないというのは少しカッコ悪い。というわけで私は既にを始めています」


「——つまり、中国人達がロシアに対し『ウラジオストクを早く返還しろ』と声高に主張し始めたなら、彼らを『宦官』などと言うのは失礼に当たる。これが即ち〝解除条件〟というものだ。この点が先人のヘイトスピーチとの決定的な違いとなる。そしてこれはなのだ」


 あまりにブッ飛んだ仏暁の言い様に、

(んなばかな)しか頭に浮かばないかたな(刀)。

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